波が引くように

 こっそりと出口へと体を滑り込ませる。

 外へ出るとねっとりとした甘い香りが待ち構えていた。


「勇者様よ! みんな押さないで、彼は私のものだから」

「まあ、なんて麗しい姿なのかしら。顔はよく見えないけれど」


 貴族の女性がスカートを引きずりながら群がり、取り囲む。

 一様にゆったりとしたドレスを着て、髪を編み込み、まとめていた。

 むせ返るような香水の匂いに青年が顔を引きつらせても、女性たちは遠慮なく迫る。


「ねえ、あなたがなにをしたのかを教えて」

「魔王を倒した感想はどうだった?」

「あら? 魔王は死んだのでしたっけ? 広場でそれらしい人物を見かけたような……。気のせいだったかしら」


 些細な疑問に思考を止め、まあいいわと開き直る。


「ねえ、あなた。一緒に行かない? 楽しいところに連れて行って上げるわよ」


 コルセットを着けふっくらとした胸を強調した女が、秋波を送る。

 彼女は連行する気満々で青年の腕をさらいに来るも、彼はさらりと避けた。


「僕には行くべきところがあるんです」


 青年は半笑いで対応する。

 空虚なまでに明るく、あっさりとした声で。


 どぎつい色と香水で塗りたくられた光景を、アリスはモヤモヤとした気持ちで見つめていた。

 握りしめた手を胸にあてがい、沈痛な面持ちで目を伏せる。

 乾いた風が吹けばフレアスカートがふわりと揺れ、ふくらはぎに掛かった。


「それに未成年だし危ないところはちょっと……」


 彼はふしだらな女にはついていかない。

 きちんと断ってくれて安心する。

 肩の力は抜けたが心に入り込んだ雲は晴れなかった。


 皆、勇者であることは知っているのに、彼が何者なのかは知らない。

 本当の彼を知っているのは自分だけだ。

 それは特別感があり誇らしくはあるのだけど、なんだか寂しい。

 勇者というガワではなく彼自身に目を向けてほしいという願いと、清水由真を独占したいという気持ちがぶつかり合う。


 鼓動は高まり、心地よい気分にすらなる。

 しかし、もう旅は終わったのだ。

 アリス=フローレンスが特別でいられた期間はとうの昔に過ぎ去っている。

 ならば、なにを考えても無駄なこと。

 そう思えば波が引くように熱が冷めていった。



 日が暮がかっても貴族たちは青年に群がっていた。

 清水しみずは愛想よく応対しているが、内心はうんざりしている。

 隙あらば出口を探そうと視線を彷徨さまよわせるが、完全に囲まれていて、逃げ場がない。


 視界が狭まっていくような絶望感の中、不意に下から光が差し込む。

 目をつぶりたくなるほどまぶしく、薄っすらと虹色を帯びていた。


「ん?」と視線を落とせば足元に陣が展開される。

「これってもしかして」


 ビリリと稲妻に似た感覚が全身を駆け巡ったとき、魔法陣も激しく光りだした。

 かくして転移術は発動。青年は光に包まれた。


 光が収まったときには彼の姿はなく、女性たちは困惑し、目を丸くしながら周囲を見渡す。

 ぽっかりと空いた空白に彼の気配を探したけれど、乾いた風が吹き抜けるだけで、影も形も見当たらなかった。 



 ふわりと着地するとざらついた感触を、靴の裏に感じる。

 人気はなくいかにも魔物が出そうな雰囲気の場所だ。


 顔を上げれば背の高い建物が視界を狭める。

 隙間から覗く空はくっきりと青いのに、地面は黒く染まっていた。


「まあ、本当に転移してくるなんて」


 柔らかな声に振り返ると聖職者然とした女が立っていた。

 おおかた宮殿で勇者を召喚した一団だろう。

 顔に特徴がないため、召喚された時に顔を合わせていたかどうかは分からない。

 会っていたからなんだという話でもある。

 今はそんなことよりも、彼女の手元で青光りする石のほうが気になった。


「こちらの石は使い捨てです。召喚石から転移の術式のみを抽出した廉価れんか版のようですよ」


 説明を終えると手のひらの上で石は発光をやめ、おとなしくなった。


「そんなものをわざわざ僕のために使ってくれたのか?」

「迷惑でしたか?」

「そんなことはない。ありがとう」

「どういたしまして」


 素直に感謝すると、彼女は微笑みを返す。


「量産できるので使い捨てても惜しくはないのですよ。それにあなたを助けるためだけに呼んだわけじゃ、ありませんから」


 にこやかに補足をしつつ、話を終えると口元を引き締め、真面目な顔になる。


 明らかに空気が変わった。

 緊張感が高まり、思わず背筋を伸ばし、体に力を入れる。


「そう怖がる必要はありませんよ。むしろ朗報です。逆転移、できるようになりました」

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