魔王城の不穏な夜

 後日、由真ゆうまは王直々に呼び出しを喰らった。

 荘厳そうごんな宮殿は物々しい緊張感で満ちている。

 とがめるような視線を向けてくるシャルルの前で汗をかきつつ、由真ゆうまはしれっと目をそらす。


「七年ほど掛けてじっくりいたぶるつもりで注ぎ込んだ戦費が一瞬で溶けたぞ。挙げ句、新大陸ブレンダをオーランドに盗まれたのだが、いかに責任を取るつもりだ?」

新大陸ブレンダは関係ないでしょ。海賊国家が強かっただけだよ」


 なおも、不機嫌そうに玉座の肘掛けを指で叩いているシャルル。


「なぜアドラー王国についた?」

「そりゃあ大人数で袋叩きするのは卑怯です。僕は不利なほうにつくので」


 素直に答えるとシャルルはあきれたように息を吐いた。

 別に悪いことをしたとは思っていないので、由真は気にしていない。


「そんなことより溶けた戦費はどうするつもりですか?」

「宝飾品でもなんなり売ればよかろう。いや、宝石は残しておくべきだな。宮殿でも手放すか」


 さらりと、とんでもないことを口にしたシャルル。

 執着心のなさがむしろ恐ろしい。


「なんにせよ負けは負けだ。結果は覆らんよ。受け入れるしかあるまい」

「ということは、おとがめなし?」


 目を丸くして問いかける。


「力だけ無駄にある浮浪者の相手など、いちいちしていられるか。元より、貴様をぎょす気はなかった。端から期待しとらんわ」


 あごを引いて突き放す。

 冷たい物言いだが、許されたのならよし。

 じゃあ出ていこうと背を向ける。

 あっさりと扉の前まで行こうとしたところ、玉座のほうから声が掛かった。


「貴様を取り込みたい国は数多い。精々気をつけることだ」


 由真ゆうまは振り向かない。

 忠告のように聞こえた言葉も半分は耳から流し、淡々と歩く。

 チュニックを着た背中は四角く空いた出口に吸い込まれ、廊下へと出た。

 紫黒の扉が硬い音を立てて閉じる。青年の姿は見えなくなった。



 同じ日の夜。魔王城には不穏な雰囲気が垂れ込めていた。

 大きく窓を取ってなお薄暗い室内では、燭台しょくだいの灯りが頼りなく揺れている。


「スティルナ様、あたしは納得できません。勇者は騎士団を薙ぎ払っていったんですよぉ。落とし前をつけなければ気が済みません」


 魔女が憤怒ふんぬの剣幕で詰め寄る。


「落ち着け。ユウマ・シミズは確かに城を攻めたが、止めは刺しておらなんだ。第一、そなたが相手になる男だとでも? 無謀であるぞ」

「魔王が負けっぱなしは示しがつきませんよぉ」

わらわはそれでも構わぬ」


 表情を変えずに主張すると、魔女の瞳が揺れる。

 明らかにあせった表情。背後に構える集団もざわめき出した。


「よいなカタリーナ。勇者に手を出すことはわらわが許さぬ」


 厳しい口調で言い切る。

 魔女は悔しげな表情でうつむき、唇を曲げた。


「アッシュ王国に対してもですかぁ?」


 泣きそうな顔をして問いかける。

 一瞬の沈黙。

 無機質な表情で静止する。


「ならぬ」


 ただ一言。

 カタリーナは拳を握りしめ下を向いてから、黙って背を向ける。


「らしくないですよぉ。魔王はもっと冷徹で、無慈悲であるべきなんです。ぬるい人にイノセンテの王は任せておけませんよぉ」


 魔王は答えない。

 カタリーナはまっすぐに足を踏み出す。

 ピンヒールが床を突きシャープが音を鳴り響いた。


 黒い集団も付き従うように後に続く。前方では鉄の扉が勝手に開いた。彼女は奥へと歩みを進める。


 魔女の姿は長方形の空白へと吸い込まれていった。

 忠臣の退出を見送り、スティルナは視線を落とし、肩をすぼめる。

 依然いぜんとして考えは変わらない。

 カタリーナはいい子だから話せば分かってくれるはずなのだけど。


「いかにして説得しようか」


 口だけを動かしつぶやいた矢先、背筋にぞくっとした感覚が走る。

 耳元でささやく声。ざわざわという幻聴が聞こえる。

 まさか――

 精神に忍び寄るようなおぞましい、冷え冷えとした気配は――

 相手が何者か察した瞬間、スティルナの全身に鳥肌が立つ。


「――」


 気がつくと顔が蒼白に染まり、体がカチカチに固まっていた。表情も引きつり、硬い頬には冷たい汗が流れる。


「どうなさいました?」


 鎧をまとった男が覗き込み、様子を伺う。

 スティルナはすばやく顔を上げ、そちらを向いた。


「一三の大臣全てを呼べ。早急に話したいことがある」


 引き締まった顔で、告げる。

 彼女の態度は毅然きぜんとしていて、四の五の言わせない圧があった。

 部下からしてみればなにが起きるのか分からず、ついていけない。

 頭が混乱していたが、従わなければならないことだけは分かる。


「はい。すぐにでも」


 目を泳がせながらうなずく。


 部下はいそいそと駆け出し、出口へ飛び込んだ。

 玉座の間を出て小さくなっていく影。

 騎士団に見つかった盗人のような背中を、魔王は遠い目をして見送った。


 招集に答えて一三の大臣が会議室に集う。

 洞窟をくり抜いて部屋にしたような空間に、漆黒に染まった鎧をまとった戦士たちが円卓を囲っていた。

 実力者が揃い魔の気配が立ち込め、緊張感も高まっていく。

 控えめに設けられた窓の外は紫黒の闇で覆われていた。


 なにかが起きそうな不穏な空気の中、中央に座す魔王はゆっくりと口を開く。

 重苦しい静寂を打ち破るように、彼女は詳細を語り始めた。

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