第4話
「お邪魔します」
「ほら、遠慮しないで入ってよ」
押し込まれるように中に入った。
靴を脱ぐと、奥から香織さんがやってくる。
「望君。いらっしゃい」
「あっこんにちは。今日はスーツ姿じゃないんですね」
香織さんはシャツにショートパンツというラフな服装。
「あれは仕事着みたいなものだから。家ではちょっと過ごしづらいの」
「そりゃそうですね」
「叔母さん。一日中望を玄関で過ごさせる気なの」
「ごめんなさい。さあ、中にどうぞ」
案内されたリビングで、前髪で目元を隠したどうこうとさんが新聞を読んでいる。
おれに気づいたのか、マスクした顔で小さく会釈してきた。
「あなた。望君が来たから、場所を開けてください」
頷くと、畳んだ新聞を持って襖の奥へ引っ込んでいく。
「はい、どうぞ」
飲み物を出した香織さんも自室に入ってしまい、今には夕星と二人きり。
最近、学校で気兼ねなく話すようになったが、ここはいつもと違う。夕星の家。
手持ち無沙汰に出された飲み物に口をつけたり、両手に持って弄ぶ。
「いつも通りに過ごしなよ」
「と、言われても」
「コップ回しとか家でするの」
「いや、しない」
「じゃあ、コップ回しはおしまい。持ってきてるんでしょ」
夕星に従い、コップをテーブルに置く。
学生鞄の中に入れていたノートとボールペンを取り出す。
表紙を開く前に確認のため、今一度夕星の顔を見た。
「どうぞ」
促されて書きかけのページを開くと、周りの目が気にならなくなる。
耳に入るのは、ペンを走らせる音とたまに聞こえる修正の消しゴムを擦り付ける音だけ。
一区切りついて頭を挙げると、じっとこちらを見つめる二つの満月。
「もしかして、ずっと見てた、とか」
夕星は満面の笑みで大きく頷いた。
心臓が早鐘を打つ。
「いつも通りに過ごしなよって言っておきながら」
「大好きな望を見つめる。これが私のいつも通り」
頬杖をついた夕星の視線がノートに注がれたのに気づき、素早く手で隠した。
「えー、見せてくれないの」
「字汚いし、妄想だから恥ずかしい」
「かわいいなぁ」
「どこが」
「じゃあどんなの書いてるか、ちょっとだけ教えてよ。誰にも言わないから」
「ほんと」
「うん。誰かに言ったことが分かったら、殺していいよ」
「重い」
「それだけ愛しているの。ねっ、教えて」
組んだ手の甲に頭を乗せてこちらを見上げてくる。
求めてくる視線に根負けした。
「これは、ミステリかな」
「ミステリってなに」
「謎解き、犯人が仕掛けた謎を探偵と読者が知恵を絞って解決していくの」
「悪い奴を捕まえれる。なんて面白そう。どんな話。ちなみに犯人は燃やしてもいいのかな」
なんて物騒な。
「主人公は学校に行ってなくて引きこもりと思われてるんだけど、実は毎日事件を解決していて外に出る暇もないほど忙しいんだ」
「秘密を抱えてるんだ」
「そう。そしてヒロインは、学校に来ない主人公の家を訪ねて事件に巻き込まれる」
「いつも家で事件が起こってるの」
「違う。主人公は異世界を行き来できるアイテムを持っていて、依頼を受けて家から異世界へ、どうしたの」
夕星が何かを握りしめるように、胸元を抑えていた。
「ううん、何でも。続けて」
「秘密を知ったヒロインも主人公と一緒に事件解決に協力する。という話」
「ヒロインも頭がいいんだね」
「いや、いつもテストでは赤点ばかり」
「私と一緒だ。それじゃ役立たずじゃん」
「ちゃんと活躍できるんだよ。力仕事で」
見上げた視界には、天井でなく妄想で創造した世界が映し出されていた。
「主人公は頭が切れるけど力がない。ヒロインはテスト赤点だけど、車も持ち上げるほどの怪力と。長所を活かして事件を解決していくんだよ」
「そのヒロインのモデルって、私じゃん」
「よく分かったね。って何見てんの」
想像の世界から帰ってみると、いつのまにか夕星にノートを見られていた。
「ツインテールに青い目なんて。まんま私。でも怪力はハズレだな」
「ごめん。勝手にモデルにして」
「望が私に夢中になってる証拠だから、逆に嬉しいけど」
息を吐いて「ただし」と続ける。
「この怪力は私っぽくない」
「想像だから」
「いや、納得できないね。こんな能力はどう、炎を自在に操るの」
「どんなふうに」
「目で見た相手を発火させたり、炎の障壁で自身はもちろん主人公の事も護るの」
「いいかも。実はアクションシーンでいつも血みどろになっちゃって、何とかできないかなと思ってたんだよ」
「じゃあ炎を繰り出す能力で決まり」
夕星のアイデアを参考にノートに書き込んでいく。
「あれれ、ノートもう終わりじゃないかな」
言われて気づく。ページは全て埋まっている。仕方ないので、背表紙に続きを書き記す。
「新しいの買わないの」
「ない」
「お金ないなら、私が叔母さんから貰ってるお金あげるよ」
「いいよ。それに、ノートや筆記具は勉強以外に使っちゃいけない決まりなんだ」
「ノートは、隠し持ってるの」
おれは書きながら頷いた。
「ペンのインクも無くなりそうじゃない」
困った。紙は代用できるが、ペンの代わりとなるものを見つけるのは難しい。
「学校用のを使えばいいじゃない」
「あいつが、使った物を記録してる」
「そうなの、めんどくさい奴。じゃあ私のを使って」
夕星が席を外して戻ってくる。両手には何冊ものノート。一番上の表紙には何個ものボールペン。
テーブルに置いた衝撃で、ペンが滝のように音を立てて落ちる。
「おっとと、はい。これ使って」
「でも夕星のだろ」
「望が喜んでくれる事が私の生きがい」
「こんなに持ち帰れないし」
「うちに置いておけばいいよ。いくらなんでもここには来る度胸ないでしょ」
「じゃあ使わせてもらう。お金稼げるようになったら、使った分返すから」
「お金はいらない。代わりに、私と一緒の時間を過ごしてほしいな」
頬杖をついて寄せられる顔。鼻と鼻が触れそうな距離。
おれは恥ずかしさを誤魔化すためにノートに視線を落とした。
しばらく書き進めていると、ボールペンが消えないタイプという事に気づく。
置いてあるペンの束はすべて消せないタイプ。
「消せるのがない」
「問題発生かな」
「いつも使ってるのが消せるボールペンなんだ」
「消せないと、進まない、と」
「うーん。書けるけど、やっぱり消せた方がいいかな」
夕星が立ち上がって香織さんの部屋に入ると、勢いよく戻ってきた。
「ごめん。叔母さんも持ってないって」
「いいよ。これで、充分だから」
修正する時に二重線を引く。ノートはツギハギだらけで汚いが、慣れれば問題なく進めていける。
門限ギリギリまで滞在して帰るとき、夕星はずっと腕を組み頬を膨らませていた。
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