第8話

「君達も既に知っているだろう」

 俺は無言で頷く。

観月カンゲツ町で発生した炎は徐々に範囲を広げ今や横浜全域を覆い尽くしている。何かね猫鮫二曹」

「まさか、今になって、生存者の救出が任務ですか」

「いやそりゃないって。猫鮫ちゃんも知ってるだろう。この炎は数秒で町一つを飲み込んじまったんだ」

「ちゃん付で呼ばないでください。私は曹長に質問しているんです」

「二人の言うとおり、生存者は今も確認されていない。残念な事だが。繰り返すが、この炎の中心に向かってもらいたい」

「玉鋼曹長殿。質問があります」

 挙手した鼯二曹は、許可を得て立ち上がる。

「我々に消化作業を手伝えという事でしょうか。しかし消防隊の懸命な消火活動でも、勢いは衰えるどころか、全く消す事が出来なかったと認識しています」

 救出と消化活動に失敗した一部始終がスマホで撮影され、今や世界中の動画サイトで閲覧できる状況になってしまっている。

「我々四人では消防隊の二の舞になるだけだと思います」

「落ち着きたまえ。生存者救出でも消火活動でもない」

 蛇革は五分の一ほど水を飲む。

「二曹殿。勿体ぶらないで早く行ってくださいよ」

「この画像を見てほしい」

 赤外線カメラで撮った青い画像がスクリーンに映し出される。

 画面中央に赤い反応が二つ。

 画質が悪くて見難いが、どちらも人影のようだ。

「これは上空のドローンが撮影した赤外線映像だ。画面中央の人物に注目してほしい」

 全体的に青くなっているが、住宅街の間を走る階段にいるらしい。

「ドローンは一秒間に一枚のペースで写真を撮っていた。この写真の一秒後を見てくれ」

「太陽、みたいだ」

 あり得ないことを口走ってしまった。誤認してしまうほどの眩しい光が、画面中央から膨らんでいる。

 キャップを外す音が聞こえて、後ろを見ると、鼯二曹が喉を鳴らして水を飲んでいる。

「この後ドローンは故障。ここを中心として炎が発生した事が報告されている」

 俺は挙手する。

「玉鋼二曹。自分達四人は何をすればいいのですか」

「君達には、この中心地にいる目標に接触してもらう」

「この業火の中で何と接触を図るのですか」

 炎は地上を蹂躙しているだけではない。上空から近づいたヘリが鎌首をもたげた炎に引き摺り落とされている。

「曹長殿。もしかして落下傘降下でもしろと。それこそ飛んで火に入る夏の虫ですよ」

 俺の質問は飛ばされてしまった。

「安心しろ蛇革二曹。ちゃんと用意してある」

 スクリーンには球体の頭部と着膨れしたような分厚い服が映された。

 テーブルを指で叩きながら猫鮫二曹が口を開く。

「宇宙服で突入するのですか」

「厳密には宇宙服ではない。今回の作戦用に特別に改良を施した耐熱服だ」

 改良ポイントがマークで示される。

「耐熱性は従来の倍。落ちた可動性は内部に外骨格を内臓。給水タンクもあるので、長時間の活動も可能だ」

 この右前腕部についてるのは、発射装置か。

 質問する前に玉鋼曹長が口を開く。

「車両は改良したNBC偵察車に搭乗してもらう。こちらは君達は見慣れているから、特に説明はいらないな」

「玉鋼曹長。質問があります。耐火服の右腕に発射装置がありますが」

「それがこの作戦の肝となる。一字一句聞き逃さないように」

 一段と増した緊張感。猫鮫は水を飲んで唇を湿らせた。


「さて、作戦の概要は覚えてくれたかな」

 蒸し暑さかそれとも別の理由か、水を飲む手が止まらない。

「曹長殿。俺は辞退しますよ」

「私も今回は辞退させていただきます」

「申し訳ありませんが、じ、自分も今回の任務を辞退しようと思います」

 二人の後に、鼯二曹も席を立つ。

 三人とも返事を待たずに退室しようとドアノブに手をかけた。

「悪いが拒否は受け入れられない」

「減給でも懲戒免職でもいいですよ。死ぬよりは」

 その言葉を待っていたように、玉鋼曹長が笑みを浮かべる。

「部屋を出れば死ぬぞ」

 三人の足が止まる。

「先に言っておくが、私は冗談が嫌いだ。扉を出た瞬間、君達の心臓は止まる事が決定する」

 扉の前の三人は揃って玉鋼曹長を睨みつけて動かない。

「座りたまえ」

 出口に後ろ髪引かれるようにぎこちない動作で着席していく。

「戻ってきてくれて助かる。一人でも逃げたら、連帯責任で全員死亡が確定していたところだ」

「自分達が死ぬとはどういう事です」

「君達が致死毒を摂取しているからだ」

「毒なんて飲んだ覚えはありません」

「四人とも飲んでいるよ。私もこの目で確認している」

 テーブルの上に置いたペットボトルに注目する。

「この水が」

 玉鋼が投げつけられたペットボトルを弾く。

「テメェ」

 蛇革は詰め寄って襟首を掴んだ。

「今すぐ解毒剤をよこせ。あるんだろ、早く出せよ」

 唾を飛ばす勢いで詰め寄られても、玉鋼は顔色ひとつ変えない。

 無反応なので、蛇革の肩が落ち襟首を掴んでいた手が離れる。

「座りたまえ蛇革二曹」

 玉鋼は乱れた襟を直す。

「解毒薬はあるだろうが、私は持っていないし、何処にあるかも聞かされていない」

 テーブルに肘をついて続ける。

「だが毒の効果は聞いている。接種後四十八時間で効果を発揮し、確実に心停止させる。吐いても無駄だ。解毒剤でなければ取り除く事も不可能だそうだ」

 指を口に突っ込もうとした蛇革が舌打ちする。

 鼯二曹は迷子の子供のように泣いている。

 猫鮫二曹は机を睨んだまま動かない。垂れた髪の隙間から覗く顔は青ざめているように見えた。

「大和二曹は冷静だな」

「いえ。自分は動揺が表に出ないだけです。任務を達成すれば、本当に自分達は助かるのですね」

「完了次第、解毒剤が支給される。そして望みの金額も報奨として出される」

 三人が顔を上げた。瞳の輝きは涙だけではなさそうだ。

「報奨は税金が発生しない。全て君達の自由に使っていい。お金は必要だろう。周りに隠していてもな」

「隠し事って、何の事だよ」

 毒を飲まされた事を知った時よりも、蛇革の勢いが弱々しい。

「蛇革二曹は、元恋人への傷害罪で慰謝料と口止め料を請求されている。猫鮫二曹は同性の恋人の闇金の連帯保証人」

 猫鮫二曹が見えない林檎を握り潰すように、両手を握りしめた。

「鼯二曹は植物状態の父親の入院費。そして大和二曹」

「はっ」

 他の三人に聞かれてもいいのか。

「君は海外派遣で任務遂行中、民間人を虐殺する同僚を射殺し」

「自分が撃った隊員の遺族に現金を送っています」

 秘密を誰かに言われるのは我慢できなかった。

「この任務を遂行する事に納得してくれるね」

 俺が敬礼すると、三人も続けて敬礼する。

「では二十四時間以内に準備して出動」

 三人が出払う。

「玉鋼二曹」

「まだ質問が」

「貴方は自衛隊の人間ですか」

「その質問は聞かなかった事にする」

「分かりました。失礼します」

 俺は敬礼する事なく部屋を後にした。









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