魔王の懺悔

「待て待て! 落ち着け! ワールドエンドはシャレにならん」

「考え直してください。ほかに方法があるはずです」


 懸命な叫びも魔王には届かない。


「うるさいうるさい! もう全部なにもかも消えちゃえばいいのよ!」


 ペンキに溶けたような闇が天から降り注ぎ、世界を一色に塗りつぶす。

 さすがに滅びを前にしては、為す術がない。

 終わった。だらりと腕を下ろす。


 危うく剣を落としかけたところであることに気づいた。

 はっと体を固め、眉をひそめる。


 妙だ。闇の中は安らぎと静けさで満ちているだけで、なんの変化も起こらない。


 おまけにポケットの中できらりと光るものがある。

 ひょっとしたら、なんとかなるかもしれない。

 もう一度柄を握り込み、闇雲に剣を振るう。


 闇とは概念。夜が降りた空間では光はむしろ吸収されるが、切り裂くことなら可能だ。

 銀の軌跡が虚空をなぞると、闇はバラバラに崩れだす。

 紫紺の破片は宙で散り、ダイヤモンドダストのようにきらめきながら、空に溶けていった。


 夜が過ぎた後にはまた新たな光が覗く。きれいさっぱり青くなった空には丸い太陽が上り、灼熱の暑さが身にしみた。


「どうして……」


 魔王が唖然とつぶやく。

 信じられないと言いたげな表情。蒼白になった顔に怯えがにじむ。


 清水も一瞬だけ静止していたが、急に思い出したようにポケットに手を突っ込んだ。

 ゴソゴソと漁って硬いものを掴む。

 表に出して拳を開くと、手のひらの上でコインが純白に輝いた。


「まさかそれが?」

「多分そうだと思う」


 真顔でうなずく。


「ありえない。ただのお守りではないか。そんなくだらないものが我が攻撃を防いだというの?」


 魔王は激しく否定する。低く震えた声、言葉の端に嫌悪感が滲む。


「確かに単体では魔を寄せ付けないだけの代物です。だけど肝心なのは勇者との相性です。見たところ抜群みたいですよ。おおかた彼の浄化の力と呼応して、世界が覆うほどの光を発生させたのでしょうね」


 確信を得た様子で堂々と語る。彼女の口調には芯があって、説得力があった。


「そんな……」


 魔王の表情が崩れていく。彼女は瞳を震わしたまま、動かなくなった。

 言葉も出ずに停止した相手に追い打ちをかけるように、令嬢は続ける。


「コインは使い捨てではありません。先ほどの光も一度限りではないでしょう。魔王が何度世界を終わらせようと、彼がいれば簡単に防げるのです」


 彼女の言葉に容赦はない。まっすぐに敵を見据える目には、鋭い意思があった。


 魔王は色を失い、へたれこむ。魂が抜けたように沈んだ様は、容姿が容姿だけに痛々しい。

 顔を引きつらせながら観察していると、魔王はプルプルと肩を震わせ始めた。


「ごめんなさい! もうしません! ううん、本当に世界を滅ぼす気なんてなかったんです。先ほどの技も勇者個人に向けただけで」


 深くうなだれていたかと思えばいきなり声を張り上げ、畳み掛けるように語り出す。


「対岸のアッシュ王国とはとっくの昔に不可侵です。確かに昔は悪さをしましたよ。新大陸を手中に収め、他国に攻め入ったこともあります。だけどイノセンテは大敗して、すっかり落ちぶれましたぁ」


 清水は状況についていけず、目をパチクリとさせる。

 アリスも反応に困った様子だった。

 スティルナは構わず話を続ける。


「魔族たちは細々と生きていたかっただけなんですよぉ。なのにどうして死体蹴りなんてするんですかぁ?」


 めそめそと顔を歪めながら、ポタポタ落ちてくる雫を袖で拭う。

 黙って聞いていると、酔って絡むような口調になってきた。

 若干の鬱陶うっとうしさを差し引いても、哀れに見える。

 悪いことをしてしまった気分だ。

 実際に彼女の視点では勇者のほうが悪役なのだろう。


「そんなに魔族が嫌いなの? なんだかんだ世界会議に呼ばれるのが気に食わないの? 徹底的に叩き潰されなければ、存在そのものが許されないというの?」


 光を失った目で湿っぽくつぶやく。


「でもどうかお願いします。民はみんないい人たちなんです。彼らの命だけは助けてください」


 頭を下げ、両の手のひらを床につける。

 彼女の望みは切実だった。乞食のような汚らしさとは違う、民を想う王族としての気高さがある。


 アリスと清水は顔を見合わせ、目線を交わした。

 二人でうんとうなずきあって、共に前を向く。


 スティルナはいまだに涙で床を濡らしていた。

 彼女は確かに魔王だが、悪人ではない。望みだけなら叶えるべきだ。


 それはそれとして世界の自爆スイッチを魔王が握っているのはどうかと思う。

 ぞくりと背中に寒気が走り、ひそかに身震いした。

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