最後のデートになるつもりで
突拍子のない言葉、予想だにしなかった展開に、思考が止まった。
表情すら固めた青年へ向かって、術者は話を続ける。
「召喚に必要な魔力くらいは簡単に溜まりますからねぇ。一人分ならそちらの世界へ戻せますよ。いかがします?」
「いや、待ってくれ。まだ心の準備が」
いくらなんでも早すぎる。
髪を振り乱しながら退く青年を、術者は真顔で見つめていた。
「ああ、そうだ。時間の流れってどうなってるんだ? 元の世界に戻ったら老人になってるとか嫌だな、ハハハ」
帰らない理由を探すように口を滑らし、空笑いをする。
「問題ありませんよ。ここで何年過ごそうとあちらの世界の時は動きません」
術者はやんわりと言葉を掛ける。
つまり、逆召喚で地球に帰った場合、脱衣所で服を着替える場面から再スタートするわけだ。
「あー……そうですか」
青年は沈んだ声を出しながら肩を落とし、だらりと腕を下げた。
露骨にがっかりとした彼を、術者は不思議そうな顔で見る。
ここは喜ぶ場面なのにどうしてがっかりしているのだろうと言いたげな表情だ。
「帰りたくなったらいつでも呼んでくださいね」
口元だけで笑いつつ、するっと横を通り抜け、歩き去る。
あっさりと置いていかれた青年は、乾いたため息をついた。
「『帰りたくなったらいつでも呼んでください』か」
いつかは帰るときが来ると予感していたが、実際に突きつけられると心が波立つ。
瞳が震え、鼓動が高まっていくのを感じた。
実際のところ、帰りたい気持ちはある。
召喚されて間もないころは魔王退治なんて辞めて逃げたいと思っていた。
彼は勇者になりたいわけではない。その気になればただの一般人に戻れる。
自分の心に素直になればよいだけの話なのに、結論を出せない。
じんわりと汗をかき一滴を頬に滑らせながら、青年は奥歯を噛んだ。
現実を突きつけられていたのは、清水だけではない。
ブラウスにロングスカートを合わせた少女は、息を殺して青年を見守っていた。
白い肌には影が掛かり、悲しさと悔しさが入り混じった表情になる。
彼女は青年が姿を消した後すぐに気配を追って、路地裏までやってきた。
術士との会話は聞いていたし、どんな選択を突きつけられたのかも、知っている。
異世界から来た勇者はいつかは元の世界に帰らなくてはならない。
分かっていたはずなのに実際に現実を突きつけられると、心が震える。
息苦しいほどに鼓動が加速し、嫌な汗まで出てきた。
沈痛に眉を曇らせながら、少女はうつむき、自身の影を見つめる。
足元は暗く、不安の渦に吸い込まれるようだった。
王都ルミエールでは新たな王が誕生し、凱旋式とパレードが行われ、民衆は熱狂とブーイングの入り混じった声を上げる。
黄金の馬車に乗り、真っ赤な制服を着た衛兵たちに囲まれる新王の姿をチラリと見て、令嬢と青年はこっそりと大通りを後にした。
二人はギモーヴを呼び出し、海辺のリゾート地へと移動する。
宗教的な装飾の施された門の前にたどり着くとシックな馬車から飛び出し、二人は石畳の道へと進んだ。
街の名はサンティエ。外周を城壁で囲われており、要塞じみた雰囲気がある。なんでも戦争で奪い取った土地らしい。
少し前まで別の国の領土だったにも関わらず、アッシュ王国の貴族は我が物顔で闊歩し、多くの馬車が行き交っていた。
広場は大通りの石畳を挟んで、ブロックチェックのタイルが敷き詰められている。
中央には大理石の噴水が見えた。
精霊や神々の彫刻が掘られた台座からは、清らかな水が泉のように噴き出していた。
近辺には薔薇色のレンガを用いた長方形の建物が並んでいる。
華やかな市街地を抜けた先にはスカイストーンブルーの海が広がっていた。
さすがに規模が大きいだけあって人通りも多く、にぎやかだ。休むには向いていないためまずはレストランで一息つく。
暖色の灯りの下、丸みを帯びたテーブルには色鮮やかな料理が並んでいた。
ゆで卵とレタス、バジルなどをオリーブオイルで交えたサラダ・ピザのような見た目をした魚のパイ。魚介類のすっきりとしたスープもついてくる。
なにを注文すればよいか分からなかったため、おすすめのものを選び、結果二人とも同じものを食べることになったのだ。
「うわ、甘い。でも塩辛さも利いてるな」
「じっくり炒められた味です。飴色のたまねぎとはこんな感じなのですね」
上品に細かく分けて口に入れる令嬢の横で、青年は大まかに切って、ステーキのようにかぶりつく。
「普通に
「ユウマ、失礼ですよ」
言葉では
頬は高く、赤みが差す。
店の中ではゆったりとした時が流れていた。
頭上からはキラキラとした照明の灯が降り注ぎ、二人の顔を明るく照らしていた。
その後は黙々と野菜を多く用いた料理と消化し、スープを飲み干し、レストランを後にする。
広場はまだ人で群れていて、こそこそと波をかき分けるようにして動き、ふと目に留まった露店でジェラートを購入。
四角い形をしたコーンを持ちながら、食べ歩く形で通りへ抜けた。
「服きれいだから汚さないように気をつけるんだよ」
さっぱりとした果実の味を楽しんでいるとき声を掛けられ、手の動きを止める。
足は動かしたまま視線を下げて、自身の格好を見た。
真っ白なシフォンワンピースに、ピンクのサンダル。
彼女としてはシンプルな服装にしたつもりだ。
気合が入っているように見えるのはシワなく整えた生地か、胸元で光る
少しでも彼の印象に残ろうと、無意識に気張ってしまったのかもしれない。
曖昧な不安にとらわれるアリスへ、
「大丈夫。とっても似合ってる」
「あなたにそう言ってもらえると嬉しいわ」
褒められて胸が弾む。
空気に抜けが入ったような気がして、固くなっていた体もほぐれた。
「じゃあ、観て回ろうか。どこへ行きたい? 君のほうがくわしいだろうし、案内を頼むよ」
「ええ、任せてください」
アリスはすぐさま姿勢をよくして、声を張り上げた。
「広場と似た噴水のある国立公園だとか、船乗りたちのための寺院や大聖堂、歴史の詰まった美術館なども見に行きたいです」
意識して口角を上げて、話してみる。
別れの瞬間までは憂いの感情を出したくない。
彼と一緒にいる時間はせめて笑顔でいようと心がけていたら、本当に気持ちが明るくなった。
カンカンと照りつける日差しの下、リゾート地特有の構造物を眺めながら、パステルピンクのジェラートを舐める。
舌を伝う味は涼やかで、肌を伝う水滴までも爽やかだ。
夏を満喫した気分になり、まるで普通のデートをしているかのよう。
好きな人と歩けることがこんなにも満たされることだとは思わなかった。
一瞬一瞬が愛おしくてたまらない。
彼の全てを目に焼き付けたくて、熱く青年を見つめる。
見つめ合うだけで胸がドキドキする。
世界で二人切りになったようなロマンチックだった。
もはや特別な場所なんていらない。
彼と一緒でなら灰色に寂れた廃墟であろうと、淡く香るような花を咲かせてみせる。
ただ当たり前の平穏さが胸に沁みて、顔がゆるんだ。
二人は時間を忘れて笑い合い、時は砂が落ちるように過ぎていく。
気がつくと薔薇色の空に灼熱の日が沈んでいた。
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