1-10 聖女はキャンプ場を使って川の決壊を防ぐようです
そして翌日、私は帰途についた。
相変わらずの凄い雨だ。
さすがにこの雨に降られるとメイクが崩れる。私は顔が濡れないように気を付けつつ、ずぶぬれになりながらも城に着いた。
「ただいま戻りました……あれ、カリナ? アイネス王子は?」
「ええ、それが先ほどから姿が見えなくて……」
「まったく……また公務をサボっているの?」
あれからカリナとはだいぶ個人的にも仲良くなったため、公の場以外ではタメ語で話をするようになっている。
「いえ、昨日一日で公務はすべて終わっております」
そう言いながら、カリナは目の前に書類の山を見せてくれた。
驚いたことに、ここ数日で溜まっていた仕事はすべて終わっていた。
「あれ、王子ってこんなに仕事早かったっけ?」
「いえ、普段はそれほどでも……。今日はライア様と一日過ごすために張り切っていたのではないでしょうか?」
「え? 私が? いやだな、そんなわけないじゃん」
アイネス王子が私を好きになるというのは、いくら何でも自信過剰だ。
アイネス王子は、頭はあまりよくないようだが、見た目も家柄も良い。私以外にもいくらでも異性のお相手はいるだろう。
それより私は、カリナと二人でゆっくり休日を過ごす方がいいかな。
だが、そんな私の想いは脆くも崩れさった。
「そういえば、メリア様。お兄様が先ほどまた姿を消してしまったのですが……」
「え?」
「多分また、いつもの釣り場にいると思うのですが……」
「釣り場って……だって、この大雨で? まさかとは思うけど……」
「いえ、侍女たちも恐らくはそこに行ったようだとみな口にしています。……探しに行ってくださいませんか」
「はあ、まあしょうがないないなあ……」
今日のカリナからは何となく「有無を言わさぬオーラ」を感じた。
そこで私は城を再び出た。
「うわああ! どうしよう、どうする?」
「落ち着いてくれよ、アイネス王子!」
「ったく、相変わらず無能なんだな、あんたは!」
「…………」
そして私が釣り場に行くと、王子が大声でうろたえながら騒いでいた。
まったく、情けない王子様だ。
だが、逆に彼がうろたえまくっているおかげで周りの農夫たちは冷静になれているようだ。
「どうしたんです、みなさん?」
「ほら、見てください、あの川……」
農夫の一人が川辺を指さした。
……なるほど、増水によって川が決壊しそうだ。
もしこの川が決壊したら畑に大損害を与えることになるのは間違いない。
「たまたまここに来ていたアイネス王子も……」
「ライア殿! ど、どうすればいいと思う? なあ?」
「ちょっと、落ち着いてください王子!」
そう言って私はアイネス王子の肩を叩いた。
「な、なんとか、あの増水した水をよそに流せないか? なあ、ライア殿」
「そんなこと言われたって……」
だが、私はそう話していると、川辺に置いてある大量の箱に気が付いた。
「あれ、あの箱は?」
「ああ、キャンプの時に使う道具を集めているものだ。普段はあの堤防の脇に置いてあるんだ」
その箱が置いてある場所には、何故か堤防がない。
そして脇から水がちょろちょろと流れていた。
……ひょっとして……。
私はその箱が置いてある場所に近づいて、よく調べてみた。
やはり、と予想は的中した。
「みなさん! ここにある箱を全部どけてください! 壊してもいいです!」
「箱を?」
他の農夫たちがそう顔を見合わせていると、一人の男……以前妙な笑みを見せていた男だが……が、大急ぎで近づき、箱を持ち上げた。
「ライアの嬢ちゃん。あんたの言いたいことは……これじゃろ?」
ドドドド……とすさまじい勢いで水がキャンプ場に流れ込む。
「おお、水が……」
そう、このキャンプ場は広く作られており一種の『調整池』としての役割を持つことができるのだ。
ここに水を流せば、おそらく川の水が畑に流れこむことはないだろう。
無能王子と言われていたが、結果だけ見ればアイネス王子のキャンプ場の作成は大きな意味を持ったことになる。
しかもご丁寧に、水を流しやすいような作りにまでなっているのだからなおさらだ。
「そうです、みなさん! この箱が置かれている場所には堤防がありません! なので急いで箱をどければまだ間に合います!」
「なるほど! さすがはライア殿だ!」
それを聞いて、アイネス王子が大声で喜ぶような声を上げた。
そして周囲の農夫達にも叫ぶ。
「皆の者! ライア殿は私の信頼する腹心だ! 彼女には今まで何度も助けられているほどだ! いうことを聞いてくれ!」
「え? ……ま、王子様よりは頼りになりそうっすね」
「おっし、そんじゃああっしの腕力、見せてやりますよ! ライア嬢ちゃんには、いっつも恥かかされてるから、汚名返上っすね!」
あれ、この男はよく見たら、ジョギングに参加するおっさんだ。
そのいつもの肉体美を見せると、次々に箱を運び出していった。
……流石に素の腕力では私は彼らにはかなわない。
「みんな、あと少し! きっと聖女様も見ていますから頑張ってください!」
「おう、聖女様も南部地方に逃げてるんだってな!」
「なら、ご加護もくるってことだな!」
……聖女様が見ているというのは嘘じゃない。
私がそう自己弁護していると、アイネス王子は作業の手を止めずにつぶやいた。
「兄上が追放したという『聖女メリア』……あのものは異世界より転移したと聞く。噂では豊穣の力を持つとのことだ」
私にはそんな力はない。
そもそも、過去の文献を漁ったが『豊穣の力をもたらす聖女』の伝説なんてどこにも存在しなかった。
……一体だれがそんな噂を流したのだろう? そう思いながらも、私はアイネス王子をからかうように尋ねた。
「なら王子、その聖女メリア様を見つけて、お妃にするってのはどうですか?」
「そうしたいのはやまやまだが、それは向こうが嫌うだろうからな」
「違いねえ! 無能王子のあんたじゃ、釣り合わねえっすね!」
わたしわたし! 私が聖女メリアです!
……と言えるような状況じゃない。
私は豊穣の力のようなチートスキルなど持っているわけじゃない。
それ以前に、万一私がアイネス王子の元にいることが分かったら、フォブス王子に殺されるのは確定だ。
私はそれ以上そのことには言及せず、周りを励ましながら箱をどかした。
……そしてしばらくして。
「ふう……これで安心だな」
アイネス王子も泥だらけになって箱を持ってくれた。
普段から泥だらけになっていた王子だが、今日はいつにもましてひどい格好だ。……だが、一張羅を汚した今の姿は、普段の正装姿よりも幾分かっこよく見えるのが不思議だ。
私は水が溢れつつあるキャンプ場から非難し、堤防の上で踊りながら尋ねた。
「これで一安心ですね。……そういえば、なんでアイネス王子は今ここにいたんですか?」
「ああ。6月のこの時期は川が増水しやすいって話を知っていたからな。心配に思ってここに来たんだ」
「そういや、前そんな世間話してましたね」
そういえば以前釣りに来た時にそんな話をしていたな。
王子の釣り好きも、たまには役に立ったということか。
(いや、違うかも……)
……ひょっとしてあれは世間話じゃなく純粋に情報を収集していたのか?
な訳ないか。だったら、あんなに今日取り乱すわけがない。私がこのキャンプ場を調整池にすることを思いつかなかったら、とんでもないことになっていた。
「まったく、王子も鼻は効くんですから、これからはもっと大人になって……」
だが、私はここで自分が気を抜いていたことに気が付いた。
「あ……」
……私たちが現代社会で甘受している『当たり前』は多くの人たちが必死で支えている上に成り立っているのである。身近なもの一つに至ってもそうだ。
堤防の上は土でぬかるんでいるうえ、私の履いている靴は現代のような『ゴム底』などではない。この時代によくある、普通の木靴だ。
そのことを忘れていた私は足を滑らせてしまい、
「きゃああああ!」
川に流されてしまった。
「あ、あわわ……」
私は元の世界でも川で泳いだ経験はあるが、その時はこんな濁流ではなかった。
水をかこうとしても、まるで体が浮かび上がらず私は水の中に沈んでいくのを感じた。
(私、やばいかも……ここで死ぬのかな……復讐も……カリナとのお茶会も、まだなのに……)
そう思って私は意識が遠くなっていった。
それからしばらくして。
「あ、メリア! メリア!」
「ん……?」
まだ意識がもうろうとする中で、私は目を覚ました。
周りはまだ凄い雨の音が大きく、周囲はよく見えない。
だが、私の体を抱きかかえ、アイネス王子が必死に叫んでいることに気が付いた。
「あれ、王子……?」
「良かった、目を覚ましたんだな、ライア殿?」
アイネス王子の身体はずぶぬれになっており、その綺麗な髪からはポタポタと水が垂れている。
「助けて……くれたんですか……?」
「ああ。キャンプ用品の中に『たまたま』ロープが入っていてな。これを使って何とかな……」
そう言って王子は腰に付けていたロープを見せてくれた。
なるほど、これを命綱にして私を助けてくれたということか。
ロープの反対側は農夫の人たちが括り付けたのであろう木に結ばれていた。
アイネス王子は恥ずかしそうに顔をそむけた。
「そう、だったんですね……その……ところで王子、顔が……」
「いや、その……すまない、そなたの顔を見たのは初めてでな……」
そう言ってアイネス王子は顔をそむけた。
……そうか、私の顔のメイク、落ちちゃったんだな。
けど手配書の絵の出来が悪いこともあり、私が『聖女メリア』だということは気づいてないようだ。
私は道化らしくおどけて見せた。
「ひょっとして王子、私の顔を見て惚れちゃったんですか? 嫌だなあ……」
「…………」
あれ、反応がない。
……まさか、マジなのか? って、んなわけないか。
「わっぷ!」
私がそんなことを考えていると、王子は私の顔を胸元に押し付けてきた。
「王子~? ライアの嬢ちゃんは助けられましたか~?」
「ああ、だがメイクが落ちてしまった。道化の素顔は見せぬのがマナーだ」
「素顔が見せられない? ……ああ、まあそりゃそうか」
道化師はその立場上周囲から批判されやすい。
その為、メイクを落とした姿はめったに他者に見せないし見させないようにするのが、この国ではある種のマナーになっている。
(だから、これはしょうがないことだよね。役得だけど……)
私は『命を助けてもらったら恋に落ちる』ような安っぽい恋愛ドラマのヒロインじゃない。
だけど、今回必死で助けてくれたアイネス王子のことを考えると、少しだけ胸が熱くなった。
そう思いながら、私は王子の胸に顔を押し付けるようにうずめた。
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