第4話
ワートが城に来てから数年が経った。特に問題も無く、穏やかでゆったりとした時間が流れていた。ルニスは晴れている日は散歩をし、ティータイムも外で過ごすことが多い。
最近は雨の日が続いていたが今日は雲一つない快晴で、ワートはルニスと焼き菓子を用意してテラスに出た。そこは庭に面していて広々とし、開放的な空間だった。
「暖かくて心地がいいわね」ルニスはティーカップを持ちながら嬉しそうに微笑む。
その瞬間風が吹き、花弁がひらひらと舞った。髪に落ちた小花をルニスは指で摘むと、顔に近づけて香りを嗅ぐ仕草をする。
ワートはこの数年で気づいたことがあった。ルニスは嗅覚や聴覚、触覚にとても鋭いということだ。特に聴覚は敏感で、足音で誰かは勿論、少し物音がしただけで何をしているか、どの辺りに居るのか大体のことが分かるようだ。
それらが理由で職務怠慢な使用人達も把握しているが、心優しいルニスは強く注意できないでいた。女王陛下に手紙も送ったようだが、いずれも王の愛人や女王陛下の友人らしく、改善はできなかった。そのため執事長のフリードと医師のカノヤ、そしてワートの三人でルニスの世話と城の管理をしていた。3人共真面目で働き者のため、それでも何とか賄えていた。
ルニスは花を側に置いていた本の間に挟んだ。
「私ね、いつか出会ってみたい花があるの。聞いたことはある?幻の花のこと」
「そうですね、幼い頃に絵本で読んだ覚えがあります。北の地に位置していて、見た者は形や色は忘れてしまうが、その香りだけは記憶に焼き付くのだとか」
「そう。その幻の花の香りに包まれながら永久の眠りにつくのが、私の夢なの。花の一部になれば、私の存在を誰かに覚えていてもらえることにもなるでしょう。身勝手な願いだけれど」ルニスは肩をすくめた。
「ごめんなさい、昼間からこんな話をするべきではなかったわ」
「そのときは、私もお供致します」
「え?」ルニスは驚いたように目を見開く。
「北の地は山に囲まれていて、険しい寒さだといいます。体力には自信がありますしお役に立てるかと」
ワートがそう言うと、ルニスは微笑んだ。
「ありがとう。よろしくお願いね」ルニスは続ける。「紅茶が冷めてしまうわね。頂きましょう」
「はい」ワートも紅茶に口をつける。庭から死角の場所に座っていたためヘルムとガントレットも外すことができた。
ティータイムが終わった後、2人は散歩をしに庭に出かけた。ワートは傘を持ち、もう片方の腕にルニスは掴まりながら歩く。その時、フリードが走ってきた。
「ルニス様!」フリードはルニスの前で立ち止まって息を整えた。
「先程、王室から手紙が届きました。どうやら竜からの襲撃と水からの感染により多くの死者が出ていて、もはや国が機能不全寸前の状態だと......国王陛下と女王陛下は一時的に隣国に避難されるようです。ルニス様も、ここからお逃げください。いつ感染がここまで広がるかわかりません」
「……分かったわ」ルニスは取り乱すこともなく真剣な顔で頷いた。
「今ならまだ船がいます、荷物を用意しますので」
「勿論貴方達も一緒に行くのよね?」ルニスはフリードに聞いた。
「いえ、小さな船なのでルニス様とワートのお2人で先にお逃げください。私達は後から参りますので」
「それなら、フリードのカノヤの2人で先に向かって。私達は城にあるボートで隣国に向かうわ」
「あちらはルニス様とワートの2人を指名しています。ルニス様は先に隣国でお待ちください」
「そう……。では貴方達を見送ってから私達も出発するわ」ルニスはワートの方に顔を向ける。「ワート、行きましょう」
使用人達を見送った後、ルニスとワートは小船に乗った。隣国までは1日ほどかかるらしいが、食材は用意してくれているということで、水と衣類などを袋に詰めて持ってきた。
「私、あの島を出るのは初めてなの。生まれてすぐあそこに連れてこられたから。どんな空気なのかしら」船に揺られながら、ルニスは尋ねる。
「空気は分かりませんが、隣国のみに咲く花がいくつかあると聞いたことがあります」
「新しい花に沢山出会えるかもしれないわね」ルニスは悲しそうに微笑む。恐らく使用人たちが心配なのだろう、とワートは思った。
不安な気持ちを隠すかのように他愛のない雑談をし3時間ほどが経った時、突然ルニスが何かに気付いたかのように真剣な表情になった。
「ワート、耳を貸してくれる?」ルニスは小声で言う。ワートがルニスに少し顔を寄せた。
「今、操縦室のほうで何か変な音がしたわ。調べてもらえる?」
「確認して参ります。少々お待ちください」
「気を付けて」
ワートは立ち上がって操縦室に向かった。そこには船長がいたが、様子がおかしい。舵も持たずに奇怪な動きをしている。
「おい、聞きたいことがあるんだが」ワートが声をかけたが返事はない。
不穏な空気を感じ警戒する。船長が振り返ったかと思うと、喉から下が爛れ、明らかに正気ではない様子だ。言葉にもならない音を上げてこちらに向かってくる。ワートは剣を素早く抜き、迷いもなく首を目掛けて振り下ろす。船長だった者は倒れ、赤い血液が流れた。
「ワート、大丈夫!?何があったの」異音に気付いたのかルニスが操縦室の近くに来たようだ。
「中には入らないでください」もしかしたら感染症の恐れがあるかもしれない、そう考えたワートは大声で叫んだ。
近くにあった地図を確認すると、前方左にある島が確認できたがそれは隣国とは反対側にある。食材が入っているらしき箱も確認すると、中身は食べ物の空箱やごみだった。
「ルニス様、この船はどうやら隣国ではなく王国に向かっていたようです。加えて食材も用意されていなかったようです。緊急事態ですので一先ず王国に向かうのが最善だと思われます。数時間ほどで到着します」ワートはドアの向こうにいるルニスに言った。ルニスが了承し、ワートは舵を取る。
数時間後、ようやく島が見えてきた。それは既に荒れて変わり果てた王国の姿だった。
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