2-6 この世界はファンタジーですが「ゲームの世界」ではありません

(なに……何をしようとしているの?)



アイネス王子は普段「兄上」と呼んでおり、フォブス王子をあまりよく思っていないということを知っている。


だが、扉の向こうから聞こえてきたその声は、寧ろ可愛い弟が兄に対して発するような口調だった。

そんなアイネス王子がフォブス王子の服を脱がそうとしている。



フォブス王子も性格は大嫌いだったが、顔だけは良かったのを覚えている。

……正直、下種な下心があったのは否めない。



私は、思わずドアのカギ穴からその様子を覗き見た。



「やっぱり! ……一体何日食べてなかったのさ、兄ちゃん?」

「……10日から先は忘れた……」



だが、その光景は私の想像とは大きくかけ離れていたものだ。

……フォブス王子は、骨と皮だけになった体をアイネス王子に見せていたのだ。



「14日です。アイネス王子」


そこには、あの忌まわしいセクハラばかりしてきた大臣ユーグルがいた。

だが、その姿は私に見せていた姿とまるで違う、精悍で凛々しい顔つきだった。服装も私の時に見せていただらしない服装ではなく、しっかりした正装だった。



「やっぱり! いつも食料をシスターや、近衛の子たちにあげて自分は何も食べないで! それにこの傷じゃ、本当に死んじゃうだろ?」

「安心しろ……戦いが終わるまでは、死なんさ……」

「とにかく治療するから、待ってて!」



大臣ユーグルとアイネス王子が二人で必死になって包帯を取り換えていたが、肩の傷は私が思っていたよりはるかにひどいものだった。




この世界はファンタジーの様相を呈しているが、決してゲームの世界ではない。

つまり「致命傷以外は治療可能」というわけではないことだ。




フォブス王子の傷口は化膿しており、おそらく感染症も発症している。

そしてその治療を受けながらも、フォブス王子は尋ねる。



「ところで……あいつは……『聖女メリア』は元気にしていたな……安心したよ」

「うん。……兄ちゃんに言われた通り、大切にしているつもりだよ……僕らの関係はバレてないから安心して?」



……え?

私はそれを聞いた瞬間、頭が真っ白になった。



「お前が、メリアに出会えたと聞いたときは安心したぞ?」

「……兄さんが道化師の格好を用意してくれたおかげだよ。村人がみんな噂していたから」



それってどういうこと? ……とは、聞くまでもない。

よくよく考えたら、ベラドンナと私は体格がまるで違う。


タンスに私にぴったり合うサイズの服があること自体がおかしいと疑うべきだった。

井戸の近くに会った備蓄用品もそうだ。


北部地方の王族は男性しかいないのに、生理用品が備蓄に置かれていること自体が不自然だ。



……そして何より、アイネス王子が私の芸を見るときに、居合わせたこと。

あれは偶然なんかじゃなかったのだ。


もっと言うと、私の芸を気に入ったというのも嘘だったのだろう。




(私は……『おもしれ―女』なんかじゃなかったってことか……)



そう思い、私はがっくりと肩を落としながらもその様子を見続けた。



「メリアは元婚約者だが……北部地方では武器に触らせもしていない。この戦に万一負けても、あいつが責任を負うことはないだろう」



そのフォブス王子の発言を聞いて、酷く怒鳴られていた時のことを思い出した。

今思うと、怒鳴られるのは決まって私が『軍事的なものごと』に介入しようとした時だ。

あの時私に怒鳴ったのは『戦争責任をわずかでも負わせないため』だったということだ。



「……それに、シスターたちもな。婚約破棄を口実に、南部に逃がせてよかったよ」

「シスターたちも? まさか、国境にあった修道院は……」

「ああ。……昨日、あの修道院が火の海になったそうだ……」



修道院が焼失したと聞いて、私は少し気持ちが暗くなる。

だが、もしもう少しあの場に居たら、私たちもそこで焼け死んでいた可能性は高い。


アイネス王子は、少し非難するようにフォブス王子に詰め寄る。



「けど、その為にメリアにはひどいことをしたんだよね?」

「ああ。最初はユーグルやベラドンナに、嫌がらせを『させた』のだが、中々逃げなくてな。……悪かったな、ユーグル」

「ええ。私も……きっと、彼女には蛇蝎のごとく嫌われていましょうな。まあ、今となっては、どうでもいいことですがな。私の命も後数日でしょうから。ハッハッハ!」



そういうことだったのか。

よく考えたら、フォブス王子は『美しい女を出せ』とは言っていたが『聖女を差し出せ』なんて一言も言っていなかった。つまり本当は、婚約者は誰でもよかったのだろう。


立ち退きに応じないシスターたちを助けるため『お相手が婚約破棄をして逃げた』という事実を作り、立ち退きの口実を作る予定だったのだ。



そして大臣ユーグルも、その口実を作るために演技をしていたということだ。

だが、私がいつまでも逃げ出さないから『暗殺未遂』の濡れ衣を着せるという最終手段に出たということか。



「兄さん、包帯は取り換えたよ」

「ああ、すまないな」


何とか治療は終わったようだが、あの傷では病原菌が体内に入り込んでいるはずだ。

……破傷風をはじめとした、傷からの感染症を防ぐ方法や治療する方法は、この世界にはない。


後は本人の抵抗力次第だが……今のフォブス王子の体調ではそれは……絶望的だ。

それでもフォブス王子は気丈に立ち上がり、笑みを浮かべる。



「すまなかったな、ユーグル、アイネス。治療をしてもらって」

「私には当然のことです……」

「当たり前だよ、兄さん! ……それより、兄さんはまだ、メリアのことを……」



だが、フォブス王子は首を振る。



「メリアは……本当に美しい女だ……だが、俺は……あいつを好きになるなんて、許されないからな……」



……フォブス王子は、私のことを嫌っていたわけじゃなかったのだ。

それどころか、ずっと私のことを気にかけてくれていたのだ。



そんなフォブス王子を私は失脚や暗殺、そして処刑をしようとしていた。

その事実に私は自己嫌悪に満たされる自分がいるのを感じた。



「うん……メリアは……美しいよね」



そう追従するように答えるアイネス王子に、フォブス王子はじろり、とにらみつける。


「……それだけか?」

「ううん。思ったことを何でも話してくれるし、明るく笑ってくれるし、僕を気にかけてくれるし、怒ってくれるし、からかってくれる……そしてなにより本音でぶつかってくれる。そんな彼女の全部が好きだよ」



私はアイネス王子にそう思われていたのか。

見た目だけでなく、中身も全部好きだと思われていることを知り、私は少し嬉しくなった。

それを聞くと、フォブス王子もフフ、とようやく笑みを見せた。



「ハハ、そうとう『道化師ライア』に振り回されているそうだな。手紙で知っていたよ。なあ、ユーグル?」

「ええ。最近の手紙は、すべて惚気になっていたことも存じておりますとも」



……つまり、フォブス王子とアイネス王子は仲が悪いというのも演技だったのか。

実際にはあの二人の様子を見て、私は確信した。



「だが……それなら、いい。お前にメリアを託してよかった。どうせあいつは、私を憎んでいただろう?」

「うん。……けど兄さん、本当にいいの? 嫌われたままで……」

「いいんだ。前に話したろ?」



そういうと、フォブス王子は以前のアイネス王子と同じ表情をした。



「男は『凄い』と言われようと思ったり、大事にされたいと思ったりしてはいけない。『いなくてもいい』とバカにされる存在であるべきだ。……てな」



「うん……」

「俺が死んだら……手配書を燃やし、あいつを自由にしてやってくれ。準備は、出来てるか?」

「……もちろん。道化師ライアとしても、聖女メリア様としても、居場所は作ったつもりだから」



そう、この二人はずっとずっと、私のために戦ってくれていたのだ。



(フォブス王子……アイネス王子……)


私はいつのまにか目から涙が止まらなくなっていた。

自分はどれだけ自分勝手だったのだろう。


そして二人の王子からいろんなものを貰っていたのに、それを全然返していなかった。

……いや、それは二人だけじゃない。



シスターたちには私に最初の居場所を与えてくれた。

北部の兵士たちはそんなシスターたちの居場所を作ってくれていた。

ギルト将軍はこの国への侵攻を「嫌われ役」になって食い止めていた。

大臣ユーグルは、私を守るために「嫌らしい男」を演じていた。

道化師ベラドンナは、私に芸を仕込み、居場所を作れるようにしてくれていた。




これだけのものを貰っていたのに、私は彼らに感謝すらしていなかった。

そして『北部地方の連中なんて、勝手に戦っていればいい』とすら思っていた。



せめて、フォブス王子とユーグルだけでも謝罪をしたい。

……だが、私が今彼らの部屋に入る気持ちにはどうしてもなれなかった。



(本当に二人が求めることは……違うよね。私の謝罪やお礼なんかじゃない)



……おそらく、フォブス王子はもう長くない。

大臣ユーグルも、あの口調や表情から、今回の戦争で命を捨てる気だろう。



全てを背負って死のうとする二人に見せるべきなのは『過去』への謝罪じゃない。

……アイネス王子と『未来』を生きようとする姿だ。


私は涙を拭うと、そのまま部屋から立ち去り、用意された部屋に戻り一夜を明かした。

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