第29話

「…3番テーブル」

「はい」


あの後、シェフから何度も電話があった。

だけど、取ることはなかった。


シェフの声を聞くのが怖かったから。


電話が鳴るたびに、胸が締め付けられるような思いがした。


忙しい時間が続く。


お客さんの注文をこなすために、ひたすら動き回る。


いつもより忙しいかもしれない。

ちょうど良かった。


心の中のモヤモヤを振り払うように、仕事に集中する。


動き続けることで、少しでも心の重さを忘れようとしていた。


「ふぅ、疲れた…」


やっと休憩時間が来た。


疲れた体を休めるために、スタッフルームに向かう。


心の中では、シェフとのことが頭から離れない。

彼の顔が浮かんでは消える。


「莉乃」

律の声に、ハッとする。


「…律、」


「はい、水」

律が差し出す水を受け取る。


「ありがとう」


「いやぁ、すっごく忙しかったねえ」

律が笑顔で言う。


その笑顔に、少しだけ心が和らぐ。


「そうだね、」

自分も笑顔を作るが、心の中は晴れない。


「…何かあった?」


律が心配そうに話しかけてくる。


その優しい声に、少しだけ心が和らぐ。


「え?」

驚いて顔を上げる。


「元気ないから」

律の言葉に、心が揺れる。


彼には隠し事ができない。


「そう、?元気だけど」


笑顔を作って答えるけど、心の中は全然大丈夫じゃない。


律には心配かけたくないから、無理にでも笑顔を見せる。


「シェフと何かあった?」

律がさらに問いかける。


その言葉に、心がドキッとする。


「え、どうして?」

シェフのことなんて一言も…。


「どことなくお互い気まずそうだから」


…それだけで。

律の鋭い観察力に驚く。


律には何も隠せないや。


「何も無いよ。いつもどうりだと思うけど…」

必死に否定するけど、


否定したところでもう、なにかしら気づかれてるのかもしれない。


「そう?喧嘩でもしたと思ってたんだけど」

律の疑わしげな目が痛い。


言ってしまいたい。


元カノと会ったのを見たけど聞く勇気がなくて喧嘩したって。


でも、シェフと付き合ってるって言えない。


「シェフと私が?まさか、そんなわけないよ 」


律の心配を振り払うように答える。


自分の問題を他人に押し付けたくない。


「ならいいけど」

まだ納得いかないみたいだ。


「心配してくれてありがとう」


「何かあったら何時でも相談乗るから」


その言葉に、少しだけ心が軽くなる。


「うん、ありがとう」


「じゃ、俺ちょっと用事があるから」


わざわざ私のために…


律の優しさに感謝しながら、彼の背中を見送る。




「ごめん、本当の事言えなくて」


律の背中に向かって小さく呟く。



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