1-3 無能王子は公務をサボって魚釣りに行ったようです

次の日。

私はゆっくりと目を覚まして道化師のメイクをした。


「さて、今日から頑張らないとな……」



なんにせよ、まず私がやるべきことは、この職場での信頼を得ていくことだ。

フォブス王子の奴に復讐を行うためには、十分な根回しをしなければならない。



……だが、その前に腹ごしらえをしなくては。

朝食の時間は事前にアイネス王子に伝えられている。確かもうすぐだったはずだ。

そう思って私は食堂に向かった。



「おはようございます」

「ああ、おはよう。……あんたが新入りのライアか。よろしくな」

「はい、よろしくお願いします!」


私はなるたけ愛想よくしようと、厨房にいたコックにそう声をかけた。


「ほら、あんたの分だ」


そう言って男から手渡されたのは、黒パンと野菜クズのスープ、そして薄いベーコンが1枚だけだった。


……これっぽっち?

そう言おうとしたがコックの男は笑みを浮かべ、


「あんたも運がいいな。朝からパンと肉が食える日に、うちの王国で雇われるなんてな!」


と言ってきた。

……よくよく見ると、周りの人たちはこの料理を見て、みな嬉しそうな表情を浮かべている。薄いベーコンをナイフでちまちまと切りながら、大事に大事に食べている。


それを見て私は、


(ひょっとして、私は勘違いしていたんじゃ……)


そう感じ始めていた。

今まで私は、シスターたちとの生活は『貧しくも楽しいもの』であり、そして婚約後の生活を『女だからと差別され、粗末な食事を出されていた』と思っていた。


……だが、治安の落ち着いたこの地域ですら食事はこんなものだとしたら、北部での栄養事情など推して知るべきだ。寧ろシスターたちの食事は、豪華な方だったのかもしれない。


そう考えていると、王女カリナもやってきて食事を手に取った。

どうやらこの地方では、王族も同じ食堂で臣下と共に食事をとるようだ。


「おはようございます、ライアお姉さま?」

「あら、おはようございます、カリナ姫」

「フフフ、姫なんて恥ずかしいですわ? どうか私は、カリナと呼んでください」


王女様から呼び捨てで呼んでいいなどと言われると恐縮するが、決して悪い気はしない。

やっぱりこの子は可愛い。


身分は違うが、一応私は『聖女』だ。

いつかその立場を伝えられるようになれば、この子とは主従でなく『お友達』になれるかもしれないと思いながら、私は答える。


「ええ、ではそうしますね、カリナ。……おや、お食事は私と同じなので?」

「そうですわ? ……今日は朝からお肉が出るなんて、良い日ですわね?」


カリナもそう嬉しそうに答えている。


……やはりそうだ。

つまり、私の考える『貧しい生活』は、この時代では寧ろ『豊かで恵まれた生活』だったのだろう。


まさか、北部地方で三食食べられていた私は、フォブス王子に便宜を図ってもらっていた? と一瞬思ったが、すぐに考え直した。


(まさかね……。だって、フォブス王子はきっと、美味しいものを食べてたはずだから!)


私はフォブス王子の食事場面を見たことがない。

きっと、王子に限っては私と違って美味いものをたらふく食っていたはずだ。


そう思い直し、私は一口パンを齧った。



(う……なんだこのパン……全然ダメじゃん……というか、焼き方がひどすぎ! 素人じゃないの、ここのコックは!?)



材料の質が悪いのは仕方ないにしても、正直コックの腕が悪い。

そう思いながらも食事をしていると、カリナが声をかけてきた。



「……ところでね、ライアさん。早速今日、あなたに頼みたいことがありますの」

「頼みですか? ええ、何なりと。何でもお聞きしますとも! やるとは言っていませんが!」



私は柔軟な体を生かし、そう言いながらステップを踏んで見せた。

確か、道化師ベラドンナはこんな感じでおどけて見せていた。

しつこいくらいまとわりつかれていたのが、こんな形で役に立つなんて、と思いながら私は頷いた。



「あら、流石道化師さんですわね? その柔らかさ、憧れちゃいます……」


そういうとカリナは笑えって暮れた。

……人を笑わせるって言うのも、案外楽しいものだな。



「それで実はね。お兄様がまた、お忍びで出かけてしまったのよ……」


それを聞いて、私ははあ、と思った。

フォブス王子は確かに暴君だったが、少なくとも公務を抜け出すようなことはしなかった。

その意味では、弟も弟なんだな、と感じたからだ。


「アイネス王子が、脱走したと……」

「フフフ。……そうですわ。多分ここから東にある川に釣りに行ったと思うの。……悪いけど探しに行ってくれませんこと?」

「わっかりました! では、食事が済み次第すぐにでも!」



なるほど、宮廷道化師は基本的に王子の傍にいることが多い。

だから、そんな仕事もさせられるんだな。

そう思いながらも私は食事の後、城を飛び出した。




私はカリナから教わった場所を地図で調べた。

幸いここからそんなに離れておらず、徒歩で20分くらいでそこにたどり着いた。



そこにはアイネス王子がおり、何やら楽しそうに農夫たちと談笑しつつ釣りにいそしんでいた。

聞き耳を立ててみると、




「今年の作物はどうも実があまりつかなくてねえ。大変っすよ」

「最近なんか水量が減ってるんすよね。日照りでもないのにおかしいっすよね」

「去年は確か、6月くらいに洪水が来たんすけど、今年はどうっすかねえ……」



といった、農夫の人たちがよくやるような、どうでもいい世間話だった。

公務をサボってこんなところに居るのを見て、私は思わず怒りが込み上げてきた。



「アイネス王子! なんでこんなところにいるんですか!」

「え? ああ、すまんな、ライア。今日は魚が沢山いるような気がしたから、ちょっとな」


そう言いながらアイネス王子は釣り糸を引き上げた。

……というか、坊主じゃないか。私はそれを見て、道化らしくおどけて見せた。


「いやあ、流石! バケツの中は魚は一杯! ただ残念なのはその魚、『バカには見えない魚』のようで!」


そう言うと、周りにいた農夫たちも私の皮肉に反応し、楽しそうに笑う。


「ブハハハハ! 面白いな、道化師の嬢ちゃん!」

「そうそう、アイネス王子って、ほんっとに釣りが下手なんすよ!」


そこで一応フォロー交じりに皮肉を言ってみる。


「多分王子は、公務のことをずっと考えておいでだったのでしょう?」

「ハハハ、そんないじめないでくれないか、みんな」



そう言いながらも、アイネス王子はどこか楽しそうだった。

……うん、この王子はこういう「からかい」は楽しく反応してくれるタイプだ。あの暴君フォブス王子にこんなことを言ったら、私の首はそこに転がっていただろう。



「ライアさん。実は王子ね、下手なくせにほんっと魚釣りが好きなんすよ!」

「そうなんですか?」

「ええ。見てくださいや、この川! すっごい真っすぐでしょ?」

「え? そうですねえ……ですが、地図ではもっと曲がっていましたよね?」



私はここに来る途中に何度も疑問に思っていた。

……このあたりの川は、地図ではもう少し曲がりくねっていたはずだ。

だが、どうみてもこのあたりの川は真っすぐだ。


そして、川沿いには、やたら大きな広場がある。確か地図にはこんなものはなかった。

それを見せながら、アイネス王子は自慢げに答える。



「いいだろう? どこでも釣りを楽しめるように川をまっすぐに! そして、釣りをする時、ついでにキャンプができるよう、去年広場を作ったんだ!」

「まったく、その為にあっしら、凄い働かされたんすよ! まあ稼ぎは良かったっすけどね……」



なるほど、この王子様はアホだ。

そんな自分の趣味のために一体いくら使ったのだろう。

だが、そんな風にバカにされるのもかわいそうだ。王子をフォローするのも私の仕事なのだろう。



「流石は趣味に生きる王子! そんなくだらないことに公費を投じるのは、王子の善政あってのこと! われらはそれを誇りましょう!」

「……そうじゃな……」



そう、1人の年老いた農夫はニヤニヤと笑っていた。

彼はこのグループの中ではリーダー的な立場にいるのだろう。


……彼のこの表情には見覚えがある。


確か道化師ベラドンナが『この男の凄さは私だけが分かっている』と言わんばかりに浮かべていた笑みと同じだ。

……まあ『無能王子』と呼ばれる、このアイネス王子に限って、そんなことはないだろう。



「……ほら、アイネス王子? 今日はこれから南方の『ウィザーク共和国』から使者が来るんですから、早く戻りましょ?」

「え? ……あ!」


ああ、やっぱりこの王子、予定を忘れていたのか……。


「教えてくれてありがとう、ライア! ……早速戻ろうか!」



そう言うとアイネス王子は慌てて立ち上がる。……が、


「うわあ!」

「なにやってんすか、バカ王子!」


そういって川に落ちかけるのを農夫に助けてもらっていた。


まあ、ちょっと情けないけど悪い人ではないんだな。

……顔も滅茶苦茶タイプだし。


そう考えると、私はこのアホな王子に少し好意を持った。

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