第25話 さもバレたかのように言うと信じてもらえる件


 エマと二日間の冒険を終えた誠司を待っていたのはトラック運転手としての日常だった。


――身体が重たい。馬車の固いイスに座った休日なんて休んだ気にならんな……。


 腰を擦りながら誠司は会社の倉庫の中を歩いていた。


 広大な倉庫は整然と並んだ棚と棚の間に冷たい静寂が漂っていた。薄暗い照明の下、無数の段ボール箱がパレットの上にきちんと積み上げられており、それぞれに規則正しく貼られたラベルが届けられる場所を示している。


 遠くで動くフォークリフトの音がかすかに聞こえ、時折作業員の足音がコンクリートの床を響かせた。


 倉庫の奥に行けば行くほど埃っぽい空気が鼻をくすぐる。


 天井の高いところに設置された大きなファンが機械的な音を立てながら回り続け、倉庫内の空気を循環させていた。


 巨大な倉庫全体が一種の沈黙を守り、外の世界の出来事とは隔離されているかのようだった。


「ですから! 私、今日は誠司さんと約束があってですね……」


 誠司が歩いているとそんな声が聞こえてきた。


「あれ? 里緒ちゃん、あんなおっさんのこと名前呼び?」


「誠司さんを悪く言わないでください! 優しいし、とってもいい人です!」


――声からして里緒ちゃんに古賀くんか……若者同士の恋路に介入する気はさらさらないんだが、ここで見つかると面倒な場面だな。くそ、ここの通路が通れない。早くよそに行ってくれないかな……。


 誠司は物陰に隠れて二人の様子を見守る。


「でも黒沢さんも歳じゃん。それより俺とも仲良くなろうよ」


「ですから……」


 そこで静かな倉庫内に不自然な音が響いた。何かが積み上げられた段ボールの荷物に打ちつけられたような音だった。


「ちょっと! やだ! やめてください!」


「え? いいじゃん少しくらい……ここには俺ら以外、誰もいないんだしさ」


「やだ! し、仕事中ですよ!?」


「仕事中じゃなければいいんなら、今ちょっとくらいいいじゃん!」


「ちょっ! 私そんなこと言ってません!」


――ああ、くそ。これ見逃せないやつかよ……。


 誠司はため息混じりに物陰から二人の前に姿を現した。


「あれ? 里緒ちゃん、古賀くん。どうしたのこんなところで」


「あっ! 誠司さん!」


 里緒は片腕をうしろの荷物に押しつけられて古賀に迫られている形だった。少し涙を浮かべるように安堵の表情を浮かべる。


「チッ!」


 反対に古賀は途端に鬼の形相で誠司を睨みつけていた。


「まーた黒沢さんスか。前に遠慮して下さいって言いましたよね?」


 里緒の手を離し、身体を正面から誠司に向ける。


 その隙に里緒はそそくさと逃げるように誠司の隣に並んだ。


「すまないね、偶然通りかかったものだからさ……」


「それだけじゃなくて。里緒ちゃんのこと、なーにちゃっかり名前で呼んじゃってんスか」


「それはまぁ……色々と相談に乗ってもらってるうちに自然と……」


「そういうのイラネっスから。どうせ口裏合わせでもしてるんでしょ?」


――そういえば、さっき里緒ちゃんは今日は俺と約束があるとか言っていたな。早速俺を理由に誘いを断ろうとしていたってことか。


「口裏? そんなつもりはないよ? たしかに今日仕事が終わったら軽く飲みに行こうとは話したりしたけど」


「そういうの、マジでいらないんで!」


 古賀は明らかに怒気のこもった声で誠司に詰めた。


――この調子じゃあ、里緒ちゃんも普段からだいぶ苦労してるんだろうな……。


 誠司がそう思ったときだった。


「誠司さん……もう会社で私たちの関係隠すの、無理じゃないですか……?」


 そう言って里緒が誠司に腕を絡めたのだ。


「ちょっ! 里緒ちゃん!? いったい何を言ってるのかな!?」


――そんな交際がバレたような言い方をしたら……って、まさか古賀くんにそう思わせるようにわざと言ったのか? ……なんて子だ!


 戸惑う誠司をよそに、さらに強く、胸を押しつけるように誠司の腕を抱きしめる里緒。


「……ね?」


 少し潤んだ瞳の上目遣いで誠司を見上げる里緒。


――ね? じゃなくて……まいったな、こりゃ。


 一時はあまりの展開に戸惑った様子を見せた誠司ではあったが、事情を察すればすぐに落ち着きを取り戻す。


――まぁいい。こうなったら下手に隠そうとするのも逆に怪しいか。


「すまないね古賀くん……黙ってはいたんだが、実はこういうことなんだ……」


――こういうこと、とは言ったが、どういうことかは言ってないから嘘ではないんだけど……すまないが、これで誤解して終わりにしてくれよ古賀くん……。


 誠司はそう言いながら抱きつく里緒の腕を解きつつ、さらに自分から里緒の肩を抱き寄せる。それにはさすがに里緒も目をパチクリさせて驚いていた。


 その誠司の態度があまりに手慣れたものだったからか、古賀は少し驚いた表情を見せながらも信じた様子である。


「マジかよ……」


 そして、それを腑に落とすとともに徐々に怒りをあらわにしていった。


「ありえねーだろ里緒ちゃん、こんなおっさん……」


 呆然と口に出した古賀に対し、肩を抱き寄せられて顔を真っ赤にした里緒は小さな声で古賀に言った。


「わ、私の誠司さんを悪く言わないで下さい……」


――私のって……俺は里緒ちゃんのものではないんだけど……ま、もういいや。どうにでもなれ。


 誠司はため息をつきながら気の毒な顔を古賀に向ける。


「これでもう、里緒ちゃんに付きまとわないでくれるかな……?」


「くっ……ため息なんかつきやがって……大人の余裕ってやつかよ。ふざけんな……」


 古賀は苦虫を噛み潰したような表情で悪態をつきながら二人に背を向けて、その場から離れるように歩き出した。


「ゼッテー許さねぇかんな、覚えとけよ、おっさん!」


 そう傍若無人に言い残して古賀は去って行った。

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