第20話 ダンジョンの入口
宝石の森の静謐な空間から一歩踏み出すと、景色は劇的に変わる。道は次第に険しくなり、森の緑が徐々に減っていく。
誠司たちの目の前に現れるのは壮大なグリモーリア山脈の連なる峰々。
山脈の巨大な岩壁が深い青と灰色の複雑な模様を成しており、険しい山々が空の彼方に突き刺さるようにそびえている。
「馬車はここの野営地まで。あとは歩きだけど、いいよね?」
「構わない。目的地まではどれくらいだ?」
「セージ次第だね。アタシについて来れれば一時間。険しい山道でへばるならそれだけ遅れる」
「なら走って行こう。30分で着くか?」
「走……っ!? バッカじゃないの!? 山道を舐めんな!」
「舐めたら死ねるのか? こっちは時間が惜しいんだ……ムリなら方角だけでも教えてくれ、俺一人で先行する」
「協調性のないヤツぅ~! あぁもうわかったわよ! じゃあもうアタシも最速で突っ走ってやる! 滑落してもしらないからね!」
「望むところだ」
草木から岩肌へと姿を変えて狭まる道を進むにつれ、森の静けさは次第に風の音と共に岩の間に響く小さな滝の音に取って代わられる。
山脈の入り口に近づくと大自然の厳しさが増し、岩石の間には苔むした斜面が続いていた。
「登ったせいか、少し肌寒くなってきたな」
「はぁ!? こんな動いてんのにアンタなんで寒くなんのよ!?」
「いや、実際に気温は下がってきただろ?」
「フツーは走ってりゃ体が暑くもなるでしょ!?」
「そうか……そういえばそうなるな。無理ならペースを落とすか?」
「このぉ……すました顔しやがって。ゼッテー置き去りにして泣かすっ!」
エマはますます速度を上げて山道を駆け上がったが、結局は誠司を引き離すことはできないまま、目的地へと辿り着くことになった。
「くっそ~……アンタ、なかなか速いわね……」
「そりゃどうも。それよりもSPはこの辺りにあるのか?」
「SPじゃなくてダンジョンでしょ! ほら、そこの茂みに……」
エマが指し示す方向にあった草木の茂みを除けると、目に飛び込んでくるのは空間に裂け目のように開いた歪みである。
その亀裂はまるで別世界への入り口であるかのように不自然な歪みを生み出していた。
歪んだ空間の内外には魔素の微細な粒子が舞い、周囲の空気がその不気味さを物語っていた。
「これがダンジョンの入り口か」
「そ」
「中はどうなってんだ?」
「ダンジョンによりけりかな……遺跡のような感じだったり、洞窟のようだったり、火山や氷山みたいな自然系の地形もある」
「てことは、エマはまだこのダンジョンに踏み込んでないのか?」
「当たり前でしょ! 一人で乗り込むなんてリスク高すぎ!」
「それで一度クリスタリアまで引き換えしたって訳か……だが正直、俺一人いてもあまり変わらないと思うぞ……?」
「大丈夫。強さだけをみればセージは頼りになるだろうから。そのあたりはアタシ自身の見る目を信用してるんだ……でも、運悪く入り口からいきなりモンスターの巣だったら、アタシの代わりにエサになってよね」
誠司はため息をついた。
「ちなみに、入ったら出られない、なんてことはないんだよな」
「たぶんね」
「たぶんかよ……」
「しかも入ってみて雪山だとか砂漠だとか、環境的に攻略不可だと思ったらまた引き返す必要がある」
「馬車で二日の距離だが、それを最悪、内部を確認しただけで帰るのか?」
「当たり前でしょ! アンタねぇ……こっちは命賭けてんのよ?」
「ふむ……」
誠司は少し考え込んだあと尋ねる。
「とりあえず、この空間の裂け目から入ればいいんだな?」
「そうだけど?」
「なら早いとこ入ろうか」
「わ! アンタちょっと! もうちょっと心の準備とかないわけっ!?」
「死ぬ準備ならもうとっくにできてる」
言うが早いか誠司は空間の裂け目に自分の身体を擦り込ませていた。
「おぉ……これは転移魔法に近い感覚だな……」
誠司は自分の周りで歪んでいく景色を見回しながら淡々と感想を述べた。
「まさかいきなりモンスターの巣に放り込まれるなんてことはないかとは思うが……一応、警戒しておくか」
誠司は剣を構えて空間の歪みが収まるのを待った。
やがて周りの風景が入れ替わるように、徐々にダンジョンのものらしき様相になっていく。
「な、なんだ? これがダンジョンなのか……?」
そのダンジョンはまるで生きた巨大な生物の体内であるかのようだった。
壁は湿った肉のように赤黒く、脈動するように微かに動いている。
「思ってたより気持ち悪いな……」
壁に触れると温かくぬめり気があり、まるで肉を触っているような感触がある。
天井には無数の管が絡み合い規則的に鼓動を打ち鳴らす。それはまるでダンジョンの血管であり、その中を血液が流れているかのようだった。
「これはグロいな……女の子のエマには少しキツいんじゃないかな」
足元はぬかるんでおり、歩くたびにぐちゅぐちゅと嫌な音が響く。
所々に存在する水たまりはただの水ではなく、どす黒い液体が蠢いている。
空気は重く、湿っぽい匂いが鼻を刺し、吐息すらも生温かい。
「お~いセージ~。一人で先に行かないでよね~?」
やがてエマも覚悟を決めたのか誠司が転移してきた地点に姿を現す。
「お宝を独り占めしようったってそうはいかないんだから……って、セージはどうせSPしか興味ないか~……って、んん?」
ダンジョンの様子が明らかになるにつれ、次第に顔色が変わっていくエマ。
「いぎゃああぁぁ~っ! な、なにこのキモいの~!」
エマは途端に我を失って誠司に飛びついた。
「やだ~! こんなキモいダンジョンやだぁ~!」
誠司はといえば美女であるエマに抱きつかれたというのに少しも動じないばかりか呆れたようにため息をついた。
「おいエマ、静かにしてくれ。騒いでモンスターが寄って来たらどうすんだ……俺はそれでも構わんが」
誠司に咎められてエマは咄嗟に口をつぐむ。
「……ごめん。アタシとしたことが……こんなのでA級とか幻滅した?」
「誰だって苦手なことくらいあるさ」
「なんだよ……おっさんのくせに……冷静に気の利いたこと言いやがって……こんな可愛いエマちゃんに飛びつかれたんだからもっとドキッとかしたらどうなんだよ~……」
エマは少し頬を赤らめつつ、ふてくされたように誠司から視線を逸らした。
「ははは……まさかお化け屋敷でキャー! みたいなイベントをここで体験するとは思わなかったな」
そんなエマにまったく関心を示す様子もなく、誠司は誠司で苦笑いをしていた。
「お化け屋敷って何……? ゴースト系のダンジョンかなんかなの……?」
「いや? お化け屋敷っていうのは……」
そこで異世界に繋がる情報であることに気づいた誠司は続きを言うのをやめた。
「待て。今はそんな馴れ合いをしている場合じゃなかったな……動きにくいからまずは俺から離れろ」
誠司は飛びつかれた腕を振り払うようにエマをどける。
「う、うん……」
「まずは状況の確認からだ。俺はダンジョン自体が初めてだからな……」
誠司は辺りを見渡して言う。
「まずダンジョンの様相についてだ。先ほど聞いていた遺跡や洞窟、自然系のダンジョンとも異なるようだが、どう見てもそれは間違いないよな」
「そうね……こんなダンジョン、まるで……」
「生き物の胎内のようだな」
「なんか気持ち悪いくらいに脈動してるし……本当に生き物の胎内だったりして……」
「そういうダンジョンもあるのか?」
「いや……少なくともアタシは聞いたことないけど」
「……どうする? 引き返すか?」
誠司に問われるとエマは表情を引き締めた。
「大丈夫。さっきは気持ち悪さで驚いただけ。進むに決まってるでしょ……もちろん退路を確認したらね」
そう言ってエマは侵入してきた地点を振り返る。そこには入り口と同じように空間の裂け目が存在していた。
「大丈夫。ほかのダンジョンと同じように出入りは可能みたいね」
「とりあえずは一安心と言ったところか」
「そうね……でも油断は禁物よ? なんせこんな生き物みたいなダンジョンは聞いたことがないんだから……どんなトラップがあるかわかったもんじゃない」
「なら余計に引き返す選択肢もありなんじゃないか? 慎重な
「バカにしないでよ? アンタそう言って自分だけ進むつもりなんでしょ」
「そうだな、俺は進むぞ」
「なら、アタシも進むしかないじゃない。第一発見者の特権がセージに奪われるのは見過ごせないっての」
「ま、俺はどちらでも構わんがな」
誠司は適当に言いながらダンジョンの奥へ歩みだす。
「ちょっと待ちなさいよ! どっちに進むかわかってんの!? ちゃんとマッピングできるんでしょうね!?」
「ん? マッピング? なんだそれ」
振り返った誠司の真面目な表情を見てエマは重いため息をついた。
「まさかとは思ったけど……セージ、アンタ本当に探索の基本も知らないのね。ホントにどこのお坊ちゃんよ?」
「すまん……適当に進めばなんとかなるかと思ってたんでな」
――迷っても転移魔法があると思ってるから、そういうのが意識から抜け落ちてたな。
「エマ……悪いんだがガイドを頼めないか?」
「これ、お貴族さまの観光じゃないんだけど……?」
「代わりに出てきたモンスターはすべて俺が倒すからさ」
「それは単にSPが欲しいだけでしょうが」
「……バレたか」
エマはため息とともに大きく肩を落とした。
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