魔女の宿願 4
目前に用意されたご馳走をセルマは無言で見つめていた。
煮物、揚げ物、刺身、加工とあらゆる調理法により森鯨の部位をあますことなく使われた料理が並んでいる。滅多にお目にかかれない料理が並び、誰も臆せず料理を口にしている。
「驚いた。鯨って食料になるんだね」
「普段は雲の上にいる奴らだ。それをわざわざ危険を冒してまで、捕えようと思う者がいると思うかい? とはいえ、これは新発見だ」
「森鯨の料理ははじめてですか? 最初は赤身の部分がおすすめですよ。クセもありませんので、馴染みやすいと思います。まずは親しみのある料理から試されてみるのが一番です」
振る舞われた料理に一切手を伸ばさない二人の様子に、少女が近寄ってきた。誰と尋ねなくてもわかる。エレナだ。
「ヴィクター殿から聞きました。魔女様はノルタニアには初めて来訪されたとか。森鯨の件はご存知なかったそうで。とても驚かれたことでしょう」
「今の時期にノルタニアを訪れる人のなかには、この料理を目当てに訪れる人が多いのかい?」
「えぇ、今の時期は森鯨が度々出没するのです。おかげで一時期は観光客が激減してしまいして。彼らをなんとか対処ができたとしても、今度は遺体の処分に困っていたのです。ですが命を奪う結果には変わりません。なら、最大限に有効活用しようと試行錯誤した結果の一つが料理です。他にも骨を使った小物もあります。その結果、今では知る人ぞ知る新しい観光業となりました。彼らのおかげでノルタニアは以前よりもずっと活気づいたように思います」
誇らしげに笑う彼女はこの街を心より愛しているのだろう。セルマは眩しそうに彼女を見つめる。エレナは何かに気付くとセルマたちから一歩と距離をおく。スカートの裾を少し摘まむと優雅に一礼した。
「申し訳ございません、ご挨拶がまだでしたね。ヴィクター殿からお聞きかもしれませんが。グランヴィル家の当主を務めております。エレナ・グランヴィルと申します。他の国から魔女様が訪ねて来られることは滅多にありませんので、こうしてお会いできてうれしいです」
「初めまして、僕はレイヴン。隣にいる彼女はセルマ。魔女は本来は地に根付く者が多いからね。各地を転々とする魔女の存在は珍しいだろう?」
「そうですね。でも、数年前にもお一人の魔女様がお越しになられたことがあるのですよ。確か……」
「姉さま」
会話を遮るかのように名前が呼ばれた。エレナが呼んだ相手へと振り返る。
姉たちのまろやかな髪色とは異なり、赤みがつよいブロンドの髪色が印象的な少女が立っていた。エレナはぱっと表情をいっそう明るくさせると彼女の手をとる。
「アーシュラ。お疲れ様、今日は一番の活躍だったわね」
「いえ、姉さまたちのサポートがあってこそ。……わたしはまだまだです」
照れくさそうにはみかんでいたアーシュラはセルマたちの視線に気がつくと小さく会釈をする。それからエレナへと視線を戻す。
「姉さま、談笑中のところ申し訳ありません。ヴィクターさんがお呼びです」
「わかったわ。お話を中座してしまい申し訳ございません。このあともぜひ楽しんでいってくださいね」
「どうぞお気になさらず。困ったことがあったら、彼女に助けてもうとするよ」
エレナに続いて一緒にその場を去ろうとしていたアーシュラは一瞬眉をひそめる。姉の手間、客人を放っておくわけにいかないと判断したらしい。エレナに笑みを浮かべ見送る。エレナが去るとその表情はすぐに無表情へと変わり、ベリー色の眸が警戒した険しい目を向ける。
「なにかお困りごとでしょうか?」
発せられた声もどこか冷たい。
「そう警戒しないで。俺たちは各地で起こっている異変で旅をしているんだ。ノルタニアには、今まで森鯨と呼ばれる魔物は存在しなかったはずだ。彼らが出現するきっかけを君はなにか知らないかな」
「森鯨のことが知りたいのですか?」
彼女は目を丸くする。意外な質問だったらしい。彼女の意図を察したセルマは小さく笑う。
「彼は一般的な好みとは相当ズレているから、安心して。エレナ嬢にたかる虫と思ったのなら、彼は無害だ」
歯に物を着せないセルマにレイヴンは心外そうに顔を顰める。二人の関係性がみえないアーシュラは、戸惑いつつも初めよりかは幾分か雰囲気を和らげた。
「つまり、あなたたちは異変を探るためにノルタニアに来たと。その原因として森鯨にあると考えているのですか」
彼女は少し周りに視線を向ける。それからセルマたちに背を向ける。
「ここでお話をするのはなんですから。どうぞこちらへ」
会場から少し離れた川岸へと近づいたところで足を止めた。ゆるやかな丘陵に沿って川が流れており、やがて海へと帰ってゆく。会場の喧騒から離れた静かなところまでくるとアーシュラは二人に振り返った。
「質問に答える前に聞きしたいのですが、あなたたちは異変を調べてどうするつもりなのでしょうか?」
「もちろん、解決するさ。本来起こるはずのない事象が起きている。理の外れた異変はやがて世界を歪めて壊してしまう。なんでもかんでも異変だと言って解決しているわけではないよ。アーシュラ嬢は『魔眼』と呼ばれる存在をご存じかな?」
首を横に振るアーシュラにレイヴンは機嫌よく頷くと彼は語った。
――魔眼。
それは魔女が死した時に稀に生まれる魔力を宿した石。真っ透明な石は魔女の懇願を実現する力を持ち、世界を歪めてでもその願いを現実と化す。魔眼と呼ばれる魔石は泡沫の夢のような代物でありながら、確実にゆっくりと世界を蝕む厄介な物であった。
「魔眼が叶える夢は様々だ。ゆえに彼らが叶える願いはいつだって世界に干渉し、本来あるべき姿を変質させてゆく」
「なるほど。存在しない生き物が出現をはじめたのは、その魔眼が影響していると。原因として、グランヴィル家が疑われているのですか」
「いや、彼らの生息環境が変わった場合や新種かもしれない。現時点では正確に魔眼による仕業とはいえない」
「なら――」
「五年前」
アーシュラの言葉を遮るように、今まで黙っていたセルマが口を開く。穏やかに流れた風が突然と切れ、場の雰囲気が一変する。
「五年前に一つの街が滅んだ。原因は国内紛争。戦場の中心となったのは、四季折々の景色が美しい素敵な街だったとか」
あおの瞳がすっとアーシュラを見る。
「街の名前は四季の街 ノルタニア。グランヴィル家の魔女を一人を残して滅んだ街。そんな街がいつの間にか何事もなかったかのように存在している。こんなことができるのは魔眼の力に他ならない。でも、魔眼に街ひとつを蘇らせる力があるとは思えない。誰かが複数の魔眼を与えた。そして、今回の件に荒野の魔女 リビア・フリシスリア・ラリリスが噛んでいるとわたしはみている」
『待っていてね、××。わたしが必ずあなたをもとに戻してあげる』
そう言って微笑んだ彼女の顔が脳裏に浮かぶ。セレストブルーの瞳の奥に魔を住まわせた魔女。今日も数多の花々に囲まれ、一人で茶会を開いているのだろう。側に眠る少女と一緒に。
彼女の心はとっくに壊れかけていた。その心をすくいあげて再び落として壊してしまったのは、“ロゼ”。だから、彼女の罪はセルマが償わなければならない。
「今のノルタニアは幻。あなたには残酷でしょうが、目的のためにこの夢は壊させてもらう」
一方的な言い分を口にしたセルマにアーシュラは乾いた笑いを零した。
「先程からずいぶんと好き勝手に言ってくれるわね。本当にノルタニアは滅んだの? わたしも姉さまたちも街の皆も変わらない日々を過ごしている。確かに今まで見ない生物が出現しているわ。それがなに? 身勝手ばかり言わないで」
「……そうだね。でも、今のこの街はあなたの記憶と同じだと思う? 魔眼はあくまで魔女の願いを叶えるための道具でしかない。一度失われたものは二度と戻らない。たとえ、再現したとしてもそれはもう偽物だ。かつてあなたが愛した家族とも人々とも街とも違う」
「魔眼に願ったのは、わたしたちグランヴィル家の魔女だった。と、どうしても言いたいのね」
「君たち意外に魔女がいないのなら。レイヴンが言ったように魔眼は願った魔女に干渉する。けれども、それも完璧ではない。魔眼の映し出した世界には必ず綻びがある」
敵意のこもった視線を受け止めて、セルマは冷ややかに背を向ける。
「夢を見続けても最後にあるのは絶望。醒めても絶望しか残らない。なら早く目覚めて己の足で歩くべきだ。あなたにはこの先に進むための足も時間も残されているのだから」
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