どうして魔王を殺さなかったのか

 快くひときれを差し出した。

 由真ゆうまは少し目を泳がしたが、誘惑に負けて口を開ける。

 アリスがノリノリで迫ってきたので、おとなしくケーキを飲み込んだ。

 やわらかな生地は噛むまでもなくほろほろと崩れて、優しい甘みが舌に広がる。

 ふわりと花が香るようなフレーバーが鼻腔びこうを突き抜けた。


うまいな」

「そうでしょう? ユウマも気に入ると信じていました」


 味覚が合うなんて運命を感じちゃいます。

 アリスはさらりと口にして、満面の笑みを浮かべた。

 三日月型の目に、弧を描く桜色の唇。

 頬はバラ色に染まり、顔はキラキラと輝いている。

 一瞬だけ薄汚い酒場の背景が崩れ、一面のヒマワリ畑に変わったように錯覚した。


 ありえないほどに美しい。

 国宝級かなにかかよ。


 思わず言葉を失い、見惚れてしまう。

 ぼうっと固まった表情の裏で心臓が脈打ち、体が熱くなってきた。

 気持ちを静める暇もなく鼓動こどうは加速し、視界がぐるぐると回りだす。


 彼女には申し訳ないが、今ので味の印象が吹っ飛んだ。

 なにより間接キッスをしたような気がして、落ち着かない。

 本当に勘弁してほしいのだが同時にたまらなくて嬉しくて、満たされた気になっていた。


「勇者ともあろうものがこんなところでなにをやってるんだか。いちゃつく暇があったら世界を救えっつーの」


 ムーディな空気に水を差すような声。

 いつの間にか令嬢の隣の席に若い女が座っていた。


 激しく赤い髪をツインテールにして、癖のある毛の先を肩に垂らしている。

 ミニスカートの隙間には暗闇が広がっており、見えそうで見えない。

 嬉しいよりも先に目のやりどころに困る。

 覗き込もうものならヒールで刺されそうで、ヒヤヒヤ。


 手前にはカクテルグラスが置かれており、ミントの爽やかな香りが漂っている。


「それとも昼間から飲んだくれ? みじめね」


 少女は猫の瞳を思わせる大きな目を細め、口の端をつり上げる。


「飲んだくれはそっちだろ。だいたい、あんた誰だよ?」

「え? まさか覚えてない?」


 急に時計の針が停まったように凍りつく。

 少女は表情を固め、凝視してきた。


「ベーベルよ、ベーベル」

「聞いたことないな」


 由真ゆうまの無関心そうな態度を見て少女は、眉をつり上げた。


「バカにするのも大概にしなさい! ミトラスブルクの戦いで会敵したでしょ!」

「あら、あなたも一月戦争に参加されていたのですか? お疲れ様です」


 今にも噴火しそうな勢いの中、アリスがナチュラルに話に入る。


「傭兵業を営んでいるのですよね。お若いのに自立しているなんてさすがです」


 令嬢がにこやかに語り出すと、少女は露骨にほおをゆるめた。


「まあ、やっぱりあたしの名は知られていたのね。しかも覚えてくださっただなんて、さすがだわ。それに引き換え役立たずの勇者は」


 声を低くしじとーっと、青年を見澄ます。


「人の顔を覚えてないばかりか、名前も答えられない」

「無茶振りやめてくれる? 自己紹介されてない内に名前当てるとか、無理だから」


 慌てて弁明を求めるも、人の顔を覚えられないのは事実だ。大きな口はきけず、黙り込む。


 それにしても一月戦争――例の弱い者いじめか。

 確かに軍服やサーコートにまじって、赤の服がぽつんといた記憶がある。


「印象には残っていたよ、多分」


 控えめな声で付け足す。

 目をそらした彼を追いかけるようににらみ、ベーベルは目を尖らせた。


「あの時はよくもボコボコにしてくれたわね」

「殴った覚えはないんだけどな」

「そりゃあ、顔も見ずに薙ぎ払ったらね!」


 顔をしかめながら声を荒げれば、広い額に青筋が立つ。


「勇者ってろくなことをしないのね。倒すべき敵は取り逃がすのに余計なちょっかいを出してきて、場を引っ掻き回すわ。アッシュ王国が加勢していよいよ追い詰めようって時に介入するとか、嫌がらせかなにか?」


 グチグチと文句を垂れる少女を観察しつつ、アリスは静かにドリンクを飲む。

 由真ゆうまも全く意に介していない。

 現状はベーベルの一人相撲だ。


 カウンターの前で空気を荒立てる三人。

 酒場は依然として騒がしいため、むしろ溶け込んでいるといったところか。

 店主は無言でコップを拭きながら様子を見守る。


「倒すべき敵って?」


 ぼんやりと尋ねる。


「魔王よ魔王」


 あきれたように目をつむった瞬間、酒場が静まり返る。

 後ろの席でびくんと誰かが肩を震わせ、別の客はイスから崩れ落ちた。

 皆、一様に目を張り詰めた顔でカウンターを見ている。注目を浴びたらしい。


 のんきにケーキにナイフとフォークを入れる令嬢の横で、青年は眉を曇らせた。


「ねえ、どうして魔王を殺さなかったのよ?」


 ベーベルはとがめるように聞いてくる。


「悪い人じゃなさそうだから」

「は?」


 冷めた顔で答えると、相手は低い声を出す。周りの温度が数度下がった。


「魔王だから悪いやつに決まってるでしょ。あんた、騙されてるのよ」


 笑う気すら失せたというように、真顔になる。

 赤い瞳は夕空よりも暗い色に沈んでいた。


「これだからぬるい勇者は。どうせならあたしを連れていけばよかったのに」

「嫌だよ。その口ぶりだと君、殺すだろ?」


 冷静に拒むとベーベルはピクリと動きを止め、カウンターのほうを向いた。

 かと思うと勢いよくテーブルに突っ伏す。

 オレンジ色のカクテルを入れたグラスが倒れそうだったので、とっさにアリスが救出した。


「えー、やだやだ。あたしが魔王を倒すんだもん」


 一枚板をぽかぽかと殴りながら、必死にぼやく。


「『傭兵ベーベル、いつでもあなたに身を捧げます』戦場に連れていくには都合がよすぎるのに、見捨てるとか意味分かんない。魔物が相手ならただでついていってやったのに」


 ベーベルはアリスからカクテルをひったくり、ぐびっと飲む。

 一気にグラスを空にして、カウンターに転がした。

 彼女の目はとろんとしていて、ほおに赤みが差している。明らかに酔っ払いだ。


「知り合いに『お前は帝国に魂を売ったんだ』とかののしられるし、お兄ちゃんはこのところどっか行ってるしで、もう最悪ー!」


 ベーベルは聞かれてもないことをべらべらと喋り出し、さらに酒をあおる。

 彼女の口調はふにゃふにゃとしている上に内容は支離滅裂。

 ところどころなにを言っているのか分からない部分がある。


 新手の拷問かと思いながら顔を引きつらせていると、唐突にあたりが静かになった。


 少女はすっと立ち上がるとポッケに手を入れ、握り込んだ拳を前に出す。

 グローブをはめた手を解けば、くすんだ色の硬貨が現れた。


「ほい、どうもありがとさん」


 コップ磨きを終えた店主が応える。


 会計を受け取ったのを確認して、ベーベルは歩き出した。

 赤いツインテールを揺らしながら、カウンターを離れる。

 軽装のミニスカート姿はアンティーク調の門を越え、きらびやかな街へ消えていった。


 バタンと戸が閉まったのを見届けて、由真ゆうまはようやく体から力を抜く。


「なんだったんだ、あれ」

「嵐のように去っていきましたね」


 アリスはスッキリとした顔で笑っているが、こちらはまだ衝撃が尾を引いている。

 戦闘をしたわけではないのに、どっと疲れた気分だ。


「あの娘なら時々、こっちにも顔を出すぞ。いいお客様だよ、全く」


 店主は真面目な顔で新しいグラスを磨きながら、口を動かす。


「傭兵として各地で依頼を募集しているようだからよ、たまには連れて行ってやれ」

「考えときます」


 生返事で流しかけて、先ほどベーベルが口走った内容が頭をよぎる。


 ――「ねえ、どうして魔王を殺さなかったのよ?」


 住民からしてすれば、魔王は悪。

 せっかく勇者が世界に現れたのなら、倒してきてほしいと願うだろう。


 しかし、由真ゆうまは手ぶらで帰還し、凱旋がいせんした。

 期待していた側からすれば、がっかりにもほどがある。

 もしくは戦いから逃げてきたと思われたかもしれない。


 悶々と考えていると気持ちが曇る。


「気にしてはいけません。あなたの行動は間違ってはいないのですから」

「そうだといいけど」


 うつむきながら頭をかく。


 魔王を見逃したことはいい。

 泣いている少女を殺すなんてマネは自分にはできなかった。

 たとえ小悪魔にだまされた結果だとしても、おのれの選択にいはない。


 だけど、勇者らしいことをした自覚がないのは確か。

 今も現実逃避をするように悠々と時間を潰している。

 本当にこのままでいいのだろうか。


 酒場の窓は曇っていて外の様子が伺えない。

 青年の心にも重たい影が垂れ込む。

 おのれの内に生じた念は誰にも届くことはなく、霧のように溶けて消えた。

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