第12話 新しい生活
日本に戻った誠司は降って湧いた大金を手に入れて職を辞すでもなく、長距離トラックのドライバーを続けていた。
会社員を続けることにした理由は、世間からの繋がりを断つことで死ぬ気すら失ってしまう気がしたからだ。
ただし、思考の中心にあるものは完全にSPに置き換わっている。
イースでのSP稼ぎと日本での仕事を両立するために役に立ったのは転移の鍵だ。
日本各地の主要箇所を転移ポイントに一度登録しさえすれば移動時間が丸儲けである。いくら鍵によって生じる扉をトラックが通れないからといっても、そのときはトラックをマジック・クラッチに収納してしまえば良い。
こうして誠司は長距離トラックドライバーとしての移動時間を全てイースでのSP稼ぎに充てることが可能になった。
日中はイースで魔物を狩ってSPを稼ぎ、時間の節目に会社や目的地に顔を出す。そして退社後もまたイースでSPを稼いでお屋敷で寝泊まりする生活が始まった。
ある日、事務所に顔を出した誠司は事務員の女性に声をかけられた。
「黒沢さん。今日はずいぶんお早いお帰りですね」
女性の名前は
今年大卒で入社したばかりの新人で、黒髪のセミロングにタイトなスーツ姿が新米社会人としての初々しさをまとわせている。
しなやかな身体はスーツによって美しく引き立てられ、穏やかで柔らかい笑顔は品の良さと気品を際立たせる。彼女の瞳は聡明さと温かみが溢れる深い黒に輝き、ひとまわり歳の離れた誠司にも年代の壁を感じさせない親しみやすさだった。
――しまった。少し時間調整をミスったか?
「あ、あぁ……たまたま道が空いていてね」
誠司は正直に言えないぶん返答に困る。
「良かったです! それじゃあ今日はゆっくりと休めますね」
里緒はまるで疑った様子もなく笑う。
「ありがたいことにね」
「ここ最近、黒沢さん調子良さそうです」
「そう?」
「ええ。以前より顔色が良くなったような」
「そうかな、あはは……」
「もしかして彼女でもできました?」
――新人とは思えないほど食い込んでくる。
「やだなぁ和泉さん、あまりおっさんをからかわないでよ」
「え~? だって服装のセンスも変わったし、わりと当たってると思ったんですけど……」
服装のことなら装備した防具でもある天衣無縫が現実世界と異世界で行き来しても違和感のないように相応の服装に形を変化させていることもある。
――決して着替えるのが面倒とかではない。
「もしかして、似合わなかったかな?」
「いえいえ! すごく似合ってると思いますよ! 若く見えます」
「あはは……それ、ある程度歳を重ねると逆に子どもっぽいって聞こえるヤツね」
「も~! なんでネガティブに捉えちゃうんですか~」
「これでもおっさんの自覚はあるんだよ」
「そんなことないのに~」
「でも、若い子にそう言ってもらえると元気が出るよ、ありがとう」
「どういたしまして~」
「それじゃあ今日はこのへんで早めに上がらせてもらおうかな」
「は~い、お疲れさまでした~」
「はい、お疲れさま」
軽く挨拶を交わして誠司がその場を立ち去ろうとしたとき、向かいから歩いて来る若い男性社員の姿があった。
「おっと。黒沢さんチッス!」
彼の髪は派手な染色で華やかに輝き、派手なアクセサリーが身につけられていた。
鋭い眼差しと挑戦的な笑みが常に浮かび、着ている服も流行に敏感な若者らしいスタイルだ。
「やぁ。古賀くんもお疲れさま」
「いや~ホント疲れましたわ~。仕事ダリィ」
誠司の前で悪びれもしないで言ってのけ、その視線を誠司のうしろ、里緒に向ける。
「黒沢さん、ちっと退いてもらっていっすか? 俺、里緒ちゃんに用あるんで」
「お、おぅ……邪魔してすまないね」
「こちらこそサーセーン」
誠司が脇に逸れようとしたのを敢えてさらに除けるように身体を差し込んで古賀は里緒の机の前に躍り出た。
「里緒ちゃんお疲れ~」
里緒の机の上に手を置いて、強気な態度で古賀は言った。
「あ、古賀さん。お疲れさまです……」
里緒の表情は露骨に困惑していた。
「もう仕事終わりでしょ? どっかメシ食いに行こーよ」
古賀は身体を近づけながら強引に誘う。
「そ、その……今日はまだ仕事終わってなくて……」
「もう定時なのにな~。でもま、ちょっとなら待ってるからさ」
「すみません、今日はちょっと……」
「え~? 前もそうだったじゃん、今日くらい良くない?」
「ええっとぉ……すみません、会社では、あまりそういう話は……」
里緒はオフィスに残るほかの社員の視線を気にしていた。
しかしオフィスに残る社員にしても状況をわかっていながら誰ひとりとして里緒を助けようとはしない。
「ありあり。全然ありだよ。じゃなきゃ職場恋愛なんかしてるヤツ全員クビだって」
「でも……」
里緒は明らかに古賀の勢いに負けて断る言葉に詰まされていた。
――かわいそうに。ちょっと可愛い新人の女の子なら誰もが通る洗礼なんだろうけど……ワレ関せず、SP稼ぎ、SP稼ぎっと……。
同情を寄せつつも誠司が立ち去ろうとしたときだった。
「でも今日は誠司さんと……あっ!」
里緒はそんなふうに口走った。
――あっ! じゃないだろ。何そのうっかりいつもどおり名前呼びしてしまった感の演出は!
誠司はそう思ったが時既に遅し。
「チッ!」
古賀の怒りを含む視線は既に誠司に突き刺さっていた。
――くうぅ。和泉さんも意外としたたかな女の子だったか……巻き込まれてしまった……。
古賀の背中のうしろで里緒は誠司に向かって必死に手を合わせて謝っていた。
「黒沢さ~ん。離婚してさみし~のはわかりますけど、流石にひとまわり下の女の子誘うってのはどうなんすか~」
――あ~……めんどくせー……。
「いやいや、誤解しないでくれよ。ただちょっと、とある女性に贈る物のことで和泉さんに相談に乗ってほしくてさ……」
「里緒ちゃん、ホント?」
顔を里緒に向けて古賀は尋ねる。
里緒は勢いよくコクコクと縦に頷く。
「チッ!」
古賀はまた露骨に聞こえるように舌打ちをして誠司に肩をぶつけた。
「今日は引きますけどねー……次はもっと俺ら若い世代のことも考えてくださいよねー」
古賀はそんな言葉を残して荒い足取りでふたりの前を去って行った。
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