勇者を降りたいのだが

 ***


 意識の外側から薄っすらと光が差し込む。

 じんわりと霧が晴れるように夢から覚め、横向きのまま目を開けた。ベッドの上をごろりと動き、仰向けになる。

 チュンチュンと、窓から小鳥の鳴き声。

 ガラスを透過する光は柔らかく、部屋を明るく照らす。

 視界に入る天井は非現実的なほど華美だった。上からは精巧なモザイクがが覗き込み、壁には赤と金の装飾が刻み込まれている。

 極めつけは天蓋付きのベッド。安息の場にしては目に痛く、ため息が出た。


 冷静に考えると今の状況こそ夢のよう。

 魔導師によってファンタジーの世界に召喚されて、魔王の討伐を依頼された。羅列するだけで頭が痛くなる。夢ならばどれほどよかったか。

 勇者という肩書こそ魅力はあれど、実際になるのは御免被る。自分はあくまで普通に暮らしが送れたらいいだけなのに。

 それはそれとして出ていかなければ怒られる(というか殺される)。清水しみずは嫌々ながら身を起こした。


 姿見の前で着替える。

 服装はゆったりとしたチュニックともっさりとしたズボン。ベージュのメリヤス編みは彼のクリーム色の肌に合っている。

 鏡に映る顔は中性的で垢抜けない。

 髪は水で整えたからよしとして、身支度もほどほどに外へ出た。


 水をかきわけるような動きで宮殿の中を歩く。

 こっそりと抜け出すつもりで気配を消す。まるでこそ泥のようだと自嘲が湧いた。


 彼の縮こまった姿をよく磨かれた床が映し出す。黒と白のチェッカーデザインに目が眩む中、前方から影が迫る。

 刺々しい鎧で肉を覆い、アーミンのマントをまとった男。

 王だ……。

 絶望的なまでの緊張感に青ざめる。


 王のそばには黒いドレスを着た侍女が構えていた。

 彼女は青年を一瞥いちべつするとすぐに視線を下げ、両手に持った剣を差し出す。

 ぽかんと棒立ちの清水しみず


「携えて行くがいい。戦いには必要だろう?」


 激励げきれいにも挑発にも聞こえる声。

 清水しみずはおずおずと剣に手を伸ばし、受け取った。かたい重みを感じる。

 シンプルに洗練せんれんされてはいるが、近場の鍛冶かじ屋にもありそうな見た目だ。

 釈然としないものを感じ首をひねりながらも、ひとまず顔を上げる。


「どうもありがとうございました」


 腰に挿して逃げるように立ち去る。


 王は追ってこなかった。

 代わりに胸が締め付けられるようなプレッシャーはいつまでも続く。

 まるで「早く戦って死んでこい」と言われているようで、悪寒が走る。

 青年は引きつった顔で身震いした。



 庭は広々としていた。

 入口の近くには大理石の彫像が見せつけるように建っている。

 モデルは女神、だろうか。きめ細やかな肌に絹のようになめらかな長い髪。

 狂気を感じるほどった造りだ。ドレスのドレープまで再現されている。

 ちらっと見つつアーチ門をくぐった。

 美女には目移りするが、植え込みやバラの低木には興味がない。

 黄金の城門のほうを向くと黒いローブを着た一団がたむろしていた。


「どうだいどうだい? 入らない? 見ていかない? イノセンテのカタリーナ様には認められてないけど、れっきとした暗黒教団エストネグロだよ。ところで君は我々と同類のようだねぇ。混血モワティエかい? ヴィクトル教を裏切ってこっちに来なよ」

「そんな私は……違います」


 薄紫に光る札を押し付けられ、引いている女性。


 イノセンテのカタリーナ様? モワティエ? ヴィクトル教? まあ、いいか。


 明らかに関わりたくない雰囲気だし、見なかったことにして、裏口へきびすを返す。

 こそこそと宮殿の敷地から出ようとしたとき、横から声が掛かった。


「どこへ行くつもりだ?」


 ドスのきいた声に震えながら振り向くと、サーコートを着た男が構えていた。

 鼻がツンと高くあごが尖っている。

 眉をつり上げた険しい顔つき。明らかに不機嫌だった。


「魔王を、倒しに」


 目をそらしながら控えめな声で答える。

 相手はさらにピリリと空気を震わせ、鼻を鳴らした。


「イノセンテへか。さすがは勇者、ご立派だな。辺境の地にわざわざ出向くとは」


 彼はなぜ怒っているのだろうか。

 首をかしげていると不意にのど元に冷たい感覚が走る。

 顔をこわらせながら視線を向けると、騎士が剣を突きつけていた。

 よく見ると彼の腰にはさやがない。いったい、いつ取り出したのか。言い知れぬ恐怖に襲われ、肌が粟立つ。


「なぜ貴様が勇者なのだ? 俺のほうがずっとあの方に信頼されている。そばで仕え、数々の戦争で勝利をもたらし、武勲ぶくんを立てた。なぜだ? やはり俺が……だからか?」


 薄い唇を激しく動かし、声を荒げる。


「いいや、関係ない! 貴様なぞより俺のほうが強いに決まっている。あの方の勇士は俺だけだ。それ以外の存在など、認めてたまるものか!」


 あまりの剣幕に押される。

 青年は怯み、汗をかいた。


「待ってください。僕だって今の状況はよく分かってない。勇者に選ばれたのも、かん違いかもしれない」


 相手に手のひらを向けながら、必死に伝える。


「勇者なんかになったって面倒なだけだし、ゆずりますよ。むしろ代わりにやってください」


 精一杯声を張り上げた。


「なんだと?」


 低い声。眉をピクリと動かし、額に青い筋を立てる。

 しまった。

 本人としてはなだめているつもりでも、相手にとっては単なる煽り。感情を逆立てしただけだった。


「言われずともそのつもりだ。貴様を斬り殺して俺が次の勇者となろう」


 嘘だろ……。

 清水しみずは色を失い立ち尽くした。

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