潮騒が聞こえる
逆光に照らされた二人が波打ち際をゆっくりと歩いていた。
黄金色の太陽を映す水面はよく磨かれた鏡のよう。暮れる景色に心を鎮め、涼しい風にハーフアップの髪を揺らせば、寂しさがこみ上げてきた。
もう最後かと思い、口を開く。
「あの」
「なあ」
ほぼ同時。気まずい。
「お先にどうぞ」
「先に言ってもいいよ」
今度も重なった。
アリスは真っ赤になって口ごもる。
「とりあえず、僕から言うよ」
彼は改めて彼女を見澄ました。丸い瞳が映す、儚げな令嬢の顔。
青年の唇が動く。
「僕は、元の世界には帰らない」
きっぱりと告げた。
アリスは目を見開いて固まる。
予想外のことで驚きを隠せない。
揺れる瞳がかすかにきらめく。
凪いでいた心に一滴の水が落ちたように波が立ち、希望がこみ上げた。
「もし本当に戻る以外の選択肢がなかったら、あっさりと現実を呑み込んで帰っていただろう。でも、今の僕には決定権がある」
力強い口調で彼は語る。
「元の世界に戻れば僕は普通の人間になる。何事もなかったように日常に戻るんだ。旅の記憶は色褪せて、君の輪郭もぼやけていく――それだけは嫌だった。君を、夢の中の存在にしたくなかったから」
令嬢が顔を上げ、二人の視線が交錯する。
一瞬、彼の頭をよぎったのは、現実世界に残した両親のこと。
息子がもう二度と戻らないとしても、彼らは受け入れてくれるだろう。
ほかでもない、「帰ってくるな」と背中を押した者たちだから。
目を伏せ、淡く笑みを引いて、口を開く。
「ありのままの僕を受け入れてくれるのは、君だけだ。本当の自分を見てくれたのは、アリスだけだったんだよ」
彼にとって、彼女以上に大切なものなど、今はいない。
「旅が終わればお別れだと思うと、急に心細くなった。やっぱり僕は君とずっと一緒にいたいんだ。いつか君が選択をしたように、俺も自分の意思で望みを言うよ」
一呼吸置くために、口を結んだ。
音もなく波が寄せては返す。
全てが水底のように静まり返った景色の中、鼓動だけが加速していった。
「君がよければずっとそばに、いさせてほしい」
ハッキリと口にした。それが彼にとっての答え。
アリスは口に両手を当て、息を呑む。
万感の思いが胸を衝いた。
心臓が高鳴り、頬に赤みが上る。
今、彼と気持ちが重なった気がした。
これはもはや運命だろう。
彼女は息を吸って答えた。
「はい。私をどこまでも連れて行って」
熱く湧き上がる感情の津波に心を震わせながら、求めるように彼を見つめる。
この瞬間、令嬢は心に安らぎが広がるのを感じた。
あまりにも自分の求めていた展開すぎて、まだ夢の世界にいる気分。
なにもかもが信じられないのに嬉しさだけがこみ上げて、ただ震える。
熱く目まで潤んで霞む中、青年はそっと彼女へ手を伸ばした。
丸く華奢な肩に触れ、優しく抱き寄せる。少女は拒まなかった。
沈む夕日が二人を包む。鮮やかな光の中で彼らの影が重なった。
*前編はお試しで。続編および実質本編は、頃合いを見て投稿します。
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