1-9 聖女は自分を売った修道士たちに会いに行くようです
それから2か月ほど経過し、6月になった。
私もすっかりこの世界での生活に慣れてきた。
(といっても、この食事だけは慣れないなあ……)
私はミルクの上に浮かんだ※生クリームを見ながらそう思った。
(※この時代の牛乳はホモジナイズされていないため、放っておくと生クリームが浮かんでしまう)
(パンは堅いし、こうやらないと食べられないし……)
そしてそのパンをミルクに浸しながら口にする。
(そして何より……)
私はアイネス王子の方を見つめた。
今日は雨なのでジョギングは休みだが、またなにやら農夫の人たちと話をしていた。
また畑の様子がどうとか、そういう世間話をしている。
「それじゃ、王子。いつものです。……にしても旦那も物好きですねえ」
「ああ、すまないな」
どうやら魚釣りに使うミミズを買っているようだった。
あまり豊かそうには見えない女性は、それと引き換えにわずかな麦を貰っていた。
どうやら、以前硝石を捨てた休耕地を貸すから、そこに撒くようにと伝えている。
まったく、そんなことをするより公務に力を入れればいいものを。
王子が無能だと、私の復讐計画もおじゃんになる。
……しょうがない、私がまたみんなの前ではっきり言わなくては。
「おはよう、ライア殿」
そう思いながら私はアイネス王子の前に立つ。
……改めてみても、この王子は顔だけは良い。私は顔が少し赤らんだが白粉のおかげでそれは分からないことを知っていた。
「おはよう王子様。畑のミミズもおはようございます」
「……なんで私よりもミミズに対する挨拶の方が丁寧なんだ……」
「それはもう、彼らはお魚の餌になる役割がありますから。誰かさんの公務をサボらせるのが全く難点なのですが」
「ハハハ、まったく。ライア殿にはかなわぬな」
私がそう冗談めかして注意をすると、周囲もクスクスと笑っている。
アイネス王子が「只のぼんくら」ではなく「憎めないお馬鹿さん」と思ってくれるなら、私もおどける甲斐がある。
「それで王子様、本日は雨で公務はほとんどお休みな模様。デスクワークに専念するんですよね?」
「その通りだ。というわけでライア殿。今日は私の代わりに使いに行ってもらいたいんだ」
「え? ……嫌ですよ」
思わず私はそう言ってしまった。
……北部地方なら恐らく首が飛ぶだろう(もちろん物理的な意味で)。だがアイネス王子はそういう私を見て楽しそうに笑ってくれた。
「まあ、そう言うな。隣の村にある修道院に手紙を届けてほしくてな。あいにく私は公務が忙しく手が出せないのだ」
「それ、絶対外に出たくない言い訳ですよね……。ま、分かりました。では、きちんと公務をなさってくださいね、アイネス王子」
「分かっている。……気をつけてくれ、ライア殿」
そう言って私は少し呆れながらも城を出た。
その日は朝からかなりの豪雨だった。
ひょっとしたら、川が増水するかもしれないなと思い、私は以前であった農家の人たちが不安になった。
私は立場上は確かに転移してきた「聖女」ではあるが、治水の能力なんて持っていない。
もし持っていたら、彼らの力になれるのだが。
だが今はそれよりも用事を済ませよう。
幸い、修道院には馬車で半日ほどで到着することが出来た。
……とはいえ、この雨だ。
アイネス王子からは、無理に日帰りを強行するより、今日は修道院に泊めてもらってもいいと言われている。
(はあ、雨で憂鬱だけど、今日は王子と離れてのんびりできるのは素敵ね……)
私は修道院のドアをノックした。
「すみません、王子より言伝なのですが……」
「え? あらあら、こんな日に……って、聖女様!?」
「あ! ……あの、その……」
しまった!
ここのシスターたちはよく見たら、私が以前北部地方に住んでいた時の人たちと同一人物だと気づいた。
手配書の肖像画は私とは似ても似つかなかったが、それでも私が聖女だとバレると、まずいことになる。
シスターも今の発言がまずいと分かったのだろう。
周囲に誰もいないことを確認すると、大急ぎで扉を閉めた。
「聖女様……まさか、あなたがこちらに来るとは思いませんでした……」
「私も、シスターたちがここにいたことは知らなかったよ。驚いたな」
「その……王子との婚約の件は、その……すみませんでした!」
そう言ってシスターは頭を下げた。
あまりそう頭を下げられると却って私も恐縮してしまう。
私は笑みを浮かべながら、メイクを落とした。
「もういいよ。シスターたちだって、好きでやったわけじゃないんでしょ? 無理やり婚約を申し出たフォブス王子の方が悪いんだから、気にしないで」
「あ、ありがとうございます……」
そうシスターはまた、深々と頭を下げてきた。
その瞬間、私のお腹がぐ~……と音を立てる。
「あ、その……」
その音を聞くと、シスターは私の方を見てくすくすと笑う。
「まあ、聖女様はまたお腹が空かれたんですね。……良かったら夕食もいかがですか?」
「え、いいの?」
「ええ。……せめてものお詫びにもなりますから」
そう言われて、私は食堂に招かれた。
「うわあ、美味しそう……けど、なんの野菜だろ、これ……」
私の食卓の上には、ムニエルと麦がゆ、そして珍しい乾燥野菜を使った暖かいスープ料理が置かれていた。
「フフフ、北部地方にいた時よりもずっと豪華な食事ですからね」
「ありがとう! いただきます!」
そう言うと私は目の前にある食事にぱくついた。
一日馬車の上に乗っていた上に、手持ちのパンだけでは腹が膨れない。
北部地方よりはマシとはいえ、やはり現代の料理とは比べようもなくカロリーも栄養価も足りなかったため、私の腹には染みた。
「うん、おいしい! けど、こんなにたくさんの食材、どうしたの?」
「え? ……ああ、アイネス王子から頂いたぬいぐるみを使ったんですよ」
「ぬいぐるみ? もしかして、あの不気味な奴?」
そう言われて、私は以前新米ママに渡したぬいぐるみのことを思い出した。
「ええ、折角もらったあのぬいぐるみ、不気味で気色悪いから処分しようと思ったんですが……実はあのぬいぐるみ、材料に大量のハト麦が入っていたんですよ」
「ああ、どおりで重かったわけだ……」
あれは重いしかさばるのは運んだ私が一番よく知っている。
綿がまだ十分に生産できていないこの時代、ぬいぐるみの中には穀物の種を使うのは別におかしなことではない。
「それにあのぬいぐるみ、表面は※芋茎を使っていたので、それも今日の夕飯に使ったんです」
(※ずいきと読む。乾物にして、紐のようにすることもできるのが特徴)
「へえ、確かにゴミにしちゃうよりはいいよね」
そう言いながら私はスープをすする。
美味しい出汁が出ており、雨でぬれた私の身体を気持ちよく温めてくれた。
「その……アイネス王子はあまり賢い方ではないみたいですが……あ、ごめんなさい」
「ううん、事実だから。それで?」
「ええ。王子が送ってくれたおぬいぐるみが、食べ物で出来ていたのはありがたかったです」
なるほど、この気持ち悪いぬいぐるみはゴミではなかったのか。
もし飢饉が訪れたら、このぬいぐるみを持っている人たちにも教えてあげよう。
(……ん?)
そう考えると、私はまた疑問に思った。
……ひょっとして、アイネス王子はこういう使い方を最初から想定したのではないか?
いや、そこまで賢い人ではないだろう。
私はそう思いながら、話題に花を咲かせた。
「……ってことで、今は私、アイネス王子のもとで働いてるんだ」
「あら、そうなんですね」
「ところでみんなは、どうしてここに来ているの?」
「ええ、実は……」
そういうと、シスターたちはことの経緯を教えてくれた。
どうやら私が暗殺未遂の濡れ衣を着せられて国を逃げ出した後、そのことを理由に修道院を追い出されたとのことだ。
シスターの一人は、悔しそうな表情をする。
「ひどいと思いません? 私たちだって弓くらい使えます! 殿方のお力になれるというのに!」
「そうですよね……。なのに『女は引っ込んでいろ! 今すぐ出ていけ!』なんて。横暴だと思いません?」
「うーん……」
確かに横暴だが、あんな陸の孤島である修道院に、あんな荒くれ者共と寝泊まりをするなんて正気の沙汰じゃない。
私はそう思って、ぽつりとつぶやいた。
「別に、良いんじゃない? 戦争なんて、北部の男たちがやりたいんだろうし、勝手にやらせとけば」
だが、その発言を聞いてシスターは眉をひそめた。
「あの、聖女様? 前から思っていたのですが……」
「え?」
「聖女様は、殿方がお嫌いなんですか?」
そう言われて私は少し首を傾げた。
私は別に男嫌いなわけじゃない。
ただ、私は正直、恋愛であまり良い思いをしたことがない。
出来た彼氏はモラハラ男だったり自己中だったりして、いつもひどい別れ方をしてきた。
だから北部地方の兵たちのように野蛮で武力を誇るような男たちには良い印象を受けないのだ。
それがシスターにも伝わったのだろう。
「別にそうじゃないけど……。ただ正直、北部の男共はあまり好きになれないな」
「そう、ですか……」
それを聞いて、少し残念そうな表情を見せた。
「ですが、私たちが住むところがなく困っていた時に、修道院を立ててくださったのは、北部の兵隊さんでした。建物が傷んだ時の補修も、ずっとやってくださっています」
「え、そうなの?」
考えてみれば、あんな国境付近にあるうえに立地も崖に囲まれた場所に通常の土木作業で行くことは出来ない。
また、私が外で水汲みに行っている間に、兵士と思しき連中が壊れた道や外壁を修理していたのも思い出した。私はその姿を意識に留めてもいなかったんだと今更気が付いた。
「それに、あの修道院周辺は井戸水が出ないのですが……。上流の川から水を引いてくださったのも、北部の兵隊さん方でした。工事では何人も犠牲者が出たそうです……」
「そうだったの……」
それを聞いて私は少し恥ずかしくなった。
彼らは確かに野蛮な印象を与えるものたちだ。
だが、彼らは私があの修道院で『当たり前』に得ていた生活を提供してくれていたのだ。しかも人的被害まで出して。
……そもそも、属性で相手を十把一絡げにするのは最低な行為だ。
それに私が彼らに悪感情を持つのは、親にバカ高い留学費を払わせておきながら、それに感謝もせず「うちの親ってダサいから嫌いなんだよね~」とほざいていたクラスメイトと同じだ。
「……そうだね。ごめん。私が間違ってたよ」
「いいんです。それに、そもそもこの土地で、兵隊さんの多くは……」
「うん」
だが、そこまで言って口ごもった。
「い、いえ。この話は食事中にするべきじゃないですね。……とにかく悪いのは、あの暴君フォブス王子だけです! ね? あの男が、無理な命令を彼らに命じたのが悪いのです!」
「ああ、それだけは同感だね」
そう、悪いのは北部の兵ではなく、彼らをこき使っているフォブス王子だ。
ポケットに潜ませた護身用……という名目の暗殺用のナイフを私はこっそり触りながら思う。
そして私達は、フォブス王子の悪口に花を咲かせながら食事を続けた。
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