第4話 一週間おつかれさま
金曜日の夜。玄関の鍵を開けると、弾んだ足取りで梢ちゃんがやってくる。
「おかえりなさいませ、旦那さま!」
「ただいま、梢ちゃん」
家に帰ったら、梢ちゃんが笑顔で迎えてくれる。
この生活にも、かなり慣れてしまった。
「一週間お疲れ様です。今日は金曜日だから、ご馳走ですよ!」
「そうなの? 毎日美味しいのに」
「今日は特別です。ほらほら、早く!」
綺麗になったリビング。
いつの間にか調理器具の増えたキッチン。
梢ちゃんがきてから、この家もかなり変わったな。
「じゃーん! 今日の夕飯はクリームシチューのパイ包み! パイを焼くのは初めてだったんですけど、上手にできました」
「え!? 梢ちゃんがパイも焼いたの?」
「はい!」
「すごいなぁ……」
本当にお店の料理みたいだ。他にも、美味しそうなカルパッチョがあるし。
「いーくん、お仕事忙しかったから、美味しいもの食べて元気出してほしかったんです」
「梢ちゃん……」
「いーくんのお嫁さんとして、疲れたいーくんを癒すのが私の務めですから」
うん、違う。
ありがたいんだけど、違う。
でも……。
梢ちゃんがこんなに楽しそうにしてるんだし、今は否定しなくてもいいかな。
「ありがとう。さっそく夕飯食べたいな」
「はい!」
♡
「食器は俺が洗うね」
「いえ! それも私がします。いーくんはとにかく休んでください」
「いやいや、さすがにそれくらいやるって。ていうか、本格的にお礼しなきゃとは思ってるんだよ」
ここまで家事をやってもらっておいて、何もしないわけにはいかない。
「何がいいかな? バイト代ってことでお金でもいいし、欲しい物とかあればそれでも」
「いーくんの苗字!」
「それは却下」
「……酷い」
本当ブレないな、梢ちゃん。
「まあ、考えておいてね。苗字以外で」
「……善処はします」
不満たっぷりな声で言うと、そうだ! と梢ちゃんはなにかを思い出したように両手を叩いた。
「肩たたきしてあげます」
「肩たたき?」
「はい! 私、結構上手いんですよ。お母さんとかお父さんにも褒められるくらい」
「そうなんだ。じゃあ、お願いしようかな」
「ふふ、任せてくださいね」
肩たたきなんて子供みたいで可愛い。
そう思ったことを、俺はすぐに後悔することになるのだった。
♡
「じゃあ、始めますね!」
「……ちょっと待って。さすがにこの体勢は駄目じゃない?」
「なにがですか?」
楽しそうに笑いながら、梢ちゃんが背中にぎゅう、と身体を押しつけてくる。
「……梢ちゃん。絶対分かってるでしょ?」
「えー? いーくん、なに言ってるの?」
「梢ちゃん」
「梢、本当に分かんないもん」
むぎゅ、とさらに身体を押しつけてくる。
「……はあ」
子供みたいな行動なのに、梢ちゃんの身体はちゃんと大人だ。
……っていうか、思ったよりずっと大人だ。
「梢ちゃん。こういうことは軽々しくしちゃ駄目だって。梢ちゃんが思ってる以上に、男は危ないんだからね?」
「こんなにくっつくの、いーくんだけですよ?」
くっついているから、梢ちゃんの吐息が耳にかかる。
耐えろ、俺の理性。
さすがに耐えないと、お兄ちゃんとしての威厳がなさすぎる。
「じゃあ、肩たたき、始めますね」
一定のリズムで梢ちゃんに肩を叩かれる。
「いーくん、気持ちいい?」
「その聞き方はちょっとあれだけど、気持ちいいよ」
「本当!? お嫁さんにしたくなった!?」
「いや、肩たたき上手いのとそれは別でしょ」
「む……じゃあ、いーくんの理想の奥さんって、どんな子?」
理想の奥さん?
そんなこと、考えたこともなかったな。
結婚相手どころか彼女すらいないし、モテないし、注文をつけられるような立場じゃない。
でもまあ、理想を言うとすれば……。
「一緒にいて、自然と笑顔になれる子かな」
「あとは?」
「そうだなあ……ずっと、仲良くいられる子かな。家事とか仕事とか、そういう実務的なことじゃなくて」
もちろん、美味しい料理を作ってくれる奥さんは素敵だろうし、憧れもする。
経済的なことを考えれば、しっかり働いてくれる子がいいんだろう。
でも、なにより……。
「俺のこと、ずっと好きでいてくれる子かな」
「いーくん……ありがとうございます」
「……は?」
「今の、熱烈な私へのプロポーズってことですよね!?」
「なんでそうなる……」
「だって私、いーくんのこと小さい時から大好きですし。それに……」
梢ちゃんが俺の正面に移動して、俺の頬を両手で挟んだ。
「私がきてから、旦那さまはずっと笑ってくれてますよ?」
「……あ」
確かにそうかもしれない。梢ちゃんがくる前は、家で笑うことなんて全然なかったのに。
「でしょ? いーくん」
「……うん」
「ほら! 私以上にいーくんのお嫁さんにふさわしい子はいませんよ!」
分かってる。
たぶんこの先、こんなに素敵な子が俺を好きなることはないだろう。
でも、梢ちゃんは俺にはもったいなさすぎる。
俺を好きだと言ってくれてるのも、小さい頃に面倒を見ていた俺を美化しているだけだろう。
そんな梢ちゃんを、俺なんかに縛りつけることはできない。
……だけど。
この夏だけは、夢を見たっていいんじゃないだろうか。
「梢ちゃん」
「なんですか?」
「明日は土曜日だし、デートでもしようか」
「絶対、します!!」
梢ちゃんの大声が、家中に響いた。
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