放課後スイーツは女子高生の特権、らしい

「パフェ食べに行こ」


 わたしと侑香の朝は、小学生の頃にあった読書時間よりも短いです。

 教室で顔を合わせて挨拶をして、侑香のアイデアに依存するかたちで放課後の予定が決まります。

 それ以降、校内で会話をすることは稀です。わたしとは縁遠いグループの輪に参加する、侑香の背中を見送るのも慣れたものです。それは交友関係を結ぶ前からの、変わらぬ景色だからです。

 本に目を戻し、授業と授業の間はそうして過ごします。

 一日を通して聴き慣れたチャイムの音も、放課後となると喧騒が色とりどり混じり合って、まったく違う音色を奏でます。

 活力や憂鬱であふれかえったひといきれを抜け出すように昇降口へ急いで、ひと足先に校舎を出ました。


「せつなっ」


 正門の脇でなるべく目立たないように心がけていると、背中に衝撃を受けました。

 軽いです。そこまで体重をかけていないやさしさが伝わります。

 振り返るまでもなくわかりますが……振り返ると、頬に指先があたりました。

 してやったりとばかりに笑う侑香が横目に見えます。


「一緒に帰ろ、雪菜」

「ぅ、にゅん」


 頬がぐりぐりされて喋りにくいです。

 背中から温度が離れていきました。その隙間に冬の寒さが入り込んできます。

 隣にいる侑香を見ながら、寂しさを感じています。贅沢ですね。雑念を打ち消します。


「さあ、雪菜。約束した通り、パフェを食べに行くよ」


 駅へ向かって足並みを合わせます。

 侑香はがばんから取り出した四つ折りのチラシを広げて、大きく描かれたチョコレートパフェを指差しました。


「……ちゃれんじ?」


 思わず口からこぼれます。目を引く色をした見出しです。チャレンジメニュー。


「よく見てるねぇ。これはね、大きなチョコレートパフェなんだよ!」

「え」


 侑香の言葉をどうにか咀嚼します。それだけでおなかいっぱいになってしまいます。つまり、大食いというやつでしょう。


「女子学生ならふたりチャレンジオッケーなんだって。これは、私たちふたりへの挑戦状でしょ!」


 チラシのどこを見てもわたしたちの名前はありません。

 首を横に振ると、侑香の目が細まりました。

 細長い指先、ラメのきらめく爪が文字を指し示します。


「チョコレート、だよ?」


 喉が詰まります。そのつもりで、侑香が提案したのならわたしは頷くしかありません。

 拒んでしまったら、この交友関係は、はじめからなくなってしまうのです。


「ありがと。けどね、雪菜。同じくらい、大切なことがあるよ」


 それはなんでしょうか。わたしたちを結びつけるのと同等のものなんて、頭に浮かびません。

 答えを待っていると、チラシを畳んだ侑香が笑いました。どこかいたずらっぽく見えます。


「放課後スイーツは女子高生の特権だよ!」


 喉が鳴ります。舌が絡まって、呼吸がうまくできません。

 それは侑香がよく言う、魔法のような言葉です。

 放課後はだって、高校生で終わりです。大学生のコマ割りは眺めていると、空白の長短の違いでしかないように思えます。社会人は課外活動でなく、仕事の終わりです。

 だから侑香はよく、放課後にスイーツを食べています。それが特権だと言って。体重の悩みを聞いたこともありません。女子高生は放課後に甘いものを食べると太らないそうです。魔法ですね。

 わたしは食べません。もともと買い食いはしなかったのですが、侑香と帰るようになってからは意識して努めています。

 まるで友達のようで、それは踏み込みすぎだと思うから。

 その垣根を、侑香は壊します。超える意味をわからないはずがないのに。

 頷いて、いいのでしょうか。許されるのでしょうか。

 足を止めたわたしを置いて、侑香は進みます。肩越しに振り返ります。


「行くよ、雪菜」


 わたしは答えることができず、ただその背中についていきます。声にならない思いが、そうして伝わることを願って。

 そんな願いとは裏腹に、現実とは厳しいものです。

 まるで塔のようでした。パフェが運ばれてきたときの率直な感想です。


「やばー」


 嬉しそうに言いながら、その圧倒的な造形を侑香は写真に収めます。彼女たちの明日の話題は、このパフェからはじまるでしょう。

 その背景に隠れる、喜びも苦しさも、共有されないで。

 暗い欲望が顔を覗かせます。それはきっと底なしです。だから見ないふりをします。

 底が抜けているのは、胃袋のほうであってほしかったです。


「……わかってたけど、これは、やっぱり」


 わたしはスプーンを祈るように両手で握って、うつむいた顔をわずかに上下させました。

 美味しいです。苦みが弱く、侑香好みの味だなって思い浮かびました。

 中ボスなコーンフレークのふたをどうにかやっつけて、再びのチョコレートクリームを前に手が止まります。油分が、重い。花の女子高生です。

 だいたいなぜ、このお店はこんな時期にこのメニューを打ち出しているのでしょう。バレンタインは終わりました。ホワイトデーが近いからですか、そうですね。

 もしチョコレートのお返しにチャレンジメニューのパフェを贈る男性がいるのなら、八割の女性に愛想をつかされます。過剰な糖分が空回りして、変な思考になっています。

 今は脳内に没している場合ではありません。目の前の現実こそ、重要です。


「がんばるよ、雪菜」


 蚊の鳴くようなか細い声です。肯定するわたしの声も、いつも以上に小さくて音になっていたかはわかりません。


「こちとら遊びで女子高生やってないんだよ……!」


 義務教育でもないので、たしかに選んだ道のりです。

 放課後スイーツは女子高生の特権、らしいので、真剣に戦わなければなければなりません。

 わたしと侑香との間に、食べ残し――特に、チョコレートを残すという選択肢はありません。

 血液ぜんぶがカカオになる幻想を抱きながら、底をすくうスプーンに重さがないのを確かめます。

 見ないようにしていたパフェが、空になっていました。

 器のなかで、お行儀は悪いですが、ふたつのスプーンを合わせます。チン、と鳴る音が勝ちどきです。

 苦しいですが、どうにか顔をあげます。

 赤くなった顔の侑香も、こちらを見ていました。その表情にはいつもと違って、ぎこちない笑みが浮かんでいます。


「雪菜……私はチョコレートは、おいしく食べれるのがいちばんだって、学んだよ」

「そ、う……だね」


 こんな無茶をしなくたって、一緒にいられます。

 侑香には、いつもみたいに、まぶしく笑っていてほしいです。

 でも。

 苦しい挑戦でしたが、楽しかったです。

 青春の一ページくらいには、こんな思い出もあっていいと思います。

 晩ご飯は、明日のお弁当にしてもらいます。

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