第9話

 雪が解け花が芽吹く頃、ワートとルニスは最北端の地に近づいていた。相変わらず人気はないが今までのように腐臭は無く、周りに漂うのは花の良い香りだけだ。

 時折ワートは花畑に広がる白骨化した死体を見つけた。あの時ルニスに言われた言葉を思い出す。これらの死体も花の養分になって、魂は別の場所で蘇っているのだろうか。もうすぐ私たちは幻の花を見つけることになるだろう。しかし、もうワートに迷いはなかった。きっとルニスはここから消えてしまっても花になって、生まれ変わる。今よりもっとより良い世界に。私は恐らく死んだとしても生まれ変わることはないだろう。怪物の私が死ねるかも分からないが、穢れた魂は、地に還らずただ消えるべきだ。この旅が終わったら、2度とルニスには会えなくなる。しかしそれは決して悲しいことではなく、ルニスが幸せになれる場所へ飛び立った合図なのだ。そう自分に言い聞かせた。


「ワート、今晩は星は見える?」

「はい。空一面に星が輝いています」今回は事実だった。光が失われたこの土地を、星が眩しいくらいに照らしている。

「もうすぐ、私も見ることができるのね」ルニスは神妙に言った後に続ける。

 多分、ルニスも気付いているのだろう。この旅も終わりに近づいている事を。ワートは思う。

 ルニスの護衛になってから様々なことがあったが、軍にいた時より平和で、経験したことがなかった幸せも知った。自分の命が一番で、他人に気を配る余裕など正直無かった。何人もの敵を倒し味方を失っても、心苦しくなる事はあっても悲しいという感情もない。どうせ他人なのだから、父親と環境を憎み、抜け出そうと必死になっていた。しかし、ルニスに出会って初めて誰かを守りたいと思った。私は、ちゃんとルニスを守ることが出来ていたのだろうか。


 突然、ルニスはらワートの肩を叩いた。

「遠くの方、何か嗅いだことのない香りがする。もしかしたら......」

「向かいましょう」

 ベスに跨る2人は森の中を進んでいく。

 すると、ワートは前方に光り輝く何かを見つけた。それは空に浮かぶ星より眩い。とても幻想的で目を奪われる。


「かなり香りが強くなってきたわ。何か見える?」

「はい、発光している白い花が辺り一面に咲いています」

「ようやく辿り着いた」ルニスは感嘆の声を上げる。

 2人は花畑へと降り立った。言葉にはとても言い表せないが甘美で、しかしどこか爽やかでもある香りが2人を包み込んだ。ワートの前に立っていたルニスは、徐に靴を脱ぐと素足で花畑を歩いていく。

「なんだかとても楽しみだわ。やっと、ここから旅立つことができるのね」ルニスは嬉々として回っている。ワートはその姿を見て微笑ましく思ったが、素直に笑うことはできない。突然ルニスは回るのをやめると、花畑に埋もれるように横になった。

「ワートも来て」ルニスは手を伸ばす。ワートが隣に横たわると、ルニスが隣に寄り添う。

 暫く沈黙が続いた。喜んでいたルニスも、今は少し落ち着いたようだった。


「私がいなくなったら、ワートは悲しい?」ルニスは小さく独り言のように呟いた。

「悲しいです。ルニス様は私が生きる意味の全てですから。しかし、ルニス様の望みは私の望みでもあります」

「きっと、私たちはまた巡り合える」ルニスは微笑んだ。「お互い記憶を失っているかもしれないけれど、また会えるわ。私が貴方を見つける」

「ルニス様......」ワートは目頭が熱くなるのを感じていた。ルニスは幸せになるのだと自分に言い聞かせていたが、旅路が終わってしまう今、感情が溢れてきた。ルニスをここに連れて来たのは間違いではないか。私が連れて来なければ、ルニスはここに到着出来なかっただろう。私がルニスをここに連れて来たから、彼女は自分で人生を終わらせようとしている。殺人ではないか。今まで沢山の人々を手に掛けてきて私の手は既に汚れてしまっているが、これは、違う。大切な人を自分の手で失いたくない。ルニスが居なくなってしまったら、私はどうすれば良いのか。

 

 不安を感じ取ったかのようにルニスはワートを優しく抱擁する。

「本当に今までありがとう。ワート。この花の香りで私を思い出してくれると嬉しい」ルニスはワートから離れると、花を一摘み取った。そしてその蜜をルニスは吸い、静かに瞼を閉じる。

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