勇者


 シックな馬車が針葉樹の森を上から通過する。

 青年が黒いキャビネットの中でゆったりと構える中、令嬢も引き締まった顔で前を向いていた。覚悟は決まった様子で頼もしい。

 気持ちに余裕が出てきたところで、急にギモーヴが啼いた。


 持たれかけていた上体を起こし、ちらりと窓のほうを向く。

 カーテンをめくって様子を伺うと、薄暗い空に魔物が羽ばたいていた。

 コウモリの翅を生やしたドラゴンもどき。若干のカッコ悪さを伴うアンバランスな見た目をしている。

 細い首にはごつい首輪がはめ込まれており、やけに目を引いた。


「まあ大変。もう敵に見つかったのね」


 アリスが口に手を当てて目を丸くする中、清水は表情を変えず、落ち着いている。


「外へ出ますか?」

「その必要はないよ」


 きっぱりと言い、剣を取り出す。


「水の化身よ延伸せよ。黒き棺を覆い一切の闇を打ち祓わん」


 青年は水色のオーラをまといながら術を行使。水の泡が結界のように馬車を覆った。

 令嬢は「おお」と目を見張る。


 一方、構わず体当たりを仕掛けるドラゴンもどき。

 見えない壁に阻まれて、反動で勝手に落ちていく。

 実にあっけない。

 まるでガラスと追突した鳥のようだった。


 哀れで愚かな魔物の姿を無言で眺め、剣をしまう。

 青年はまた深く席に腰を掛けた。


「今の、使い魔だよな」


 ドラゴンもどきがつけていた首輪を思い出しながらつぶやく。


「魔王が使役したものでしょうか」


 不安げに表情を曇らせる令嬢。


「これからも襲われるのかしら」

「倒せばいいだけだから、気にしなくてもいいよ」


 今は水の結界を張ってあるし、しばらくは安全だ。

 深く考えないことにして、あくびを漏らす。

 のんきな態度の青年を令嬢はじっと見つめていた。


 二人が黙り込んでいる間にギモーヴは地上に降り立つ。

 いつの間にか森を抜けていたらしい。

 開けた土地の上をすいすいと通っていく。

 圧倒的なまでの荒野だ。小鳥の囀りや遠吠えも聞こえない。


 雲は引いたが空は暗く、日は陰っている。

 ひと息入れるつもりで馬車を下り、休むことにした。


 川辺は涼しげでせせらぎの音が心地よく耳に染み込む。

 手前では焚火が炊かれ、パチパチと音がする。暗褐色に焦げた木片の上でオレンジ色の炎がゆらゆらと揺れていた。

 じっと見つめていると心まで揺らぎそうで不安定になる。

 清水は口元を固く引き締め、長らく沈黙していた。


「ユウマ、どうしたんですか?」


 足音を立てずに近づき、後ろに立つ。

 清水は急に現実に戻ったような顔をして、瞳を揺らした。


「なんだか浮かない顔をしていますけど」


 無垢な指摘に心がどよめく。


 なんでもない風を装っていたし、指摘されなければ自分でも気づかなかった。

 だけど、確かに最近の自分は薄暗かったのかもしれない。


 知らず知らず、素を表に出していたのだろうか。

 心の内側を覗き込まれたようで恥ずかしく、情けなさまでこみ上げてくる。


「このままいったら、本当の勇者になってしまう気がして」


 今更ごまかすことはできないため、正直に打ち明ける。


「それのなにがいけないのでしょうか?」


 小首をかしげ、不思議そうな顔をする令嬢。


「だって僕は」


 勇者じゃないんだから。

 言い掛けて口を閉ざす。


 無に帰した青年の表情を、彼女は見ない。

 後ろ姿だけをじっと見つめながら柔らかな笑みを浮かべ、アリスは唇を開いた。


「ユウマはれっきとした勇者です。

 飛空艇がジャックされたときも、冷静に対処をしてくれましたよね。

 先ほどの戦いもそうです。さらりと剣を抜いて、水の結界で弾いて撃退する様はスマートで、クールでした。

 あなたは誰になんと言われても特に気にする様子を見せませんよね。振り返ることもなく歩き進める姿は孤高で、ずっと背中を追いかけたくなるのです。

 だから私はあなただけを見つめているのです」


 生き生きとした表情、まっすぐな眼差し。

 熱い語りにこちらこそカッと体が熱くなり、じんわりと汗がこみ上げる。

 彼が抱いたのは照れよりも羞恥に近い感覚だった。

 青年は硬い表情で頬のあたりを触りながら、目をそむける。


「君は本当の僕を知らない。クールなのは無口なだけ。冷静に見えるのは感情を表に出すのが恥ずかしいだけ。孤高に見えるのは本当に独りよがりだから」


 心の中ではずっとどぎまじしていた。

 勇者らしく振る舞うように心がけてはいても、所詮はただの一般人。

 伝説に出てくるような本物の勇者と比べると、格落ちにもほどがある。


「僕なんか、都合よく強い力を手に入れただけの、ラッキーマンだよ」


 口に出して追い詰められたような心境になる。

 いたたまれなくなり、いっそ小さく消えてしまいたい。

 景色すら暗く沈んでいく。


 そのとき後ろから腕が伸びた。

 柔らかなものに抱きしめられる感覚にハッとなる。


「確かにあなたは普通の人だったのかもしれません。でも、それで構いません」


 透き通った声が鼓膜を揺らす。


「私は特別な身分があったのに、なにもできなかった。誰にも手を差し伸べられず、豪華な窓の内側から眺めているだけ。

 だけど、ユウマは違ったのです。あなたは飛空艇の中で、あの場の誰もが見捨てた女を救いました。

 世界を救える力をただ一人を助けるためだけに使ってくれた。それだけで輝かしくて、たまらないのです」


 目の前の対象を愛おしむように、令嬢は語り掛ける。

 ああ、だから彼女は自分を勇者だと認めたのか。

 微妙に腑に落ちる。

 心がじんわりと澄み渡り、陰っていた霧が晴れるようだった。


 なぜだか分からないが心が落ち着いている。

 いつまでも彼女に包まれていたい。

 口元に薄っすらと笑みを引いた矢先、令嬢はすっと手を離す。

 解放されて、一人で立った。

 改めて振り返り、すっきりとした顔でアリスと向き合う。


「ありがとう」


 言葉にしようとすると胸がいっぱいになる。こぼれ落ちた一言を大切に手に取り、彼女へ届けた。


「どういたしまして」


 アリスは眉を垂らし目を細めながら、桜色の唇を綻ばせた。

 ほんのりと撫子色を帯びた頬がキラキラと輝いている。


 令嬢の穏やかな姿を見ていると、こちらもほっと気持ちが緩む。

 彼女がいてくれてよかったと心の底から思った。


 ほかの誰に認められなくても、彼女だけが自分を信じてくれたらいい。


 こみ上げてきた感情を噛みしめるように顔を下に傾ける。

 青年はひっそりと笑みをこぼした。

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