第19話 旅路の夜を明かす


 街道があるとはいえ森は暗くなるのが早い。街道には適度な間隔で野営に適した空間が設けられており、誠司たちを乗せた馬車は夕方になると早めに夜営の準備に取りかかった。


「じゃあ悪いが俺はここで離脱する」


 そんななか、誠司は手伝いもせずに軽く手を挙げて森の中に消えようとした。


「セージ、本当にひとりで夜を明かす気?」


「夜のお相手が務まらなくて悪いなエマ」


「バッ! そ、そんなんじゃ……! この変態オヤジ!」


「ははは。明日の朝には戻って来るよ」


「心配してやらないかんね! 魔物と遭遇して戻って来れなくなっても置いてくから!」


「おやおや。一人で新ダンジョンに挑むのが危険だから俺をパーティに引き入れたのに、A級冒険者さまがずいぶんと取り乱していると見えて本末転倒だなぁ」


「この! バカ! 死ね! 戻ってくんな!」


 エマの罵声を背中に受けながらも笑って誠司はその場を去った。


 そして誰の目も届かなくなったところで転移の鍵を取り出して魔法を行使するのである。




 誠司のスケジュールは充実している。現実世界での仕事としての目的地到達。そして仕事を終えたら屋敷に戻ってオリビアたちとの夕食。入浴時には隙あらばソフィアとニーナが乱入して来ようとするし、忙しいばかりだ。


 だがそれでも誠司の心が大きく揺れ動くことはない。淡々と表情を表面上で動かしても、その根底にある目的は自らの安楽死からブレることはない。


 その日、早めに寝室に戻った誠司はそこからさらに空島の家へと転移をした。


 そこにあるイースの言葉で書かれた本を確認するためだった。


「やっぱり思ったとおりだ。これらの本は親父が俺に必要な魔法を習得させるために残したものだったんだな」


 誠司は空島の家の本棚にある魔導書を手に取り、一冊一冊、次々と本を開いていった。それほど誠司が魔法を習得するのは本当に簡単なことだったのだ。


「魔法ってのはすごいな。引き継ぎのときもそうだったが、本を開くだけで習得できるだなんて便利なもんだ」


 ステータス画面を開きながら、魔導書を開くたびに追加されていく魔法名を見て半分呆れたように笑っていた。


「しかもたぶんこの魔法たち、普通に使うには強すぎるくらいの魔法なんだろうな。ちょっと試し撃ちしてから帰らないと」


 誠司は一つの本棚にあった魔導書を全て開き、その習得を終えた。


「あんまりステータス画面に魔法名が並びすぎても逆に覚えきれないからな。残りの本棚にある分は少しずつ習得していくか」


 ため息をつきながら笑う。


「今の俺の魔力量では撃てない魔法なんだろうが、装備したチートアイテム、メビウスのタリスマンのせいで消費MPが0になって撃ち放題とか、バランス壊れてんだろ……」


 誠司は渇いた笑いを漏らしながら家を出て、誰もいない空島の草原で魔法を放つ構えを取る。それが正しいかは別として、両手を前に突き出したそれっぽい体勢だ。


「とりあえずヴォルカニックストームだ!」


 誠司が発声すると少し離れた位置に誠司の想定を遥かに超える規模の噴煙が巻き起こる。


「うわ……やっぱり試し撃ちして正解だった。逆にこっちが危ないレベルの威力だ。どうせほかの魔法もこんな感じなんだろうけど」


 苦笑いとともに肩を落とした。


「エマにも言動が怪しいと言われたことだし、しばらく魔法のことは伏せておいたほうがいいのかも知れないな」


 誠司は自分の手を見つめた。


――これがいわゆる異世界チートってやつなんだろうが……それでも俺の心には響かない。SPを効率良く貯めて死ぬための手段にしかならない。俺もメンタルもいよいよ末期だと自覚してしまうよ。


 誠司は苦笑いを浮かべたが、すぐにまたハッと我を取り戻す。


「おっといけない。何も言わずに屋敷を抜け出して来たからな。早いとこ練習を済ませて帰らないと」


 誠司はそれから淡々とほかの魔法も試し撃ちをしてから空島をあとにした。




 翌朝、屋敷の寝室で優雅に目覚めた誠司はすぐに異変に気づいた。


 自分の両隣にソフィアとニーナが眠っていたからだ。


「ソフィア、ニーナ……君たち、何をしているんだい?」


 その声で目を擦りながら二人は目覚める。


「旦那様こそ、昨夜はこっそりお部屋を抜け出してどこに行ってたニャ」


「ダメだよニーナ。朝はまずおはようございますでしょ?」


 二人の反応に誠司は呆れた顔で言う。


「そうじゃなくて、どうして俺のベッドで寝ているんだい?」


 その言葉に両隣のソフィアとニーナはさらに距離を縮めて答える。


「だって、旦那様がどこかに行っちゃうと思って心配だったんだニャ」


「旦那様。もう黙って私たちを置いていかないでください……」


 誠司はため息をひとつ。


「そうか。ふたりとも心配してくれていたんだな、ごめんよ。……でも、女の子が勝手に男の人の布団に忍び込むのは、はしたないな?」


「大丈夫ニャ! ボクたち、もうとっくに心の準備はできてるニャ」


「だ、旦那様のお気に召すまま……どうぞですぅ」


 誠司は呆れた顔で二人の頭を撫でた。


「わかったわかった。次からはもう勝手に抜け出したりはしないから……ふたりとも、もうこういうことはしちゃ駄目だぞ?」


「はぁいニャ……」


「ごめんなさぁい……」


 ソフィアとニーナはシュンと小さくなった。


「それよりホラ。みんな起きて朝の準備でもしようか」


 誠司は二人を促してベッドから出す。


「オリビアさんが朝食の準備をしてくれてるかも知れないから、ふたりとも手伝っておいで」


「はーいニャ」


「わかりましたぁ」


 ソフィアとニーナはパタパタと部屋を出て行こうとするが、そこでベッドから起きようとしない誠司に気づき首を傾げる。


「旦那様は起きないニャ?」


「シー……ダメだよニーナ。失礼だよ?」


「もしかして旦那様、おっきくなってるニャ?」


「ダッ、ダメだよニーナぁ」


 二人の反応を見て誠司は額を抑えた。


 その後、誠司はブルーム親子と揃って優雅に朝食を済ませたあと、転移の鍵を用いてエマたちの夜営地まで向かった。




 朝露が輝く森の木々の隙間から姿を現した誠司を見てエマは呆れたような顔をした。


「アンタまさか本当に一人で夜を明かしてくるとはね……何やってんだか」


「すまないな。もう出発の準備ができていたのか」


「ちょうど終わったとこよ」


 誠司が近づいたところでエマはふと眉を潜めた。


「セージ、アンタ……なんか女の匂いがしない?」


「う……いや、その……気のせいだろ」


「色々と素性を隠してるし、女には興味なさげだし。実はセージ、男として振る舞ってる女だったりしない?」


「さすがにそれはない、俺は男だ」


「そっかぁ。おかしいな、アタシのカンが鈍ったのかなぁ? こんな森の中で女なんか買える訳はないし……」


――エマのやつ、なんか鋭いな。ここは話題をそらしておいたほうが良さそうだ、ちょっと怒らすか。


「エマこそ女の匂いがしないな。ちゃんと風呂に入ったのか?」


「ハァ!? こんな森の中にフロなんかある訳ないじゃない! てか、匂い嗅ぐなこの変態オヤジ!」


「ち、違う違う。別に嫌な匂いとは言ってないじゃないか」


 エマの顔はみるみる赤くなっていく。


「そーいう問題じゃなーい!」


 誠司はエマに突き飛ばされ、敢えてそのまま地に倒れ込んだ。


――ふう。なんとか誤魔化せたようだな。俺も歳なりにある程度の演技はできるもんだ。


 誠司は天を仰いで冷静にそう考えていた。


 その後の道中、馬車の中でもエマと誠司の距離は少しだけ広がった。

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