第30話

「莉「り、律帰ろう…!」」


シェフが私の名前を呼ぼうとした。だけど、気づかないフリをした。


いつもなら、仕事が終わるとシェフが家まで車で送ってくれる。


私はその時間が大好きだった。


だけど、今は気まずいだけだから。


「え、あ、うんいいけど」


律は少し驚いたように見えたが、すぐに頷いた。


「行くよ」


私は律の背中を軽く押しながら、早くこの場を離れたい一心で言った。


彼は少しバランスを崩しながらも、私に従って歩き出した。


「分かったから、押すなって。シェフお疲れ様でした」


律は振り返り、シェフに挨拶をした。


「あぁ、お疲れ様」


「お疲れ様でした」

私は律に続いてシェフに挨拶をした。


心の中ではまだ不安が渦巻いていたが、律の隣にいることで少しだけ安心感を得ていた。


「お疲れ様」

シェフの声が背後から聞こえ、私は小さく頷いた。


律の隣に並んで店を出た。


外の冷たい空気が頬に触れ、少しだけ気持ちが落ち着いた。


歩きながら、律の横顔をちらりと見た。


彼の表情からは何も読み取れなかった。

それがかえって不安を煽った。


シェフが私の名前を呼ぼうとしてたことに気づいてた。私がわざと聞こえないふりをしたことも。


さっきもシェフと何かあったのかって聞かれたのに。


このままだと私たちの関係がバレてしまう。


何か言わないと。

でも何を…?


何度も言葉を飲み込み、どう切り出せばいいのか悩んでいた。


「律、あのね…」


勇気を振り絞って口を開いたが、言葉が続かなかった。


律は私の方を見て、優しく微笑んだ。


「いいよ」

「え、?」


いいって何が、

どう答えればいいのか迷っていた。


「言いたくないなら言わなくていい」


「どうして、」


私は驚いて律を見上げた。

彼の言葉が予想外だったからだ。


「誰だって秘密ぐらいあるでしょ。言いたくないなら無理に言わなくていい。聞かないから」

律は真剣な表情で続けた。


律の言葉に、少しだけ肩の力を抜いた。


本当は、気になるはずなのに。

私を困らせないために…。


彼の優しさが心に染み渡った。



「律…」


彼の理解に感謝しながら、深呼吸をして再び口を開いた。


「最近、色々あって…」


声は震えていたが、律は黙って私の言葉を待っていた。


目を閉じて、心の中の不安を振り払うように続けた。


「なんだか、うまくいかないことが多くて…」


私は言葉を選びながら続けた。



律にはまだシェフのことを話していないから、どう伝えればいいのか分からなかった。



意見やアドバイスが欲しいわけじゃなくて、ただ誰かに聞いてもらいたかった。






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シェフが私のことを好きになる確率 @hayama_25

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