花と水の都 ヴェルトゥ
魔王城がひそかに動き始める中、地上の民はなにも知らぬまま、平穏を
雲一つない晴れた空の下、街では上等な服装の者たちが談笑をし、十字路では行商人が元気よく行き交っていた。
誰もが穏やかな表情で顔を合わせ、のんびりとすれ違う。
「着ましたね、レグリス地域。アッシュ王国の東側です」
「へー、あと一歩で国境を越えられそうだな」
取り引きをする影や馬車に混じって、二人の男女が通り抜けようとしている。
小春日和の陽気に照らされながら歩みを進めると、フレッシュな草の香りが鼻をかすめ、爽やかな心地になった。
「勇者さん、お疲れ様です。魔物退治、頑張ってください」
「おう、どうも」
隣でロングスカートをはいた少女も優しげに手を振り、見送った。
メリヤス生地のチュニックを着てシンプルな剣を挿した青年の姿は、戦士の風格が漂っている。
さも、「今から大ボスとの決戦です」とでも言いたげな雰囲気を醸し出しているが、実際はただの観光だ。
ニートになったような罪悪感がこみ上げる。
今からでも働こうかと血迷いかけるも、冷静に考えると倒すべき敵がいない。
まあいいかと開き直り、足取りも軽やかに進む。
森と森の谷間のようなところであるため、空気が澄んで気持ちがいい。
枝を見れば鮮やかな色をした小鳥が止まり、可憐な鳴き声を奏でてくる。
まっすぐに土色の道をたどっていくと、三叉路に出た。
分岐点には立て看板。
木片がトンボの
「どうする? 僕はどっちでもいいけど」
「では東側へ――ああ、表記では南東ですね」
彼女が決めたのなら間違いはない。呼称も同じく。
すぐに
「おい、待ちな。そっちはエグザゴーヌの丘だぞ」
いきなり硬い声が耳に飛び込み、動きを止める。
首をひねって顔を向けると、シンプルなジャケットを着た男が立っていた。
「エグザゴーヌの丘って?」
なにそれ。初耳だ。アリスもピンとこない様子で首をかしげている。
「のんきなもんだよ、全く。とにかくそこは危険だ。近づくんじゃねぇぞ」
ろくに説明もせずに、通り過ぎる。
もったいぶられた印象で
街道の向こうへ遠ざかる無個性な背中を目で追い、
「なんだよ、なにがあるんだよ」
由真はせっかちに身を乗り出しながら、遠くを見据える。
「なあ、行ってみないか? 僕たちなら大丈夫だし」
「いけません。禁忌かもしれませんよ」
「ああ、そっちもあるのか。じゃあ、やめとこう」
アリスに叱られてあっさりと引き下がる。
仕方がないと踵を返し、改めて看板を見た。
西のルートはまだ道が続くが、南のルートは即行で街に着く。一番下の道標には《ヴェルトゥ》と街の名前。
ちらりと隣を向くと彼女も同じ場所を見ていた。
「行きたいか? ヴェルトゥ」
「もちろん! 花と水の都で有名なところですよ」
「じゃあ、そこにするか」
簡単に決め、二人は歩き出した。
ぼんやりと進み続けて数分、由真は気の抜けた顔で足を止める。
いつの間にか入り口が見えていた。
バラのアーチの向こうには運河が築かれ、清らかな流れが別の川へと注がれている。
両脇にはカラフルな木骨造りの民家が建ち並んでいた。
エレガントの装飾が施された窓辺にはゼラニウムが咲き、爽やかで華のある香りが全体を包んでいる。
「まあ、なんてかわいらしい街。おとぎ話で読んだ通りです」
アリスは踊るように街の奥に足を踏み込む。
「おーい、案内を忘れないでくれよー」
広場は穏やかな日差しに照らされ、神殿のように輝いていた。
全面に石畳が敷き詰められ計算された配置が、花の模様を作っている。
中央にはおしゃれな噴水があり周りをぐるっと囲むように、ベンチが置かれていた。
「また戦争ですの? 帝国も懲りませんわね」
「アドラー王国とはいつになったら、仲直りするのかしら」
レースの日傘を差した貴婦人が白い鳩に餌をやりながら、話をしている。
「私たちの国は平和でいいわね、おほほ」
にやけた口元を絹の扇で隠す。
貴族はのんきだ。
つい先日イノセンテと一触即発になりかけた上に、先の戦争に同盟軍としてアッシュ王国も加わっていたことを忘れている。
「ところで例の戦争に勇者様も現れたみたい」
「まあ、さぞ優れた活躍を」
声を弾ませて盛り上がる。
話を聞き流し貴族のそばを通り過ぎる由真。
真横に令嬢がぴったりとついてくる中、青年は真顔で歩き続けた。
路地へ足を滑らせると秘密のアジトのような見かけの店があった。
古びた門を開いて中に入る。
飴色の床の上に踏み出すと、むわっと熟れた匂いが鼻についた。
「お子さんがなんの用で? ここは酒場だよ」
カウンターの内側でコップを磨きながら、胡乱でに見やる店主。
「げ」
なにも考えずに入ってしまった。どうしよう。
顔を引きつらせて汗をかいていると、店主はやれやれと笑った。
「座りな。おやつくらいはあるさ」
「じゃあそれで頼むわ」
適当に言い、カウンターの席に着く。
アリスも速やかに隣に座った。
「花のケーキをお願いします」
「ほい。お前さんは?」
「人形焼きで」
「じゃあ、ほい」
店主がカウンターに手をかざした瞬間、ぽんと菓子が現れた。
「うおっ!」
「まあ、一風変わった酒場なのですね、奇術師さん」
手品のような現象を前に由真はのけぞり、アリスが目をきらめかす。
素直に感心しながらひとまず落ち着いて、人形焼きに手を伸ばした。
お土産を帰りのバスで食べるようなノリで貪りつつ、アリスにも注目する。
彼女はボロボロとした生地に小さなナイフを入れていた。
切り分けたものを少しずつ味わい、頬をほころばせる令嬢。
どんな味なのだろうか。
じっと見ていると彼女も興味深げな視線に気づいたらしい。
首をひねり、目を合わせる。撫子色の瞳が
「食べます?」
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