第14話 

 激しい足音が聞こえてきた。

 最初に現れた人は、フリルのついた服を着て、ツインテールを振り回すように降りてくる。

「助けて」

 大きく翻ったスカートの中が見えそうになるのも構わず、しがみついて来た。

「ど、どうしたんじゃお嬢さん」

 漂う甘い匂いに酔いそうになりながら尋ねた。

「いきなり襲われて、追いかけてきた」

 フリルの付いた服が肩のあたりから千切れ、白い肩が剥き出しになっている。

「おじいちゃん。誰か来た」

 麗に言われて見ると、男がこちらを見下ろしている。

 肩で息をしながら、こちらに駆け降りてきた。

 眉を寄せた険しい表情で睨まれる。

 背中にいる被害者を助けないといけないのに、足が動かない。

 男の手が届く距離まで迫る。

 下手に刺激しないように、出方を見る。

「おい、後ろのそいつをこっちに寄越せ」

 男の迫力に声が震える。

「この人は、わしに助けを求めてきたんだ」

「助けだぁ」

 男が手に持った灯油タンクを手すりに叩きつける。

 音に驚いたのか、麗が声を上げた。

「そいつから誘っておきながら、突然犯罪者扱いしたんだ」

「しかし、服が破れている。これはあんたがやったんじゃ」

「違えよ。自分で破いて悲鳴をあげたんだ」

「初対面で名前も知らない。いきなり襲いかかってきたんです。信じてください」

「そうやってお前らは俺を犯罪者扱いするんだな。引きこもりは全員犯罪者だと思ってるんだろ」

 肩に灯油タンクが当たって杖が吹き飛ぶ。

「おじいちゃん」

「ガキ。スマホで何してんだ」

 麗の悲鳴。肘を抑えて呻いている。

「その子は関係ない」

 通り過ぎようとする男の足を掴む。

「ジジイ。俺の邪魔するな」

 背中を何度叩かれても我慢していたが、肩甲骨にタンクの角があたり、力が抜けてしまった。

「おじいちゃんを殴らないで」

 麗が持っていた刀で男の脛を打った。

 激痛で顔を歪め、その場でうずくまる。

「逃げよう」

 手を引っ張ってもらって立ち上がって、距離を取ろうとした。

 不意に背中を押され、麗を巻き添えに階段を転げ落ちる。

 顔を上げると男に襲われた被害者が座り込んでいた。

 腰を抜かしているのか、男の方を見たまま動かない。

 望の側には突き飛ばされた麗。

「この子は関係ないから逃がしてあげてください」

 桃色のツインテールを鞭のようにしならせながら首を降り、両手で麗を抱き起こそうとしている。

「俺を馬鹿にした奴は全員、この世から消してやる」

 灯油タンクの蓋を投げ捨てた。

「うえ、油臭い。やめて」

 麗の頭に液体がかけられる。

 男が勢いよくタンクの中身をぶちまける。自分にかかっていることも気づいていない様子だ。

 男は息の荒げながら、粗末なライターを取り出した。

「馬鹿にする奴は消えちまえ」

 笑いながらスイッチを押した。

 しかし点かない。

 望は神がくれたチャンスだと考え、そばに落ちた刀を手に取る。

 鞘を投げ捨てた。

 目が眩むほどギラギラした刀を前に突き出して駆け降りる。

 柔らかな感触の後に続く硬い手応え。

 持っている刀が押しても引いても動かない。

 だが男は動いた。

 膝が鼻にめり込んだ。刀を手離してしまう。

 涙で滲む視界に映るのは、刀が突き刺さったままの男。

 腹から大量出血しながらも手に持ったライターは離そうとせず、親指が機械のように動き続ける。

 火がついた。そこからはあっという間の出来事だった。

 男の腕から胴にかけて火が走る。煙でむせながら笑い続けている。

 全身に火が回った男が振り返る。自らを火種にして、二人がいる方に倒れ込む。

 一気に火の手の勢いが強まった。

 複数の叫び声が重なる。

 望は煙と火の粉で瞬きを繰り返す。その明滅する視界の中で炎が動き出す。

 まず手が伸びた。最初は一つ次に二つ。何かを探すように指が動く。

 手が地面を這うように動き出した。

 望の方向に向かってくる。

 炎の塊から産み落ちたそれは、大きく張り出した四角い背中を持っていた。

「ああ、すまない。すまない」

 煙で掠れた声が虚しく響く。

 涙、鼻水、涎まみれのまま、動く炎から目が離せない。

 炎の手が足に伸びてきた。途端に緩慢な動きが早まり、ふくらはぎ、腿と伝ってくる。

 両手によって顔を固定された。

 腕の間から、炎の皮膚を持つ丸みのある物体が近づいてくる。

 望は耳の辺りを焼かれながらも、それから目が離せない。いや離してはいけないともう一人の自分が命令し続けていた。

 物体の下方が横一文字に裂けた。

 表れたのは、虫歯ひとつない歯列。

 まるで付け足したような傷ひとつない唇が動く。

「おじいちゃんだよね。熱いよ。助けて助けて」

 声と共に火が侵入し、望の体内を焼き尽くしていく。

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