花の令嬢


「うぎゃあ! なにをしやがる!」


 空賊は巨木に縛り、まとめておいた。


「誰か! 助けてくれぇ!」

「俺たちは悪くねぇよぞ!」


 いいや、彼らのせいだ。

 喚く空賊たちの目の前を無慈悲に通り過ぎる。

 さて、船はどうなった。

 気になって戻ってくるや、機長が苦々しい顔をして表に出る。


「駄目だこりゃ。さっさとルミエールに連絡しとこっと」


 機長は船を直すのに忙しい様子。これは自力で進むしかなさそうだ。

 青年が顔をしかめる横で貴族たちは優雅に談笑したり、馬車や従者を呼んでいる。

 厚底の靴を引きずりながら歩いていくところを見送り、傍観する清水。

 一人で突っ立っていると横から令嬢が声を掛ける。


「海上線を利用するのはいかがでしょう。私が案内します」


 令嬢がにこやかな顔を向けている。

 改めて見ると『麗しい』という言葉が似合う容姿だ。

 白百合の肌に、垂れ目がちの撫子色の虹彩。桜色の控えめな唇。

 ふんわりとした白練の髪をハーフアップにしている。

 乳白色のブラウスの上でサファイアの首飾りが清らかに輝く。

 オーキッドパープルのスカートからは細い足首が見え、足を揃えて立っている。

 コスモス色のパンプスは真新しく、ピカピカと光っていた。


「いや、ちょっと待て」


 冷静に考えると彼女は今、とんでもないことを言った気がする。

『船場まで案内する』すなわちそれは彼女と行動を共にすることではないか。


「実は、追いかけていたのです。あなたに会いたくて」


 まっすぐに伝える。息を呑む青年。直球で言われるとドキッとする。


「私はずっと、なにかをしなければならないと考えていました。誰かのために尽くし、人々のためになることをしようと。だけどいままで一歩も踏み出せず、挙げ句の果ての自分の身を優先してしまいました」


 沈痛な面持ちでうつむく。


「ですがあなたは空賊を撃退し、乗客の全員を救いました。私ではできないことを、あっさりと。あまりにも鮮やかで見入ってしまいました。あんな活躍を見せられたら、刺激されてしまいます」


 困ったように視線をずらす。

 頬を赤らめる彼女。気持ちを高ぶらせているのは令嬢のほうだろうに、なぜかこちらがドキドキとしてきた。

 とろけるような顔になったのもつかの間、すぐに表情を切り替える。

 令嬢は眉を引き締めて彼を見上げた。


「あなたは世界を救う勇者なのでしょう。どうか、その旅に協力させてはいただけませんか?」


 胸に手を当て、身を乗り出す。

 近づくとバニラのように甘くて清らかな香りが鼻孔をかすめ、ドキッと胸が弾んだ。

 嬉しさの混じった衝撃を覚え、なにもない空間に貼り付けになる。

 無意識に口元がニヤつくと同時に、じわじわとプレッシャーがのしかかってきた。

 彼女の期待を裏切りたくないが、勇者らしい振る舞いを続ける自信もない。

 いっそのこと逃げ出したいくらいだ。


「私を連れて行ってください。そのためにわざわざ飛空艇に乗り込んでのです。……迷惑でしょうか?」


 眉を困らし問いかける。雨に打たれながら保護者を求める子猫を見た気分だ。透き通るような瞳から目を離せない。


「迷惑じゃないです。仲間は多いほうが心強いし」


 小声で、目をそらしながら、答える。


「本当ですか? ありがとうございます。私も精一杯力を尽くします」


 令嬢は声を弾ませ、花咲くように笑った。

 多くを求められるのは困るが喜んだ姿を見ると、まんざらでもない気分になる。

 彼女の前ではかっこ悪いところは見せられないな。

 もはや引き返せない。元より退路はないため、潔く気持ちを切り替える。

 決心がつくと心もすっきりとした。

 気持ちのよい風に髪をなびかせながら、二人は向き合う。


「アリス=フローレンスです。あなたは?」

清水しみず由真ゆうまだけど」


 異世界風に自己紹介をするなら『ユウマ・シミズ』だっただろうか。


「ユウマ……それがあなたの名前なのですね。不思議な響きです」


 翻訳は正しく機能していたらしい。


「口に出すともっと楽しいですね。気安く呼んでいいですか?」


 ナチュラルに笑いかける。また胸がドキッとはずんだ。

 反射的に目をそらし、もじもじとする。


「私のこともアリスと呼んでください」

「貴族を呼び捨てにするのは無礼なんじゃ」

「ええ!? 気づいていらしたのですか?」


 令嬢はのけぞり、仰天する。


「見れば分かりますよ」


 素直に頷くと令嬢は露骨に沈んだ。


「そこまで、ですか。普通の少女として振る舞っていたつもりですのに、私もまだまだ未熟です」


 自作品を貶されたような落ち込み振りに、申し訳なくなる。


「ああ、よく見ると胸元でなにか光っていますね。これのせいですか。まあ、いいですよ。身分証明書になりますし」


 ブツブツと口の中でなにかをつぶやいて、急に顔を上げる。


「お願いします。今の私はどこにでもいる女です。どうか普通に接していただけますか?」


 懇願するように身を乗り出す。あまりにも切実で、茶化せない雰囲気。


「ああ、分かったよ。よろしく」


 拒むわけにもいかず流されるように頷いてしまった。

 アリスはほっと息をついたが、彼としては気が気ではない。

 飛空艇に乗る時は逃げる気満々だったというのに、旅を続行する流れになっている。

 彼女と旅をできるのは嬉しいが、戸惑いを隠せない。

 どうしてこうなった。

 心の内を打ち明けるわけにもいかず、清水しみずは口を引き結んだ。

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