第5話
王国は以前の姿のかけらもなかった。建物が崩れ、所々で炎が燃え上がり、人が倒れている。嵐が去ったかのように静かで人気はない。瓦礫や泥濘のため歩くのも困難なため、ワートはルニスを抱えながら歩いていた。民家の殆どは崩壊していたが、幾つか食材を手に入れることができた。時折休憩を取りながら歩いていると、落ちていた新聞を見つけた。そこには水の感染症について書かれている。
「ルニス様。感染者は人から人へは感染しないようです。しかし、汚染された水を飲んでしまうと致死率はかなり高いと」
「酷いわね......一人でも多く隣国に避難できていることを願うわ」ルニスは匂いに敏感なので、口元を覆うように布を巻いていた。そのためその声は少しこもって聞こえる。
「そうですね。人がいるような様子がないので、そう願います」地面に転がった死体を避けながらワートは続ける。「今晩は此処で寝泊まりし、出発は早朝でも良いかもしれません」
1時間程歩いた後、ワートは建物の裏から何かが歩いてくるのを見た。大きな白い馬で、少し汚れてはいるが健康そうだ。その馬はこちらのほうに歩いてくると、目の前で立ち止まった。
「動物が居るの?」ルニスは聞いた。
「はい、白馬がいます」
「何処か怪我しているみたい。見てくれる?」ルニスが心配そうに尋ねた後、ワートが馬の体を確認した。
「左前足に傷があります」掌に収まるような大きさの傷で、少し流血していた。
「何処かしら」ルニスが屈んで手を前に出した為、ワートは傷のある箇所に誘導した。
「すぐに良くなるわ。大丈夫」そう馬に言い聞かせながらルニスは傷の上に自分の両手を重ねる。
ワートはルニスが何をしているか分からなかったが、黙ってその様子を見ていた。
「ほら、もうこれで良くなったわ」ルニスが立ち上がり、馬を撫で始めた。ワートが馬の傷があった所を見てみるとそこには既に塞がった傷があった。
「これは……」
「ごめんなさい、貴方に嫌われてしまうか不安で隠していたの。私の1番のお友達だから」ルニスは俯きながら悲しそうに言った。
「ルニス様をお嫌いになるなんて、天と地がひっくり返ったとしてもあり得ませんよ」ワートはどうにかルニスを安心させたくて、手を伸ばしかけたが流石に無礼だろうと思い止まった。
「私自身、自分が異種族か人間かどうか分からなくて。傷を防げるだけで、他には何も出来ないの。嘘をついているようで心苦しかったのだけれど、どうしても言えなくて、ごめんなさい」
ルニスが告白を怖がるのも当然だった。この国では異種族は如何なる理由があっても地下牢に監禁される。不死が多い異種族を殺すことは不可能だから、監禁し一生拷問するらしい。ここ100年、段々と異種族の目撃数は減ってきたがゼロでは無い。
「心配なさらないでください。私はいつでもルニス様の味方です」それは本心だった。ルニスがもし異種族だとしても、関係ない。一目見た時から、殿下を命を賭して守ると決めたのだ。
ワートは濡れたルニスの頬を、ハンカチで拭う。泣いている所を見たのは、これが初めてだった。
「ありがとう」ルニスは不器用に微笑む。
「何処か、休める場所を探しましょうか」ワートがそう言うと、馬が鳴いた。
「あら、案内してくれるの?」ルニスはワートの方に顔を向ける。「ねえ、連れて行ってもらわない?」
2人は馬に乗り30分程経つと、一部が崩壊しかけたホテルに着いた。
「驚いたわ。本当に連れてきてくれるなんて。優秀な子なのね。ありがとう」ルニスは馬を優しく撫でた。
ワートがルニスを抱えると、馬は何処かに行ってしまった。2人はホテルの中に入り、泊まる部屋を探すことにした。中が荒れていたり、壁が崩れている部屋が多かったが、綺麗な客室を一つ見つけたのでここで一晩過ごすことにした。
ワートはルニスが眠る前にホテルの食料庫にあった食べ物を幾つか貰い、簡単に夕食を作った。食事を済ませると、ルニスはトランクに入っていたパジャマに着替えた。
「ワート」ベッドに座るルニスが声をかけた。
「どうなされましたか」ドアの隅にいたワートがルニスに近寄る。
「いつか、話したわね」ルニスは続ける。「貴方の傷のこと。無くしたいって、思う?」
「そうですね、かなり目立ってしまう傷もあるので、消せたらと思ったことはあります」
「何処の傷?」
ワートはルニスの指を自身の頬の傷にのせた。
「貴方が望むなら、できるわ」
「お願いします」ワートがそう言うと、ルニスは傷を掌で包んで目を瞑った。
たった数秒間だったが、ワートは傷が疼くような違和感を感じる。
「終わったわ」
ルニスが手を離し、ワートはそこへ触れると傷は元々何も無かったかのように消え去っていた。
「ありがとうございます」
「もっと早くこうするべきだったわ。ごめんなさい」
ワートは少し考えた後、口を開いた。
「私もルニス様に隠し事をしていました。実は先程の傷は訓練や戦争で負ったものではないのです。私の父親は昔から酒癖が悪く、幼い頃家に酒が無かった時に、空の酒瓶を投げられたことが原因です。なので、ルニス様に傷を無くして頂いて助かりました。これで鏡を見る度に嫌な記憶を思い出さないで済みますから」
それを聞いたルニスはワートの膝に手を置いた。
「辛かったわね」
「ですが、あの人が居なければ私は傭兵になっておらず、ルニス様にもお会い出来ませんでした。なので結果的には感謝しています」
「そう……私の側に来てくれてありがとう、ワート」
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