第10話 

 首が左右に揺れ、座席から転げ落ちそうになる。

 慌てて全身を支え、同時にアタッシュケースを持つ手に力を込めた。

 揺れが収まるのも束の間、新たな揺れが襲ってくる。

「猫鮫二曹」

「突然、車が言うことを聞かくなったんです」

 タブレットを触っていないのに、画面が左右にブレ、同じように車体も蛇行していた。

「と、飛び降りるのはどうですか」

 俺は鼯二曹の提案を却下する。

「この速度では、衝撃で耐熱服が損傷する可能性がある」

「じゃあ、どうすんだよ」

 蛇革に悪いが答える時間がない。

 こうしている間も遠心力によって、いつ身体が吹き飛ぶか分からない。

「アクセルやブレーキはどうなんだ」

「どちらも駄目です。アクセルはずっと全開で止まる気配がありません」

「ハンドルは」

 車にでも激突したのか、大きな衝撃で頭が前につんのめる。

 一瞬速度が緩むが、その短い時間ではハッチを開けることもできない。

「ハンドルはまだ効きますが、何とか直進させるのが精一杯、です」

 アクセルもブレーキもこちらの手を離れた。ハンドルは直進させるので精一杯。

 ハッチ横の壁にあるスイッチを見て臍を固める。

「三人とも聞いてくれ。この車を止める方法を」

 俺が説明すると、蛇革の拳が飛んできた。揺れる車内で狙いをつけることも難しかったらしく、明後日の方向へ飛んでいく。

「馬鹿か。そんな方法で無事でいられるか」

「時速百キロ超えた車から飛び降りるか、二択だ。どちらかしかないんだ」

「隊長。丁度目の前に適当な障害物が」

「そこに誘導するんだ。衝撃に備えろ」

 蛇革、鼯が背中を丸め頭を抱える。

「俺は絶対、死なねえぞ」

「お、お父さん。生きて帰れなかったらごめんなさい」

 ギリギリまでハンドルと格闘していた猫鮫がタブレットを捨てて身体を丸める。

 俺も頭を抱えた時、車内に響くほどの轟音と衝撃に全身が包まれた。

 背中の痛みで覚醒すると、閉鎖された運転席のドアが遠くに見え、前には耐熱服を着た誰かの後頭部が見える。

 どうやら仲間と車体後部の壁に挟まれたようだ。

「みんな生きてるか。声を出せ」

 身体が前に引っ張られるような感覚はない。停車には成功したようだ。

「鼯滋二曹生きています」

「猫鮫、怪我はありません」

 二人が起き上がる。

 俺をサンドイッチしている耐熱服のヘルメットを叩く。

「蛇革、返事しろ。蛇革」

 動かない。試しに腕を上げてみても力なく落ちた。

「くそ、死ぬんじゃない。蛇革」

 突然ヘルメットが俺のヘルメットに頭突きしてきた。

「唇硬っ。って、あれここどこだ。俺の運命の女はどこいったんだ」

「こんな時に寝ぼけるな」

 全員が動ける事を確認してから、後部ハッチを解放する。

 開いてすぐ、手で庇を作った。

 外は一面、火の踊り子たちが踊り狂っていた。

 俺も三人も爪先すら動かない。

 背後で破裂音。振り向くと、運転席に通じるドアが無理やり開かれ、隙間から炎が手を伸ばしている。

 隙間はみるみるうちに広がり、ドアが熱で変形していく。

「みんな外に出ろ」

 俺は体当たりするように三人と共に飛び出した。

 直後にドアが吹き飛び、頭上を飛び過ぎていく。

 地面に倒れると、炎の草原に顔を撫でられる。

 立ち上がると、四方は炎に囲まれ、蟻の這い出る隙間もない。

 背後で乗ってきた車が爆発炎上。

「こちら大和、玉鋼曹長応答願います。聞こえますか。車両が大破。繰り返します車両が大破」

 帰ってくるのは雑音ばかり。それでも次の指示を求めていると、

「大和、意味ねえよ」

「だが、八方塞がりだ」

 蛇革はヘルメット越しに自分の耳の辺りを叩く。

「俺もやってみたが玉鋼とは通じない。他の二人もおんなじだ」

「仕方ない。このまま前進する」

「いいね。その切り替えの早さ。惚れちゃいそうだぜ」

「二人は意見はあるか」

「大和隊長。目標までの足がありません」

「馬鹿か、お前にも二本の立派な足があるだろうが」

「歩きで炎の中を突き進むなんて、無茶ですよ」

 鼯二曹は今にも泣きそうだ。

「ここにいては確実に死ぬだけだぞ」

 猫鮫二曹は何も言わずに一歩前に出た。

 俺と蛇革が歩き出すと、鼯二曹も涙声を出しながらついてくる。

「じ、自分も行きます。こんなところで死にたくありません」

 全員の意見が一致した。次にする事はどこに進むかだ。

 よく見ると、車両がぶつかった障害物が二つに折れて倒れるようになっている。

 三人に伝えてから近づいてみる。障害物は横に長い長方形で中が空洞になった箱のよう。

 足を踏み入れた瞬間、靴底が砂浜を踏みしめた。

 無視する事ができずに足をどけてみると、伸ばされた腕の真ん中がへこんでいる。

 ついさっきまで吊り革を掴んでいたかのように握られた拳。

 今も炎に炙られ、炭化した前腕を踏んでしまったようだ。

「なに立ち止まってるんだよ」

 俺は返事もせずに左右に首を巡らす。

「ここは電車だ」

「電車だって」

「ああ、乗客が乗っている。今も焼かれながら」

「マジかよ。そんなところを通るのかよ」

「そうだ。出来る限り見ない方がいい」

 車内には、スマホを見ているように前のめりの遺体。疲れたように背もたれに身体を預ける遺体。

 自分が火に焼かれている事に気づいていないような自然体だった。

 電車だった残骸から出ると、無線から嘔吐する声。

「誰だ」

「鼯の奴だ。あいつ、死体を見慣れてなかったみたいだな」

「鼯二曹、大丈夫か」

 答えがないので、振り向くと手を挙げる。どうやら進めるらしい。

 だが電車を超えても炎の壁は高く聳えている。

 その壁が左右に裂けているように見えた。

 明るい中にずっといるので眼精疲労のせいかもしれない。

 何度か瞬きしてみても、目の前の裂け目は広がり、一列なら倒れる隙間になる。

 目標に誘われているのだろうか。例えそうだとしても俺たちには進むという選択肢しかなかった。

 町は今、新たな住人が住み着いている。

 踊り子達は火の粉の汗を撒き散らしながら、飛び回る。熱狂する客のように火柱が激しく天を焦がす。

「隊長。申し訳ありませんでした」

「何の事だ。猫鮫二曹」

「私が車をうまく運転できれば、今頃目標のところに」

「そうかもしれないが、そうじゃないかもしれない」

「しかし」

「今は任務に集中するんだ。それでも罪悪感が拭えないなら、ここじゃなくもっと快適なところで話を聞くよ」

「了解しました」

 表情は分からないが、声に力強さが戻っていた。

 ストローを吸っても空気しか入ってこない。

 いつからだろうか、喉の渇きが一向に癒えない。

 汗も止まらず目から追い出すために何度も瞬きを繰り返していた。

「待て。鼯二曹が膝をついた」

 蛇革が助け起こすのを待つ。もう一度や二度ではない。

 肩を貸す蛇革の声も無線機越しでも分かるほど掠れている。

 もう猫鮫も一言も声を発さない。

 ヘルメットの頭頂部に何か当たる音がした。

 下を見るとネジ。見上げると、ビルの看板の留め具が外れて傾いている。

「逃げろ」

 一人だけ動かない。

「猫鮫二曹」

 声をかけても反応がない。

 ヘルメットを叩くと白目から黒目が戻ってきた。

「生きてるな、返事しろ」

 喋るのも辛いのか、瞬きを繰り返す。

「立てるか」

 手を引っ張って立たせる。

「すいません。後は自分で歩けます」

 一歩進んだだけで、膝が崩れそうになる。

「俺の肩を掴め」

 猫鮫二曹の手を確認して、W・M・R不動産の看板を乗り越えた。

 誘導する裂け目に沿って行く。もう誰も喋らない。

 荒い吐息は、無線から聞こえるのか自分なのか判別する気も起きない。

 目の前に登り坂が現れた。手摺りに段差、どうやら急な階段らしい。

 上の方では炎の竜巻が渦巻いている。

 消耗した俺たちにとって、避けたいところだったが、左右も後ろも変えられない壁に遮られている。

 俺は手に力の入らない猫鮫に肩を貸す。

 後ろを振り返ると、蛇革から無線が入る。

「触られるなら女がいい」

「まだ元気そうで安心したよ」

 動いている足は四本だが、四人で階段を登る。

 最上段が見えた時、俺の足に力が入った。

「おい鼯。見てみろ。この任務もあと少しで完了だ」

「あ、あれが目標のカグツチですか」

 鼯だけでなく隣の猫鮫の身体が軽くなる。

「隊長。ありがとうございます。一人で歩けます」

 竜巻が独楽のように回り続けている。

 特別な存在なのか、他の炎が先端を下げている様子は主に頭を垂れているようにも見えた。

 四人で立つと回転が止まり、中から人間が現れる。

 蛇革が右手を動かそうとしたので素早く手を掴む。

「まだだ。合図を待て」

 俺は内蔵されたスピーカーをオンにして、体育座りをしている目標カグツチに話しかける。

「要求した物を持ってきた」

 薄い桃色の髪で身体は隠れているが、どうやら服は着ていない。

「早く見せて」

 カグツチはこちらを見ない。

 俺はアタッシュケースのロックを解除し、蓋を開けて中を見せた。

「これでいいか」

 カグツチが顔をあげた。開いた口を手で覆う。

 目尻に涙を貯めながら、中身を取っていく。

 初めて見た俺は信じられなかった。

 ケースの中身は瓶だ。ガラス製の器に交差したヒビが入っている以外、なんの変哲もない瓶。

 街を焼き尽くす力を持つ人間が、欲していたのはこれなのか。

「こちら蛇革、いつでも撃ち込める」

「猫鮫も同じく」

「鼯二曹、合図を待っています」

 カグツチは瓶を抱きしめたまま嗚咽を漏らしている。恋人を抱くように何度もガラスに口付けしていた。

 完全にこちらは蚊帳の外。

 俺は第二の、いや真の目標を達成するために命令を下す。

「全員、安全装置解除」

 右手の発射装置を解除。四つのレーザーポインタがカグツチに狙いを定める。

 目の前の目標は十代に見える。とても人殺しはできそうにないが、町一つの人間を殺した張本人。

 躊躇する理由はない。自分の心の安全装置を解除した。

「発射」

 空気が噴射する音と共に、右手の発射装置から針が飛ぶ。

 発射音に気づいたのか、顔を上げたカグツチに腹が刺さる。

 シリンダで押された麻酔液が注入されたようで、カグツチの頭が死んだように垂れ下がった。

 第二の目標。カグツチを生きたまま確保する事。

 これが作戦の真の目標。

「蛇革二曹。連行してくれ」

 カグツチは瓶を抱いた姿勢のまま微動だにしない。

「俺は女しか抱きたくないんだが」

 油断なく銃を構えたまま見ていると、蛇革がカグツチに触れた姿勢で固まった。

「どうした。問題発生か」

 返事は帰ってこず、ヘルメットがマッチの先端のように明るくなった。

 素早く引き剥がすと、耐熱服内部に炎が充満している。

 一瞬炭化した頭蓋骨が覗いたが、それもすぐに炎の中に呑まれてしまった。

「全員。次弾発射」

 二人に指示を出すが、答えは帰って来ない。

 首を動かすと、二人ともマッチのようにヘルメット内部が輝いている。

「猫鮫二曹、鼯二曹」

「まったく、弱いくせに不意打ちなんて、いや弱いから不意打ちするのか」

 反射的に麻酔銃を撃つ。当たる直前、目標の目の前で小さな火が灯った。

「無理無理。もう届かないから」

 刺さっていた針も同じように火を吹いて消滅した。

 裸足で近づいてくる。

 逃げろ逃げろと叫んでも、右手を前に出したまま動けない。

 肩に手を置かれた。

「さて、瓶も帰ってきた事だし、私は行くよ。この世界に用はないし」

 首元に眼球のついた鍵が垂れ下がっている。

「でも、やる事が一つ残ってた」

 周囲で燃え盛っていた炎が、まるで早送りするように遠ざかっていく。

「用がないからこの世界はいらない。だから焼き尽くしておかないと、ね」

 顎に手を添えて離れていく。

「俺も殺すのか」

「んーん。めんどくさいから生かしてあげるよ。私優しいでしょ」

 カグツチは何もない空間に鍵を使って、その場から消えた。

 周りには誰もいない。ここまできた仲間も今は耐熱服ごと燃えている。

 俺も焼け死ぬのか、それとも蒸し焼きになるのか。

 自分で服を脱げないから、自殺もできない。

 膝から崩れ落ち、目の前の踊り子達の情熱的な踊りを見る事しかやる事がなかった。





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