光で照らす

竹氏

光で照らす

何かに恐怖という感情を感じたことは誰でもあるかと思います。そんな中でも「わからないからこそ怖い」なんてものはないですか?夜歩いていたら何かが通った気がして怯えて動けなくなる。でも光で照らすと実は猫だったとか、ホラーゲームで影や大まかな動きしか見えていなかった怪異の姿が露になって追いかけてくる。最初は驚くかもしれませんがじっくり見ると「なんだ、こんなものか」と拍子抜けしてしまってあまり怖くなくなる。見えない、わからないからこそ無限に想像が広がり、何が起こるかわからないという不安、恐怖が際限なく肥大していくのだと思います。

今からお話しするのはそんな恐怖の対象を光で照らし、姿を露にさせ、恐怖を軽減しようと試みたある女子大学生の話です。



         ✳



「お疲れ様でーす」

「おつかれー。もう暗いし気をつけてねー」


吐いた息に白みがかかってきたある日の夜、私はバイトを終え、今年の春から住み始めた大学近くのアパートへと帰っていた。駅近の居酒屋から外に歩きだし、人気の多い道を歩いていく。ふと晩酌でもしようかと思い、コンビニに立ち寄った。缶酎ハイと軽いつまみを買い、再び帰路に着く。そろそろ手袋をつけてもいいななどと考えつつ駅から遠ざかっていくと次第に人は減り、いつの間にか明かりは道沿いの家の窓から漏れるわずかな光と澄んだ夜空に浮かぶ月と星だけになっていた。徐々に道幅も狭くなっていき、ついには歩道と車道の区別がなくなっていく。草木が風に揺らめく音、誰かの足音以外は何も音がしない。ふと、ほとんど無音の空間が無性に恐ろしくなった。少しでも恐ろしさをなくそうとイヤホンをつけて音楽を聞こうとした時、ある違和感に気がついた。居酒屋をでたときからずっと後ろの方で足音が鳴り続けている。後ろを確認しようと立ち止まると足音も止まった。後をつけられている。そう考えが至り、先ほどまで曖昧だった恐怖が今度はハッキリとストーカーという恐怖に置き換わった。恐怖で押さえ付けられる身体をなんとか動かし、ギギギとぎこちない動作で後ろを振り返る。

何もいない。

ただ今まで歩いてきた風景が逆向きに広がっているだけだ。おかしい。どこかに隠れたような物音は何もしなかった。ほとんど無音なのだから急いでどこかに隠れようとすればわかるはずだ。誰かがいるような気配も隠れられるような場所もほとんどない。あるのは電柱だけだ。明確であったはずの恐怖が再び暗闇に紛れ、曖昧なものへと戻っていく。得体の知れない恐怖に打ちひしがれながらも早く家に帰ろうとイヤホンをつけ、目についた適当な邦楽を流し、無理やり恐怖を押し込める。テンポの速い曲調に合わせて早足になったせいか、いつもよりも少し早く家に着いた。かじかむ手先でなんとか鍵を開け、玄関に入ると冷やされた外の空気よりもほんのりあたたかい空気に包まれる。僅かながらも確かな暖かみに思わずほっと息を漏らした。靴を脱ぎ、電気のスイッチに手を掛ける。


カサッ


部屋の奥で何かが動いた気配がした。身体が固まっていく。暖かみのある安心から再び恐怖の底へと滑落していった。駅のホームで突如背中を押されたような恐ろしい感覚。恐怖から這い上がろうとなんとか電気のスイッチを押し、光を灯す。明るくなった部屋を見やると代わり映えのしない少し床に物が散らかった光景が広がっている。椅子の裏や机の下を覗いても異常はなにもない。気のせいかと思い、コンビニで買ったものを袋から出し、袋をゴミ箱に捨てた。トイレにいこうとドアを開けると「カサッ」と再び部屋の奥から音がした。ばっと振り返るとゴミ箱にいれた袋が僅かに揺れている。おそらくドアを開けたときに風が流れて袋が揺れたのだろう。音の原因が判明し、やっと安心できた。それ以上気に止めることもなく、その日は床に就いた。しかし、それ以降も気配が消えることはなかった。




あれから二週間ほど経った。一度気になると敏感になるのか、以前よりも暗闇に気配を感じることが増えたように思う。風に草木が揺れる音、誰かの足音、背中をなぞる冷たい風。少しのことで毎回怯えてしまう窮屈な日々を送る中でついに一人では耐えられなくなった。


「最近、無性に物音とかが気になるんですよね」

「そうなの?」

健斗先輩はバイトの閉め作業で手を動かしながらも耳を傾けてくれた。


「そうなんですよ。ちょっと前から後をつけられてるような気がして、夜とかちょっと怖いんです。」

「何か見たりしたの?」

「それが音がした方を見たりしたんですけど誰もいないんですよ」

「まあ見えないならよかったじゃん」

先輩はいつも通りの優しく、それでいて頼りげのない口調でそう返してきた。


「いやいやいや、見えないのに気配だけ感じるって不気味じゃないですか」

「じゃあ気のせいなんじゃない?」

「うーん、そうなんですかね......。」

「一回気になったから余計に敏感になったんでしょ。しばらくしたら何も感じなくなるんじゃない?」


確かに健斗先輩の言う通りなのかもしれない。私が過敏になり過ぎているだけで本当は気配なんてしないか、もしくは元々世界は気配に満ち溢れていて、たまたま警戒心が強まったからそれを感じ取ってしまっているだけなのかもしれない。だがやはり怖いものは怖い。


「そんなに言うなら先輩が今日一緒に帰ってくださいよー」

「あぁ、いいよ」

「え」

渋ることもなく、すぐに了承してくれた。優しいのか、暇なだけなのか。ともかく私にとってはありがたい。


その後バイトを終えると私たちは夜道を歩き始めた。横並びになって他愛もない会話をしながら道を進んでいく。


「あれ、コンビニ寄らなくていいの?」

「そんな買うものもないですし私は大丈夫です。先輩なんか買うものあります?」

「いや、聞いただけだし俺も別にいいかな。」


駅から遠ざかり、明かりが減っていく中、徐々に話題が尽きてきた。私たちの足音以外は周囲から静寂がもたらされる。

会話が途切れて訪れる静かで暗い空間が怖く、言葉で明るくしようとなんとか話題を絞り出す。


「そういえば先輩なんでついてきてくれたんですか?」

「なんでって、言われたからでしょ」

「いやそうじゃなくて、もう結構遅いのにわざわざ来てくれるなんて暇なのかなーなんて」

「失礼だな。実際、他にやることもないからなんだけど」


笑いあいながら暗闇を進んでいく。誰かと喋っているせいか不思議と以前のような不安や恐怖は感じなかった。

結局、その日は音も気配も感じることなく、家に帰ることができた。健斗先輩には感謝しかない。


アパートの下で健斗先輩とは別れ、階段を登って玄関に前に立つ。外気で冷たくなったドアノブに手を掛け、扉を開けた。

家の中へ入っていき電気をつけようとしたとき、部屋の奥に黒い影が見えた。


何かがいる。


そう思った瞬間に電気をつけた。しかし光で照らされた部屋はいつもとなんら変わりのない、見慣れた景色を私の目に焼き付けてきた。



「やっぱり何かいますって!」

翌日バイトの終わり際に健斗先輩へ再び訴えた。うーんと唸りながら彼は口を開いた。


「仮に何かいたとして、今何かされてる訳じゃないんでしょ?」

「そうですけど......。」

考えすぎだ、特段、深刻な状況ではないとでも言いたいような口調だった。


「見つけたら逆上して襲ってくるかもよ?」

安心させてくれるどころか、むしろ不安を煽ってくる。


「でも得体の知れない感じが怖くて、せめて原因だけでもわかって安心したいんです。」

「そうかなぁ、俺はそう思わないけどな。」


共感してくれない健斗先輩に少し苛立っている私に対し彼はこちらを向いて諭すように語りはじめた。


「例えばお風呂に入ってるときにいままで気づいてなかったけどふと隅の方にカビがいっぱい生えているのとか、今まさにやっと座ろうとした電車の椅子の隅にゴミが溜まってるとか、見えるとげんなりしちゃうようなこともあるじゃん。だからそういうものはむしろ見ずに知らない方が幸せなんじゃないかな」


そんな考えを聞きたいわけではない。今、怖いのだからその原因を確かめてなくしたいと言っているのに


「見えない方がいいものもあるんだよ」


もう話しても無駄だと思い、私は健斗先輩の話を聞き流した。


その後、私は通販で携帯型の懐中電灯を購入し、持ち歩くことにした。これであれば気配を感じた瞬間、光で照らすことができる。隠れてつけ回る卑怯者を晒しあげてやるのだ。


そして懐中電灯が届いた日の夜、バイトから家に帰るとその時は訪れた。


懐中電灯を右手で握りしめながら玄関を開ける。家に入り、足を進めるとワンルームの奥に気配を感じた。その瞬間、右手の指を動かし、懐中電灯のスイッチを押した。光を発し、部屋に色がつく。そして一つの人影を浮かび上がらせた。

ついに"それ"は光で照らされ、姿を露にした。"それ"は健斗先輩の顔でニヤニヤと笑みを浮かべて立っている。半開きになった口の端からはたらたらと白く泡立った涎が流れている

しかし気持ちの悪い笑みは一瞬しか見えず、こちらと目があった瞬間、波が引いていくかのように顔から表情が消えた。


「あーーー」


突然、"それ"は大きな声を出した。

顔は無表情のまま、口だけ無理やり開けたような様相でただ一音を引き伸ばしている。

声を出したままゆっくりと指をこちらに指してきた。まるで「いーけないんだいいけないんだ」と子供が言っているかのような錯覚を覚えさせる。

困惑、焦燥感、恐怖、嫌悪、幾つもの感情がない交ぜになった混沌とした感情が身体を固めている。まるで質量のある感情に押し潰されているような感覚だった。


身体を押さえ付けられ、視線も動かせずにいると"それ"は先程の動きを逆再生するかのようにゆっくりと指を元に戻した。


「だからぁいったのにぃー」


無理やり引き伸ばされたような粘っこい喋りを終えると"それ"は再び口角を上げ、口を半開きにし、ニヤニヤした笑みを浮かべていく。口の左端からは白く泡立った液体がこちらに粘性を伝えるかのようにゆっくりと垂れていく。長い、長い糸を引きながら液体がフローリングに触れた時、"それ"はこちらに走りはじめた。いや、走っていない。ゆったりとした歩みをテレビのリモコンで倍速にしたような不自然な動き。恐怖の対象が近づいてくるというのに私の身体はピクリとも動かない。目線も目蓋も動かすことができず、ただ迫る恐怖を享受していた。

段々と顔が近づいてくる。だらしなく涎を垂らし、ニヤニヤとした笑みを張り付けた顔が私の顔に迫ってくる。

ついに目と鼻の先になり、何をされるのかと先の見えない暗い未来に怯えているとそれは私の顔に唇をつけた。

おかしい。もう身体はくっついているというのにまだ近づいてくる。視界がそれに埋め尽くされ、真っ暗になった。すると視界は暗いまま、横から自分を見ているようなイメージが頭に流れ込んできた。どうやら何があっても目を背けることはできないらしい。

"それ"は私の身体にゆっくりと沈んでいく。全身で触れている感覚があるにも関わらず、同時に空気と触れているような感触の無さも感じる。

沈んでいったそれは私の後頭部から再び気持ちの悪い笑みを覗かせ、ゆっくり、じっくり蛹の中から成虫が出てくるようにすり抜けていく。

全てが出きったところで視界が元に戻った。懐中電灯の光はただ暗闇を照らしている。今見た光景は全て自分の恐怖と不安が見せた幻覚なのではないかと錯覚するほどいつもと同じ、寂しい一人暮らしの部屋が目に映る。しかし、照らされた先の床には小さな白く泡立った水溜まりができている。


そっと、肩に何かが触れた。


「言ったでしょ?見えない方がいいものもあるって。」


優しく、それでいて頼りげのない口調で語りかける"それ"はゆっくりと私の身体に手を回した。



         ✳



意味がわかると怖い話というものがあるのはご存じですか。一見すると何てことのない話にも関わらず、真相、背景がわかるとゾッとするような物語の意味に気づいてしまうというものです。わかるからこそ怖いというものも私はあると思います。今述べた意味がわかると怖い話というものもそうですが、他にもあるかと思います。例えば蜂が部屋に入ったとしても恐怖するのはそれに気がついてからです。逆に言えば蜂が部屋に入っているという事実を知らなければ何も怖くないわけです。恐怖するには恐怖する対象が必要ですから。案外、何も知らない方が幸せなこともあるのではないでしょうか。

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