王の敗走
王の負けが確定した影響で少し気が抜ける。ただし空気は依然として張り詰め、あたりには荒涼とした風が吹き抜けた。
「なにも分かり合う必要はない。我々は我々のままでいい。敵を愛する必要などないのだから」
静かに口を動かし、きっぱりと告げる。引導を渡す態度。
たちまち王はカッと頭を沸騰させ、額に青筋を浮かした。
「すでに済んだものとして言いよって。よいか? 戦いは終わったわけではない。主らの支配する領域の一部は、昔は我らの土地であった。終戦を謳うのなら、そこを返還してからにせよ!」
唇をぷるぷると震わしながら、思い出したように指摘する。
「ああ、半島の端のことか」
魔王も今しがた記憶の引き出しから引っ張り出してきたかのように、目を瞬かせる。
「お言葉だがもはやそこは誰のものでもない。人間はおろか魔族すら寄り付かぬ死の荒野。先の大戦で破壊され尽くしたからだ。そうしたのはアッシュ王国ではなかったか?」
改めて彼のほうを向き、冷静に語る。
「元より荒野にはなにもない。神話も資源も。そんなところが欲しいのなら好きにするがいい。ただし、国土全域を狙うのなら容赦はしない。民に手をかけてみよ。こちらは全精力を持って反撃に転じる」
容赦のないたたみ掛けに王はすっかり気を弱くし、黙り込む。
彼女の本気が伺えてぞっとすると同時に、王のメンタルの弱さも見せつけられ、真
顔になった。
空気は張り詰め、緊張感がぐんと高まる。暗雲がさらに大きく広がり、宮殿の周りを夜の色に染め上げ、いつ崩れてもおかしくないほど危うい雰囲気。
先ほどからブルブルと震えていた王は深く息を吸い込み、ついに噴火した。
「ええい! 黙って聞いておれば好き放題に言い寄って!」
凄まじい角度で眉をつり上げ、血走った目を魔王に向ける。
「復讐か? それほどまでに勇者を送り込んだことが気に食わぬのか。ならば好きなだけ反撃するがいい。アッシュ王国は堂々と相対しよう。なにせ我々にはその勇者がついておるのだからな! 主らの国など一握りに!」
「悪いけど僕はそんな便利な存在じゃないんだ」
勝ち誇ったように高笑いをする王の横で、勇者は静かに切り出す。
「なにを言っておる。主の実力であれば魔王ごとき」
「そうじゃない」
目をつぶり、あっさりと首を横に振る。
「そこまでにしておけと言っているんだ」
なんの前触れもなく剣を抜く。
「あなたが攻め込もうというのなら、僕は真正面から止める。自分が呼び出したんだ。責任を取って受け止めてくれ」
据わった目で刃を突きつける。
王はピンと背筋を伸ばし、凍りついた。
引きつった表情。顔色はどんどん悪くなり、全身に大量の汗をかいている。
王は完全に怯えきり、老人のように小さくなった。
「も、もうよい。ここは主らの意思を尊重してやろう。我の寛大さに感謝するのだな」
自身を落ち着かせるようにゆっくりと語る。最後のほうは半笑いになり、口を閉じるとため息をついた。
周りからは冷え冷えとした視線が突き刺さる。
王は民衆の監視の目から逃れるように踵を返し、小走りで宮殿へ駆けた。
バタンと閉じた黄金の門。庭園の奥へと駆け込む王の姿が小さくなる。わざとらしい高笑いが遅れて響いた。
王は最後まで非を認めず、謝罪もしなかった。
ほとほと呆れ果てて、物も言えない。
とうの魔王は緊張が解けたのか、肩から力を抜いて立っている。
かすかに綻んだ口元。だけどすぐに引き締め、きりりとした顔で周囲を囲う人々へ顔を向けた。
「悪いけど王は滅ぼしません。処理はあなた方でお願いします。それと、逆転移も」
柔らかな声で呼びかけ、安心させるように笑ってみせる。
民は顔を見合わせ、ざわついた。
嵐の内側にいるような状況で一人の魔導師がひっそりと前に出てくる。神官のローブをまとった女性は気まずげに切り出した。
「召喚術には魔力を伴います。逆転移をするには少なくとも半年分の……」
控えめな声で伝え、目をそらす。正直な物言いはある意味で誠実だった。
「そ、そんな……」
魔王はガーンと固まり、肩を落とす。
ショックを受けた彼女を憐れみの目で見つめる中、相手はすっと顔を上げ、姿勢を正した。
「仕方ない。自力で帰るしかないか……」
とほほと、沈んだ態度。彼女の幼い見た目も相まって、気が抜ける。
魔王を相手にピリピリとしていた者たちも態度を軟化させ、空気が和らぐ。
暗雲も晴れ、つかの間の日差しが戻った。
事態が好転しているようでなにも変わっていない曖昧な空気の中、一人の術士が前に出る。
「あの、馬車を手配します。そちらまで送り届けますので」
「ええ!? 本当なの? ありがとう」
魔王は目を大きくしながら声を弾ませ、満面の笑みを見せた。
ほどなくして広場に馬車が到着する。
貴人を送迎するタイプの、華美なキャビンだ。
馬にも立派な装備をつけられ、神獣のごとき輝きを放っている。
「それでは皆様ごきげんよう」
気取った笑みを振りまきながら、座席に乗り込む。
バタンと閉まる扉。
馬が啼き馬車が走り出す。
石畳を猛スピードを駆け抜けていく車体を、手を振って見送った。
ともかく魔王は無事に帰った。
青年は満足そうに顔を綻ばせ、視線を上げる。
空は相変わらず曇っていた。
燃え残った火種のように煤けた色に、魔王の気配を探す。
もし彼女に手を下していたら魔族たちは激怒し、大きな戦いに突入していたかもしれない。
アッシュ王国とイノセンテの間にも深い亀裂が走ったのではないか。
仮に清水由真以外の誰かが勇者として魔王に挑めば、相手は彼女に止めを刺しただろう。
ありえそうでなかった展開を想像し、心が曇った。
それはおのれが正しいことを為し、よい方向へ事が運んだ証でもある。
そう思うと気も楽になり、初めて彼は勇者になってよかったと感じた。
とはいえ、達成感を得るにはまだ早い。
彼にはまだやっていないことがある。
「そろそろ僕も変わらないとな」
緩んでいた気を引き締めると、宮殿の前に鋭い風が吹き付けていった。
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