第2話 再会。彼女はただいま失恋中

 それから一週間ほどして、放課後ぶらぶらしていると、思わぬ人に巡りあった。何を隠そうこの間の事故の相手方である。

 そのときと違うのは彼女が目も覚めるような真っ白なコーデュロイのパンツに、デコルテの形がはっきり分かるような肩までずり落ちた真っ赤なベロアのトップスを身につけていることだった。大人の色気を感じて、相手を見つめたまま固まってしまう。気付いているのはこちらだけ。彼女は見向きもしない。目の前には彼女より幾分年上と見える男性がいて、楽しそうな笑みを浮かべていた。彼女も恥ずかしげに微笑んでいる。

 気を取り戻してその場を通り過ぎようとすると、急に彼女の視線がこちらに向いて俺を視界に捕えた。

「!」

 驚いたように目を見開く。

「君、大丈夫だった!?」

 腕を掴まれて俺は先ほどとは違う意味で硬直する。驚きのあまり、手にしていたちょっとエッチな漫画を隠し入れていた紙袋を落としてしまう。あろうことか、大人二人の前に、限りなく大人なシーンをさらけ出して漫画が不時着する。

「もう、大丈夫?」

 女性は全く気になどしていない様子で漫画を拾い上げると紙袋に戻して手渡してくる。

(全然大丈夫じゃない!!)

 顔から火が出そうだ。そして、恥ずかしさのあまり俺はとんでもない発言をしてしまった。

「俺のこと轢いたおばさんが何か用ですか」

 一瞬にしてその場が凍り付いた。

 男性は「轢いた」という単語に引いているし、女性は

「お、おば、おば…」

 肩がわなわなと震えている。

「ちょっと君、こっちに来なさい!」

 かくして俺はおばさん呼ばわりした女性に連行されたのだった。


 入ったのは近くの喫茶店。

 俺の目の前にはコーラ、向かいの女性の目の前にはコーヒーが置かれている。

「失礼じゃないの。人前でおばさん呼ばわりするなんて。こっちはあなたのこと心配して気が気じゃなかったっていうのに」

「すみません」

 八割方エロとギャグの漫画本を読んでいるのを誤魔化すためとはいえ、酷いことを言ってしまった。それより

「あの人はいいんですか」

「あの人?」

「さっきまで一緒にいた男の人です。めちゃくちゃ楽しそうにしてましたよね」

「めちゃくちゃってわけじゃないけど。ま、いいのよ。相手も私とだけ会いに来たわけじゃないから」

「?」

「……街コンよ、街コン。男女の出逢いを求めるためのイベント」

「街コン」

 彼女とその単語が何だか妙に合わない気がしてぼんやりしていると、

「何よ。おばさんが出逢い求めてたら悪いの。またからかう気なのね」

 きっと睨みつけられる。

 慌てて頭を振った。

「違いますよ。そうじゃなくて、そういうのに参加しなくてもお姉さんならいくらでも出逢いとかありそうだなと思ったんで」

 おばさんをお姉さんに訂正したことで、女性は急に静かになった。寂しそうにコーヒーカップを手に取ると口をつける。

「私だって別に本気で出逢いを求めてるわけじゃないわ」

「参加してるのに」

「知り合いに誘われたからよ。すでに参加申込までされてて来ざるをえなかったの。……っていうのは言い訳かな」

「?」

「私、この間失恋したばっかりなの」

 右手で掴んでいたグラスを取り落としかける。まさか出逢ってそれほども経たない女性から失恋話を聞かされるとは思ってもみなかった。

「どちらかというと失恋が先。ああ、そっか。こいつ彼女いるんだって分かってからすごくショックで。でもショックな理由が自分でも分からないわけ。それで飲み屋でぐだぐだしてたら、それは失恋でしょう、って言われたの。不思議とその言葉がすとんと落ちてきたのよ。ああ、私、あいつのこと好きだったんだって」

「はあ」

「ああ、私なに言ってるんだろ。こんな子ども相手に」

 女性はまるでお酒を煽るかのように、コーヒーを飲み干した。

 気が強そうな見た目なのに、意外とナイーブなのかもしれない。自分の気持ちにも気付かなくて、気付いちゃったら深みに嵌まってしまう。失恋の深海から抜け出すのに時間が掛かりそうなタイプだな、などと考えながら相手を観察していると

「君、私の休日の邪魔したんだから、ちょっと付き合いなさいよ」

 というなり立ち上がった。

「早く!」

 俺は飲みかけのコーラを置いて相手の後ろをついていく。

 これは大変なことになった。


 連れて行かれたのはゲームセンター。

 目の前には人気のキャラクターのぬいぐるみや人形が詰められたUFO キャッチャー。

 女性が小銭を機械に挿入して、

「あれね、あの人形。私大好きなの」

「あんな人形の何がいいんですか。もっと取りやすいやつにしてくださいよ」

「ツベコベ言わないの。取るまで帰さないから。私をおばさん呼ばわりした罰よ」

 まだ根に持っている。

 俺は全神経を集中させた。

 しかし横からの圧。人のお金だというプレッシャー。ことごとく失敗し、全く眼中になかった猫のぬいぐるみをゲットしたところで解放してもらえた。

「ま、いいわ。これもなかなか可愛いし」

 そう言ってにっこり微笑む姿が妙に眩しかった。


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