シーサーペントとパンケーキ
のんびりと遠方の自然を眺めている最中、急ブレーキをかけたように船が止まる。少しばかり揺れた。「おっと」と声を出して、柵にしがみつく。
下を覗いてみると海路の途中にブルーホールのような影があった。濃紺の部分から細かな泡が沸々と湧いている。海底火山でも噴火するのだろうか。
あからさまな異変に眉をひそめていると、影がいきなり浮上する。
「うおっ」
細長い影が勢いよく飛び出し、派手な飛沫を上げる。
顔を出したのは海獣だ。魚というより龍に近い。ぬめっとした光沢を放つ体をくねらし、くるくると顔を動かす。
「シーサーペント?」
知っているモンスターの名前を反射的にこぼす。
「あれが……」
二人があっけにとられている間に、シーサーペントは再び潜り込む。
たてがみを生やした姿は龍に似ているが、いささか控えめだ。
船の周りをウロウロとする動きは蛇に近い。
時折顔だけを表に出し、大きく口を開けると鮫のような牙が覗く。
威圧感に体がゾクゾクとしてきた。
「どうする? 俺ぁ、海に入ってもいいんだがな」
矛を片手に主張する浅黒い男。筋肉隆々の船長は頼もしい。戦えばさぞかし強いのだろうと予想しつつ、青年は一歩も引く気はんかった。
「ここは自分に任せてほしい」
「ほう、勝算はあるのかい?」
「作戦とかは思いついてないですけど、ゴリ押せばいいんで」
適当なことを言うと、アリスの表情が不安げになった。
いちおう、考えてはいる。
水属性に水属性をぶつけたらどうなるのか、さすがに有利相性にはならないから難しいか、など。
難しい計算は分からないがやれるだけのことはやるしかない。魔王と戦うつもりなら強大なモンスターにも立ち向かえる。人任せにはしていられない。
青年は意思を固めて敵を見据えた。
ちょうど、シーサーペントもこちらに狙いを定めたらしい。牙を剥き出しにして攻めてくる。
紺青のオーラをまとい突撃。
後ろでは大きな波が立ち、幕を掛けるようにして襲いかかる。
バッシャーンと水が掛かった。アリスは腕でカバーしようとするも防ぎきれず、ぐっしょりと濡れてしまう。
もっとも、今は水浸しどころの騒ぎではない。
海龍のいるほうを見つめれば先ほどよりも大きな波が立体となって立ちふさがっていた。船どころか街を飲み込む勢いだ。
あまりのスケールにアリスは目を丸くして色を失う。
彼女がぼうぜんとする中でも、青年は顔色を変えない。
真剣な顔で前を見据える。
「海の神よ荒ぶる水面を鎮めたまえ。青き生命が平穏を求めるのなら、我が清廉なる雫が安らぎをもたらさん」
言葉に暗示の力を込め、剣を向ける。
水色を帯びた切っ先が波をとらえた瞬間、全ての動きが止まった。
波も、海龍も。
世界が凍りついたかのようだ。
「なるほど海に干渉したか」
海の男が感心した様子で腕を組んでいる。
アリスが感嘆の息を漏らす中、時はゆるやかに溶け出した。
波が引いていく。荒ぶっていた水面が穏やかに凪いだ。
海龍は戸惑いながらも引き返し、海の底へと帰っていく。
後には残滓のようなさざなみが漂うだけとなった。
「すごい。こんなやり方もあったのですね」
「僕もちょっと予想外だった。戦わなくてもいいなんて」
自分でやっておきながら、自分が一番に驚いている。
本当は思い切り水の属性を振るうつもりだったのに、戦う前に終わってしまって、拍子抜けだ。
とはいえシーサーペントは強いイメージがある。戦えばただでは済まなかっただろう。
それはそれで楽しめそうだ。
ワクワクする傍ら、魔王の領域が近づいてきたのを感じる。
魔王とも戦わずに済むのが一番よいのだが……。
どうせ死闘を繰り広げる羽目になるのだろう。清水は楽観しないことにした。
なにはともあれほとぼりは冷め、海は静かになる。
海鳥の声が平和な風情を演出する中、鉄の階段を踏む音が聞こえてきた。
「お二人さん、おつかれさん」
船内からシェフがパンケーキを持ってくる。
皿の上でデザートか主食か分からないものがふっくらと焼き上がり、湯気が立っている。
スポンジの上には掛かったシロップが艶々と垂れ、美味しそうだ。
「いただきます」
甲板の席について、二人でフォークを入れる。
切り取ったものを食べると、見た目通りの味が口に広がった。
ふわふわとした食感に、シロップの甘さが滲む。
とはいえ甘ったるくはなく爽やかな風味。
海上で食べるパンケーキは格別だった。
頬を落とすように堪能していると、突風が吹き荒れる。
ハーフアップにしている髪留めを外しかねない勢いで髪が暴走し、痛いくらいに頬を叩いた。
目を細めながら彼方を向けば、三体の有翼の女が飛来してくるのが見えた。
明らかにハーピーだが容姿は美しい。むしろ人外特有の妖しさがセクシーさを際立たせているまである。
もうモンスターでもいいのではないだろうか。
などと、見とれている場合ではない。
有翼の女たちはガツガツとパンケーキをついばむ。皿の中身を食い散らかす姿は上品さの欠片もない。
あっけにとられて立ちすくんでいる間に、パンケーキは駆逐された。
ハーピーは気が済んだのか
船の上にはまた一時の静寂が戻った。
「ああ、もったいない……」
アリスは散らかり放題のテーブルを哀れむように見下ろす。
「水の精とやらに掃除を頼んで見るよ。それじゃあよろしく」
自身の剣に呼びかけると、刃が水色を帯びた。
水はテーブル全体に広がり、超高速で汚れを拭い去る。
皿の上はピカピカで洗いたてのようになった。
「おおお!」
アリスが感激の声を上げる。
彼女の隣で平静さを保ちながら、青年はさりげなく胸を張った。
「食べられたのは惜しいけど仕方のないこと。また新しく注文すればいい」
パンケーキは食べたいときにまた頼めばよい。
がっかり感は残ってはいるものの、切り替えることにした。
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