魔女の宿願 7

「遅い」


 二人が紹介された店に辿り着くと、とっくにアーシュラは店内にいた。目の前に置かれたカップの中身はすっかり冷めてしまい、ベリー色の瞳がキッと二人を睨みつける。


「これは申し訳ない。昨日は険悪な雰囲気のまま別れかれてしまったので、再会するのに二の足を踏んでしまって」


「心に思っていないことを言わないで。どうせ、どうすればわたしを飼い慣らすことができるか、話し合っていたのでしょう」


 大袈裟にしゃべるレイヴンに容赦なく言葉が浴びせる。昨日と打って変わった態度に二人は目を丸くした。本来はこちらが素なのだろう。


「驚いてはいるよ。あなたがわたしたちのところに来てくれるなんて。エレナさんのお願いであっても、来てくれないだろうと思っていたのに」


「……わたしだって、来たくなかったわ。けど、」


 カップを握っていた指を細かく動かす。そして、落としていた視線をまっすぐセルマへと向けた。


「ここが偽りの世界だと言われたら、どうしようもないじゃない。それも魔女が作り出した可能性がある世界だと言われればなおさらでしょう」


「つまり、協力してくれると? わたしたちの話のほうが嘘かもしれないと疑わなかった?」


 意地悪なセルマの質問にアーシュラはそうね、と静かに言葉を連ねる。


「もちろん、考えたわ。姉さまたちと過ごした日々、ノルタニアでの記憶、あなたの言葉。信じたくないことばかり。でも、これだけは確かでしょう。どんな結末を迎えようとしても、わたしはそれを受け入れなければならない。グランヴィル家の魔女としてのけじめよ」


「一晩でずいぶんと考えがかわったもので」


「言っておくけど、あなたたちを完全に信用したわけじゃないから。わたしは今だって、ノルタニアが存在しないと信じたくない。同じくして心のどこかで、それを知っている自分がいる気がする」


 夢を夢と認識してしまえば、あとは泥壁のように崩れ落ちてゆく。都合よく歪められた記憶がもとに戻る。アーシュラの記憶は今まさにその状態になりかけているのだろう。


「あなたが最終的にどのような選択をしようと、わたしたちがすることは変わらない。今は協力してくるなら、喜んでその手を借りるだけだよ」


「わたし、あなたたちことは一生理解できそうにないわ」


 にっこりと微笑むとセルマは「同感」と返す。


 簡単に朝食を済ませると、三人は街へと足を向けた。


「ところで、アーシュラ嬢はカナンキについてどの程度知っている?」


 セルマの質問にアーシュラは眉を顰めた。


「朝の騒動だけでは飽き足らずに、わたしを使ってカナンキに乗り込もうと考えている? 確かにあそこはグランヴィル家にとって、縁深い場所ではあるわ。でも立ち入りを許されているのは当主のみ。つまり、入れたとしてもエレノア姉さまのみ。同じ血筋だからといって立ち入れるのかは知らないわよ」


「内部を知っているのも、当主のみだけか」


「そもそもカナンキは大地の女神が眠る場所。当主すら滅多に足を踏み入れないわ」


「では、大地の女神ってどこからやって来たんだと思う?」


「今度はなに? 今度は大地の女神の存在を疑うの?」


「この世界に唯一神と呼べる神は存在しない。だから、各々は信じたい神を敬い、信じない者は信じない。誰が最初に大地の女神を生み出したのだろうと思っただけだよ。人を遠ざけるには神の存在は便利だ」


「なにが言いたいわけ?」


 不機嫌そうなアーシュラにセルマは「べつに他意はない」と首を振る。


「セルマ、このあたりだ」


 先導していたレイヴンが足を止める。弧を描く湾に沿って歩いていたセルマたちは、ちょうどノルタニアの都市と真向かいの位置にいた。昨日、森鯨の料理が振舞われた会場跡である。


「カナンキの話をしていたかと思えば、今度は昨日の場所。あなたたちはなにがしたいの?」


「アーシュラ嬢はここにきてなにか違和感を覚えない?」


「違和感? ただの野原しかないんじゃない。あなたたちいい加減してくれる。わたしをからかっているわけ?」


 だんだんと機嫌が急降下してゆくアーシュラに、セルマは構わず話を続けた。


「四季折々の豊かな街であるノルタニアは景観が整った都市と避暑地として別荘地としても有名なところと知られている。でも今のノルタニは全く別荘がない。あるとすればちょうどこのあたりに建っていたはずだ」


 セルマがそう言って両手を広げた先には、青々とした草花が色を添えている。


 アーシュラはしばし呆然としていたが、肩を震わせる。彼女の一人分の笑いが響く。


「なに? ……それを言いたくてわたしを連れてきたの?  ふふふ……、どこで話を聞いてきたのかは知らないけど。もとより自然を考えて、別荘地をして明け渡すのを反対したのよ。グランヴィル家の意志に逆らえる者なんてそういういないわ」


 まだおかし気に笑うアーシュラに、気を止めずセルマは一歩踏み出す。


「本当に? あなたたちが、なにも残らなかったとは思わない?」


「なにを言って……」


「言ったはずだよ。魔眼は魔女の願いを叶える。この世界に不必要とされた事象は、元の世界では君たちに影響を与えていた。違う?」


「そんなはずないでしょう?  だってノルタニアが滅んだのは――」



『あぁ、これはきっと天罰なのだわ。彼らが禁を破ったから』


『なんてことだ、なんてことだ。もう我々は終わりだ。破滅だ』


 どこからとなく声が聞こえてくる。嘆きの声が。


『まぁ、魔女がいながらなんたるおざましいこと』


『これは我々を疎んだ魔女の仕業に違いない』


 畏怖と憎悪を満ちた視線が突き刺さる。非難の目が。


『大地の魔女よ。どうか我々を救っていただきたい。鎮めることができるのは、大地の女神から祝福を受けた、あなたたちしかいない』


 嘲りながらも彼らは乞う。魔女の役目を果たせと。


「やめてっ!!」


 アーシュラは悲鳴を上げた。頭を抱えて、その場にうずくまる。


 身に覚えのない記憶が巡る。知らない声がこだまする。


 だが。


 本当に身に覚えながないだろうか。知らない声だろうか。なにかを深海の記憶にフタをしてしまったのではないだろうか。


 大きな混乱が渦となりアーシュラを呑み込もうとした時だった。

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