前編:「愚かな君主」アイネス王子と可愛い妹カリナ
1-1 聖女は道化師に化けて関所を抜けたようです
それから私は数時間ほど街道を走った。
幸い、私のことを追いかける姿はない。……どうやら巻いたようだ。
「これから、どこに逃げよう……」
月明かりの下で野宿をしながら、私はぽつりとつぶやいた。
幸い、私が盗み出したこの道化師の服は、野外活動に適したもののようだった。その為、野宿はさほど苦にならない。
また、テントや火打石、水筒や食料、生理用品などの旅の道具は枯れ井戸の近くに置いてあった。
恐らく『緊急時の持ち出し用』なのだろうと判断した私は、それを拝借した。
(そういえば……以前道化師ベラドンナが言っていたな……ネイチャランド南部は『無能王子』が統治していて、安全だって……)
無能な王子が統治している、ということが少し引っかかったが、少なくともあの『男尊女卑のクソ野郎』が統治しているネイチャランド北部よりは幾分マシだろう。
それに、北部に比べるとはるかに治安が落ち着いており、女性が暮らしやすい地方であるとの話も、道化師ベラドンナから聞いている。
(南部、か……)
私は地図を開いて、確認した。
これも枯れ井戸の近くに置いてあったものだ。
「えっと……現在地はここだから、南部に行くには関所を通るしかないかな……」
どうやら、目的の南部地方に行くためには中央にある関所を抜ける必要があると分かった。
基本的に関所は、旅芸人や巡礼者などの職に就いているものは比較的通りやすいことは、元の世界の歴史の授業で学んでいる。
道化師の装いを身に着けた私の格好は「旅芸人」でも通るはずだ。
……元の世界に居た頃は『学校の授業なんて、将来なんの役にも立たない』なんて思ってたが、こんなところで役に立つとは思わなかった。
(けど、これは時間との勝負かも……)
私は道化師の服装をしているため、関所を抜けられる可能性は高い。
……だが、もし私が『フォブス王子毒殺未遂事件』の濡れ衣によって指名手配されており、かつ私の変装が見破られたら、もしかしたらそこで旅は終わるかもしれない。
しかし、このあたりの山は険しく雪も積もっている。
関所を迂回するような無謀なことは出来ない。
手配書が関所に回る前に、大急ぎで国境に向かおう。
そう思い私は眠りについた。
それから数日の後、私は関所に到達した。
関所には恐ろしく険しい顔をした男が槍を持っており、通行する客を厳しくチェックしていた。
私は少し離れた林の中で様子を見ていた。
すると、1人のみすぼらしい男が南部に渡ろうとしていたようだった。
「すみません、南部にわたりたいのですが……」
「お前の家族が南部に居るのか?」
「いえ、いません……南部なら仕事があると思って、わたりたいのです……」
「なら、お前は長男か? あるいは妻子がいる身か」
「いいえ。独り身です……」
「男か? 悪いがここは長男と既婚者以外は通れない。独身の次男坊は残ってくれ」
「……はい……」
男はすごすごと帰っていった。
どうやらこの国境は『南部から北部』への移動は優しいが、逆は難しいようだ。
さらに口ぶりからして、長男や既婚者以外の男性は抜けることすら難しいことが分かる。
……だが、逆に言えば女性である私は、南部に下りやすいということだ。
私は道化師の変装を完璧にするべく、顔にたっぷりとおしろいを塗った。
幸か不幸か、道化師ベラドンナはしつこいくらい私の顔を覗き込んでいた。そのせいもあり、道化の化粧がどんなものかは、ある程度理解していた。
「ふんふんふん……」
私は鼻歌を歌いながら、出来る限り素知らぬ顔をしながら関所に近づいた。
……幸い、関所の『お尋ね者』のリストの中に私の肖像画はない。
関所の男は、私に尋ねてきた。
「お前は旅芸人か……。女か?」
「え? そ、そうですよ、おほほ……」
「そうか。なら通れ」
そう言って男はあっさりと門を開けてくれた。
(よかった……。まだ、私の手配情報は回っていなかったみたいね。ここを抜けたら、多分少しは安心かな)
そして私は南部に渡った。
そしてさらに数日が経過した。
私はネイチャランド南部に広がる街道を歩きながら、住民たちを見た。
どうやらこちらは北部に比べるとはるかに人心が落ち着いており、身なりも少しは良い。
また、北部より明らかに女性の比率が高い。……これは恐らく関所が男性の南下を阻んでいるからだろうと感じられた。
「……そろそろ、お金がないな……」
枯れ井戸近くで拝借した食料は、関所を出る手前あたりでそこをついた。
その為近くの村々で食料を購入していたが、どの村落も食料はあまり余裕が無いらしく、期待したほどの量を購入することが出来なかった。
値段についても「足元を見る」というほどではないが、全体的に割高な値を付けられてしまったこともあり、すでに路銀は底を尽きかけている。
そんな時に、私は村で羊飼いをやっていたであろう少年に声をかけられた。
「あ、旅芸人さんだ!」
「ほんとうだ! すごーい! はじめてみた!」
そう言って彼らは私のもとに集まってきた。
……そうだ、折角旅芸人の格好をしているのだから、それで生計を立てるのも悪くない。
そう思った私は、
「そうだよ、今から30分後にここで芸をやるから、みんな来てね?」
そう答えた。
そして30分後。
この村には娯楽がないのだろう、どうやら20人くらいが来てくれたようだった。
「おお、旅芸人さんか……」
「何でもいいからやってみろよ~!」
「失敗しても気にすんな~!」
そう、私に対して暖かい声をかけてくれた。
やはり、南部の人たちは男女を問わず穏やかな人が多いようだ。
(さて、なにをやろうかな……)
旅芸人の演目は様々だ。
歌を歌うこともあれば踊りを踊ることや、手品や大道芸をすることもある。
また、時には政治批判を行うなどによって、注目を集めることもある。
(けど、やっぱり私は……昔の経験を活かそうかな)
そう思い、私は近くの少年に声をかけた。
「ねえ、坊や。そのボール借りていい?」
「え? うん、いいよ!」
そして私は、新体操の「ボール」の動きを披露した。
(久しぶりだな、新体操を踊るのも……)
この時代にゴムなんてものがあるわけなく、ボールは上手に跳ねない。
そこで私はそのあたりの動きをうまく省略しながら踊ってみた。
「ふーん……」
「なるほど……」
私は元の世界では新体操部で活躍していた。
その中でもボール種目は割と得意な方だ。
「やるね……」
「まあね……」
だが、私を見る彼らの反応は、薄かった。
『素人芸』と揶揄されるほどではないが、やはり大学生レベルのダンスに金を出すというのは難しいのだろう。
私は少し危機感を覚えながらも、その演目を最後まで終え、お辞儀をした。
「うん、頑張ったな」
「良かったよ、道化師さんの踊り」
彼らはぱちぱちと気のない拍手と共に、そう言ってくれた。
そもそも『新』体操と言うように、この種目自体が出来たのも、私たちの世界ですら最近だ。
ただでさえ『踊りで金を貰う』というのは難しいことであることに加え、中世の感性を持つ彼らには理解が難しいというのもあるのだろう。
……観客たちは、私の踊りを『期待外れ』と思ったのは見ただけで分かる。
「……さて、農作業に戻るか」
「そうだな。……頑張ったな、道化師さん」
彼らはそう言うと、去り際に申し訳程度に銅貨を数枚投げ入れてくれた。
『楽しかった』と一言も言ってくれていないことに私は少し気持ちが落ち込んだ。
……それに、これだけでは今日のパンも買うことが出来ないだろう。
「はあ、なーんか、地味だったよな」
「そうそう。もっとさ、火を吐いたりナイフを投げたりとか期待したんだけどなあ……」
一方の子どもたちは正直だ。
そう言いながら彼らはお金を出さず(そもそも持っていないのだろう)去っていった。
やはりこういう場で受けるのは踊りなどよりも、分かりやすい手品や大道芸だろう。
こんなことなら、元の世界でもっと手品を勉強しておくべきだった。
「はあ……これからどうしよう……」
そう思いながら、私は思わずため息をついた。
どうやら、ここの農夫の人たちは優しい方が多い。『雇って欲しい』と言えば仕事をくれるかもしれない。
だが、それは私がメイクを落とすことが前提だ。
いかにも『正体を隠しています』と言わんばかりの(まあ実際そうなのだが)、道化師のメイクをした私を雇ってなどはくれないはずだ。
そして気が付いたら、その場にはローブを羽織った男が一人残っているだけだった。
その男はその外見にそぐわない明るい声を出した。
「素晴らしい踊りだった! 斬新で、かつ見たこともないしなやかな動き、今日は来れてよかった!」
「え、いえ、そんな……」
その口調にリップサービスが含まれていることは分かる。
だがそれでも、私にそう褒めてくれたのは嬉しかった。
「そなた……名前はなんて言うのだ?」
「え? えっと……ライアですけど」
いくら何でもここで本名を答えるほど私はマヌケじゃない。
私がそう偽名を答えると、そのローブの男は尋ねる。
「ではライア殿。歌は歌えるか?」
「歌、ですか……」
歌なんて最後に歌ったのはいつくらいだろう。
元の世界で音楽の授業の時に歌ったくらいか。
「一応は……」
そういうと、そのローブの男は銀貨を何枚か出して、訊ねてきた。
……これだけあれば、数日は生活に困らなそうだ。この男は金持ちなのか?
そう思っているとローブの男は、優し気な笑みを浮かべて銀貨を私に持たせた。
「ではこれで、なにか歌って欲しい。……テーマは『王国の問題について』だ。即興で頼む」
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