なにも得られない田舎者
***
なつかしくもほろ苦い記憶。
おぼろげに歪んだ景色が目の前に広がっている。
民家よりも田んぼが多い田舎の、山奥に建つ校舎。
校門を通るには長々とした坂を上らかなければならず、登校するのも一苦労だ。
中学はまだマシなほうで小学校へは通学に三十分以上も掛かる。無論、徒歩で。
クラスのメンツは小学校と変わらず、全員が友達のような関係性になっていた。
それゆえにチームワークは抜群。行事も学校全体の問題も、力を合わせてなんでもこなしてしまう様は、まさしく最強だった。
卒業の日は肌寒く、まだ冬の中にいる気分である。
校庭に植えてある木はまだ
雪の残る景色を背景に、コサージュを挿した卒業生が、教室に集まる。
「結局、お前には一度もテストで勝てなかったな。いつかリベンジさせろよ」
「それ言うなら俺だってそうだ。去年も今年も、お前ら紅組が優勝だったろ」
「あれ、そうだっけ?」
友達の友達同士が思い出に声を弾ませている。
劇的に震える空気。笑えるような泣けるようなキラキラとした話を耳に入れる過程で、中性的な顔をした少年は気づく。
自分には思い出らしい思い出がない。
頭の中を探っても心に残る情景はなにもなかった。
学校の成績はザ・平均値、可もなく不可もない。
体育祭は二勝一敗。
部活は文芸部で毎日のように通ってはいたけれど、平凡な作品しか遺していない。
友達もあくまで表面上の付き合いだ。
クラスメイトだから仲よくしているだけで、彼らは
誰に聞いても同じような言葉を口にする。
「彼は空気のようなやつだ。いても邪魔にならないし、いなくても困らない。掴みどころがなくて、なにを考えているのか、分からない」
高校受験は適当な、あまり勉強をしなくても受かりそうな場所を選んだ。すでに合格は決まっている。
最後まで心の内側を打ち明けられずに終わってしまった。
ほんのりとした寂しさを抱きながらも「まあいいか」と口に出し、窓の外を見る。
空は相変わらず煤けていたが、春は近い。
高校からは環境も変わるがいままで通り無難に過ごす。波風が立たなければそれでいい。
打ち上げから帰ると母が廊下の真ん中で仁王立ちをしていた。
サラサラとしたストレートヘアを腰のあたりで揺らしながら、切れ長の目でこちらを見据える。
「いいですか。あなたにはなにもかもが欠けています」
マットな口紅を塗った唇を激しく動かし、声を張り上げる。
「流されてはなりません。本当に欲しい未来を選びなさい。あなたが為したいことが叶ったのなら、もう帰ってこなくて結構です」
険しい顔で突き放すように告げる。
「はあ」
彼からしてみれば母がなぜ怒っているのか分からない。
当時は重要な話とも思っておらず、聞き流した。
しかし、春になって状況は一変する。
「なんでいきなり?」
ちゃぶ台とテレビしか置いていない空っぽな居間で、清水は目を丸くした。
一人暮らしをせよ。
高校入学と同時に親から言い渡された宣告。
彼にとっては突然世界がひっくり返ったような衝撃で、戸惑いを隠せない。
「あなたは自立するべきです。あの人も『それがいいんじゃないか』と言いました」
「そりゃあ親父は文句言わないだろうけど……」
目を泳がしながら口を動かす。
母はさらに目付きを鋭くした。狭めた瞳からは冴えた光がほとばしる。
「言いましたよね。帰ってこなくても構わないと」
にらみつけるような顔は凄みがあった。
彼に決定権はなかった。
母の言い分はまるで理解ができない。
普通が最も大切なことだろうになぜ分かってくれないのか。
彼は決めた、もう二度と帰ってはやらないと。
理不尽な怒りをこらえながら歯を食いしばり、握りしめた拳を震わした。
かくして
学生の内はまだいいが卒業してからはどこへ行けばいいのだろうか。
いちおう校則通りにぴっしりと制服を着たり、門限を守ったりして、真っ当に生活してはいる。
欲しいものは見つからず、人生の目標もない。知り合いはいるけれど友達はできず、彼の青春は灰色だった。
なにも得られないまま二年生の夏を迎える。
いつまでも平凡な生活が続くと思われたとき唐突に光に包まれ、
実際は青年にとっての天啓に近い出来事だったが、今の彼には知る由もない。
強制的に押し付けられた重荷と共に、青年の日常は終わりを迎えた。
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