第6話
「あなた。早く手札見せて」
どうこうとさんが五枚のカードをテーブルに置いた。
クローバーの二のハイカード。
どうこうとさんは普段通り無口だが、肩を落とし頭を下げた姿は涙を誘うほどだった。
香織さんは旦那さんの肩を叩く。
「次は私が出します。はい」
勢いよく出てきたのは、五のワンペア。
「はい。叔母さんも負け。一騎打ちだね」
夕星の瞳が太陽の如く光を放つ。気のせいかリビングの温度も上がったような。
「自信ないなら降参していいよ。私は慈悲深いから。一日ハグの刑で許してあげる」
「情けなんていらない。勝負だ」
おれは気持ちで負けないように、手が痛くなるほどカードを叩きつけた。
スペードの十一、十、九、八、七。
「ストレートフラッシュだ」
卓上の三人の注目がポーカーハンドに集まる。
対戦相手の夕星は口角を上げたまま、手札を扇のように仰いでいる。
「時間稼ぎしても、何の意味もないぞ」
「勝負は、最後まで分からない」
扇がテーブルに置かれた。
五人のハートの女王がこちらを睨みつけている。
「女王にひれ伏しなさい」
ファイブカードなんて、勝つ手段ない。
「はい望君の勝ち。ね、あなた」
「叔母さんの目は節穴なの」
「あなた、ルールブックを見せてあげて」
どうこうとさんがポーカーハンドの書かれたページを開く。
瞬間、見たら呪われるように、夕星は顔を逸らした。
「ルールブックに書かれているじゃない」
言葉尻が段々と小さくなる。
「確かに。でも望君。このカードを見て」
香織さんが指さしたのは歯茎が見えそうなほど笑うジョーカー。
「あっ、確かジョーカーは抜いたんじゃ」
「ええ。私が今も持っているわ」
「じゃあどうやってファイブカード、あれ五枚とも」
「気づいたみたいね。こら夕星、手札はそのまま」
テーブルに置かれたままの手札にはハートの女王が五枚。
「同じカードが五枚はあり得ない。一体どこから出てきたの」
夕星は壁を見つめる猫のように、こちらを見ようとしない。
「えっと、カードを引いたら出てきたんだよ。偶然混ざったんじゃないかな」
香織さんが立ち上がり、トランプのケースを二箱持ってきた。
「言い訳はそこまで」
片方は使用中で空っぽ。もう一個のフルデッキを取り出して図柄を見せてくれる。
やっぱりハートのクイーンが見当たらない。
夕星は観念したのか、両手に膝を置いて話し始めた。
「どうしても一位が取りたくて、カードを抜き取りました」
「はい。じゃあ改めて、一位は望君。異論ある人はいませんね」
香織さんは異論がない事を確認してから、おれに今回の大会の賞品を手渡してくれた。
「はい。お菓子詰め合わせ」
両手でもこぼれるほどのお菓子が目の前に置かれた。
「あ、ありがとうございます」
幼稚園の頃のハロウィンイベント以来のお菓子の山に目が離せない。
「遠慮しないで食べてね」
やった。これでしばらく糖分補給には困らないぞ。
貰ったチョコを味わいながら、頭の中の物語をノートに刻みつけていく。
肩を回していると、夕星が声を掛けてきた。
「順調そうだね」
「うん。貰ったお菓子のおかげ」
続きを書こうとしたところで、気づいた。
「あと、これもかな」
「ん〜どれの事かな」
顔を寄せてきた。近づかれると言いにくい。
「ねえ。どれのおかげで順調なの。教えて欲しいな」
分かってるな。でも言わないとずっとくっついてきそう。
「これ。これだよ。貰ったボールペン。書きやすくて消しやすくて」
「あとは、あとは」
「軽くて、手に馴染んで」
「それでそれで」
もうないんだけど。
「あとは、えっと、先端が尖って刺すのに使えそう」
「プフッ。そんな使い方するの」
「いやしないよ。良いところ何個も聞いてくるから。もう出てこなかったんだよ」
「怒らないでよ。気に入ってくれてるのが分かって嬉しい」
「じゃあ、執筆に戻ってもいいかな」
「どうぞ」
中断した物書きをしているとチャイムが鳴る。
ボタンを連打するようなチャイム音の後、ドアが激しく叩かれる音が聞こえてきた。
夕星と一緒に玄関の方を向くと、扉越しに香織さんと男の声。
荒々しい足音に続いて香織さんの制止する声。リビングの扉が勢いよく開かれた。
「望。毎日門限ギリギリまで。ここにいたのか」
靴を履いたままのあいつが大股で近づいてくる。両手で隠したノートを奪い取られてしまう。
「こんな与太話ばかり、もう書くなと言ったはずだぞ」
奪われたノートが、力任せに真ん中から引き裂かれた。
まだ気がすまないのか、ページ一枚一枚を破りすて靴底で踏み躙る。
「帰るぞ」
無惨なノートに釘付けになっていると、腕を掴まれて引っ張られる。
香織さんが何か言おうとする前に、あいつが先に口を開く。
「申し訳ないが、これは私達親子の問題なので口出ししないでいただきたい。それとお宅の音がうるさくて私の執筆作業に支障が出ている。今度騒がしくしたら、警察を呼ぶので」
家に戻ると、あいつは何も言わずにおれの部屋に入りこんだ。
おれがドアのところで見ている前で、机や本棚にある思い出を陵辱していく。
「どうせここにも隠しているんだろ」
鼻息荒く部屋中を引っ掻き回し、今まで書き溜めていたノートを見つけては、挽肉にするように千切っていく。
「こんな事をしたって、死んだあいつを蘇らせる事なんて出来ないんだよ」
「やめろ」
踵に何かぶつかった。
おれは足元に転がってきた瓶を拾うと、勢いよく振り上げて、
「望」
夕星の声が聞こえて初めて、あいつが倒れている事に気がついた。
手には交差した亀裂が入り、血のついたビン。
「おれ、やっちゃった」
瓶を掴んだ指が言うことを聞かない。あいつの頭の下が真っ赤になっている。
「夕星、殺しちゃったよ」
応えたのは、猪豚のような鼻息。
あいつが頭を抑えて立ちあがろうとしている。
「望。どうしたい」
あいつの口が動いているが、大きな心音と夕星の声しか聞こえない。
「そいつを、どうしたい」
近づいてくる。深い皺に血が染み込む顔は、まるで鬼のよう。
「決めるんだ。君に必要な存在か否か」
血に染まった両手がまっすぐ首に伸びてくる。
「必要ない」
パチンと焚き火の爆ぜるような音。あいつが火達磨になる。
瞬きよりも早く全身を炎に包まれて、開いた口から炎が吹き出して倒れた。
まとわりついていた炎が床に広がり、たちまち天井まで埋め尽くす。
「行こう」
炎に飲み込まれる寸前、手を引かれた。
手に持っていたものが落ちた音で気がついた。
ここは母さんが生きていた頃に三人でよく行っていたお月見階段だ。
満月に照らされながら眼下を眺めると、夜空より暗い煙が立ち昇っている。
隣には夕星が屈めていた腰を元に戻していた。
手には亀裂の入ったビン。こびりついた赤を見て、胃から込み上げてくるのを必死に抑えた。
「このビンの事、覚えてるかな」
答えている余裕はない。
「望は、ここに世界を作ったんだよ」
「何言って」
「忘れてないよね。色々あって思い出せないだけだよね」
「どうしてここに連れてきた」
「大丈夫。望の障害は灰も残さず焼き尽くした。すぐに私の事も思い出すよ」
「意味が、分からないんだけど」
「まだ思い出してくれないの。私はこんなに愛しているのに」
月光が魔物を照らす。
「ねえ、望も愛してくれているよね。一方通行の愛じゃない、よね」
「ごめん」
逃げ出したかった。嘘でも愛していると言えばよかった。
「恋愛対象として見れない」
夕星は萎れた花と化す。一言も喋らなくなってしまった。
サイレンが近づいてくる。
階段に根を張ったままの夕星から距離を取ろうと階段を降りる。
警察に話そう。夕星が火をつけた事は、正直に話したほうがいいのだろうか。でも助けてくれたんだよな。多分。
考えていると思考が周り、次第に視界も独楽のように周り出す。
背中に段差が食い込んで息が詰まる。
転んだ。起きあがろうにも痛覚を優先して力が入らない。
目の端に夕星を捉える。
助けてと言ったつもりが、自分の耳では聞き取れなかった。
「ひどいや望。私の気持ちを一番理解しているのに最低だよ。だから、だからね」
しゃがみ込むと、ビンの蓋に手をかける。
「ここで反省してもらいます。期限は私が迎えに行くまで」
蓋が開き、雨で濡れた土の臭いが迫ってきた。
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