第2話

 鳴っていたチャイムが止まる。あいつは呟きながら部屋の廊下を横切っていく。

 それをドア越しに聞いていた。

 誰もいないリビングに足を運ぶ。あいつがいつ戻ってきても分かるようにドアは開けておく。

 おれには家族と呼べる人間はいない。

 優しかった母さんは写真立ての中で、こちらに笑顔を向けている。

 座って仏壇に手を合わせていると、背中に声を乗せた風が当たる。

 訪問者と話しているようで、あいつと女性の声が聞こえる。

「おーい望」

 あいつに呼ばれた。急ぎ足でリビングから出た。

「何、父さん」

「ちょっと、こっち来なさい」

 隣に立つと、親愛の証を見せつけるように肩に手を回された。

 すぐに振り解きたかったが、ドアの外の二人組がいたので我慢。

 愛想よく尋ねた。

「こちらの方達は」

「彼等ご夫婦は鴛鴦エンオウさん」

 女性が会釈したので頭を下げる。

 二人分の足が見えた。

 上の方でなにかぶつかるような音。

 頭を上げると、女性の隣にいる男性が、頭をドア枠にぶつけていた。

 女性が男性を引き剥がす。

「すいません、うちの人が。あなた、自分の身長を考えてください。本当にすいません」

 映画に出てくる秘密組織の職員みたいにスーツを着こなしている。 

 何度も頭を下げる姿はまるで入学式の小学生みたいだ。

「二人とも頭を上げて。私達は気にしていませんから。なぁ望」

 肩に置かれた爪が食い込む。

「はい。全然気にしてないです」

 夫婦の動きがやっと止まった。

「すいません。騒がしい引越しの挨拶で。改めて自己紹介を」

 あいつが促す。

「ええ。どうぞ」

「隣に引っ越して来た鴛鴦香織エンオウカオリといいます。そして主人のどうこうとです」

 珍しい名前の旦那さんはサングラスにマスクをしている頭を下げた。今度はぶつからなかった。

「うちの主人は口下手なんです。どうか許してください」

「誰だって得意不得意はありますからね。私も若い社員に教える時はいつも緊張します。ああ、そうだ。ほら」

 誰も興味のない苦労話を喋りながら背中を押された。

イタダキノゾムです。香織さん。どうこうとさん。よろしくお願いします」

 あいつに教えられた通り、片親に育てられても礼儀正しく行儀の良い子を演じる。

「とても礼儀正しい子ですね」

 あいつの仮面が笑顔に変化している。見なくても分かった。

「自慢の息子ですよ。妻を亡くしても変わらず優しくて。私には過ぎた子供です」

 だったら手放してほしい。

「では鴛鴦さん。私達はこれで」

「あっ待ってください。うちの子を紹介させてください。ほらこっちに」

 香織さんが手招きしたのは、おれの高校の制服を着た初対面なのに見覚えのある人物。

「望。久しぶり」

 ツインテールをふんわりと持ち上げて、現れた顔は頬が赤くなっていた。

 おれもつられて熱くなる。

「ちゃんと自己紹介しなさい」

「分かってるよ」

 ツインテールから手を離し、全身を玄関口に見せる。

「鴛鴦、夕星ユウヅツ。思い出してくれた」

「いや。初対面だと思、います」

 あいつの前で、夜中に出掛けた事がバレたらヤバい。

「そっか。そうだったね。ごめんなさい」

 心を読まれたように納得した様子だ。

「同じ高校に通うの」

 着ている制服から予測した。

「そうだよ。これ似合ってる、かな」

 夕星は唇を尖らせると、青い瞳で自分の身体を見つめる。

「もう一つの方が可愛いのに、これ着なくちゃ駄目だなんて。腰の辺りが締め付けられるのがちょっと辛いんだ」

 動きやすいけどね。と言いながら一回転。

 見慣れた制服なのに、舞い踊るツインテールと相まって、違う世界からやってきたお姫様みたいだった。

「私に惚れ直しちゃったかな」

「えっ、違うよ。そんなわけないじゃん。だっておれ達」

「望」

 振り返ると、笑顔が張り付いたあいつ。

「鴛鴦さん。すまないが溜まっている仕事があってね。望も宿題があるだろう」

 否定できないほど、肩を強く掴まれる。

「う、うん。じゃあ皆さん。この辺で失礼します」

「え〜もうお別れなんて嫌なんだけど」

 おれが声をあげそうになるのと、カオリさんが夕星の頭を下げさせたのは、ほぼ同時だった。

「では私達もここで失礼致します。ほら行きますよ」

「バイバイ」

 ドアが閉まるまで夕星はこちらに手を振っていた。

「全く、隣に越してくるなんて。騒がしくて集中できなくなるなぁ」

 ドアが閉まった途端、あいつの喉から本音が漏れる。

 気づかれないうちに自分の部屋に避難しようとすると、

「おい」

 あと一歩でドアノブに届くところだったのに。

「人前でおれとか使うな。子供の躾ができない親だと思われるじゃないか」

「はい」

 脛に痛みが走る。

「はいじゃなくて、まず言わなきゃいけない言葉、教えただろ」

 また脛を蹴られた。痛くてしゃがみ込みたくなる。

 これ以上蹴られたくないので、壁に背中をつけて自分を支える。

「すいませんでした」

「よし。これから執筆するから、大きな音を立てるなよ」

「はい。分かっています」

 あいつは鼻を鳴らしながら書斎に入る。

 扉が閉まるまで背中を睨みつけてから、脛の痛みに顔を顰めつつ部屋に戻った。

 いつものように机に向かい、最後のノートを開いてペンを持つ。

 普段なら軽やかに動くペンが、今日に限って微動だにしない。

 気づくと視線が窓に向いている。

 おれも妄想の中の登場人物も、揃って隣の部屋に意識を持っていかれていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る