第56話
「おい、一体なんのつもりだ」
姫路と共に俺は校舎の屋上へとやってきていた。
姫路は校舎の屋上に誰もいないのを確認すると、俺の方を向いて薄く微笑んだ。
どこか余裕のある、自身げな態度だった。
ここ最近は少し気弱というか、あまりはっきりともしない、らしくない姫路渚というのを見る機会が多かったような気がするのだが、今の姫路渚はどうやら本来の調子を取り戻しつつあるようだった。
「どうしてあんなことを言った?余計な誤解を生むぞ」
俺はそんな姫路を睨みつけながらそういった。
先ほどの姫路渚の態度はあまりにも含みがありすぎた。
あれでは周囲に要らぬ誤解を生んでしまうことだろう。
それは姫路にとっても、それから俺にとっても望ましくないことのはずだった。
「余計な誤解って?」
「その…だから…この俺と、お前がだな…」
「私と月城くんが?」
「あ、あとは言わなくてもわかるだろ」
「わからないわね」
姫路渚がそう言った。
惚けているのは明らかだった。
その口元には俺を揶揄うようなイタズラっぽい笑みが浮かんでいる。
「私と月城くんが一体どういうふうに誤解されるというの?教えてくれないかしら」
「お、俺を揶揄うなよ、姫路」
「揶揄ってなんかいないわ。どうしたの、月城くん。ずいぶん顔が赤いようだけれど」
「あ、暑いからだ…!」
「そう?まだ朝で風も涼しいけれど」
「お、俺は暑がりなんだ!」
「そうだったかしら」
くすくすと何がおかしいのか姫路渚が笑う。
俺はなんだかしてやられたような気がして悔しくなってくる。
まずい。
なんだか話せば話すほど姫路渚のペースになっていっている気がする。
前に話した時はむしろ主導権を握れている印象だったんだが、今は逆に手玉に取られてしまっている感が否めない。
姫路渚の目は、俺のことなんか全部お見通しだと言っているような気がする。
俺はなんとかいつもの調子を取り戻そうとするのだが、その度に昨日のことを思い出して顔が熱くなり、調子を崩されてしまう。
「まあ、一体あの人たちが私たちのことをどのように誤解するかはわからないけれど、私は月城くんと私の関係がどのように解釈されても構わないと思っているわ」
「は、はぁ!?」
俺は思わず姫路を見た。
冗談か何かだと思った。
だが姫路の表情は至って真剣で、冗談を言っている雰囲気ではなかった。
俺はあまりの衝撃に二の句が告げないでいた。
目の前の人物が本当に姫路渚なのかすら疑わしくなってきてしまう。
原作で姫路渚はただひたすら月城真琴を毛嫌いし、一緒にいるところを見られるのも嫌がっていたはずだ。
この世界でも月城誠の人格が俺になる前は、月城真琴は姫路渚に執拗に付き纏い、そのせいで姫路から心底嫌われていたはずだ。
それがあるから、俺はてっきり今も俺は姫路渚によくない感情を持たれていると思っていた。
だからこそ、先ほどの言葉が姫路渚の口から出たものであることに、俺は信じられないほどの衝撃を受けていた。
「ど、どういう意味だ姫路渚!」
「うるさいわね。いきなり大声大声を出さないでよ」
「だ、だって…」
「何驚いているのよ、月城くん」
「そ、そりゃお前…どのように解釈されてもいいって…その意味がわかっていっているのか…今俺たちが二人でこうして話していることであいつらが俺たちの関係に対してどう思うか…本当に理解しているのか?」
「理解しているわよ。他の生徒たちの下衆な勘繰りぐらい、だいたい想像がつくわ。別に魔術師でもない一般の生徒なんて放っておけばいいのよ。あの人たちが私たちのことをどう考えるのか、気にしなければどうだっていいことでしょう」
「そ、そりゃそうかもしれないが…」
「それに…そういう下衆の勘繰りもあながち的外れだというわけでもないのだし」
「ど、どういう意味だ」
「さあ。どういう意味でしょうね。自分で考えてみたら」
「…っ」
姫路がまるで俺の反応を楽しむようにこちらをみてくる。
俺は気恥ずかしさを誤魔化すように明後日の方向を見た。
「ま、まあ、それに関しては今はいいだろう…で、二人きりでしたい話ってのはなんだ?あまりホームルームまで時間もない。そろそろ本題に入ってもらおうか」
「それもそうね」
姫路が姿勢を正し、真っ直ぐに俺を見てからいった。
「単刀直入に言えば…この間破棄した同盟関係を復活させて欲しいの」
「は、はぁ?」
思わずそんな声を出してしまった。
こいつは一体何を言ってるんだ。
「同盟関係の復活?」
「そう。この間の同盟関係破棄の申し出の撤回とも言えるわね。とにかく、色々考えてみて私にはやっぱりあなたとの同盟が都合がいいってことになったのよ」
「お、お前なぁ…」
俺は思わず呆れた目で姫路を見てしまった。
姫路のとっている行動はあまりにも身勝手すぎる。
一週間もしないうちに、同盟を持ちかけ、それを理由も告げずに一方的に破棄し、数日後また何事もなかったかのように同盟を再開しようと持ちかける。
そりゃあ俺だって前回の同盟関係の破棄の時にはこっちにはまた同盟を組む用意があるとは言ったが、あれはほとんどダメ元でもう二度と姫路と同盟を組むことはないだろうと内心思っていた。
それがまさかこんなにも短期間のうちにまた姫路の方から同盟関係を持ちかけられるなんて思っても見なかった。
同盟を持ちかけたり破棄したり、また持ちかけたり、こいつは一体何がしたいんだ。
「ごめんなさい。あなたの言いたいことはわかるわ。私の態度はあまりにも身勝手だと思う」
俺が文句の一つでも言ってやろうと口を開きかけた時、姫路渚が唐突にぺこりと頭を下げた。
あまりにも素直で真っ直ぐな謝罪をされてしまい、俺は戸惑う。
「あなたを振り回してしまっていることを自覚しているし、申し訳なく思っているわ。どうかこれが罠なんかだと思わないでほしい。あなたと同盟を組みたい私の気持ちは本当なの」
「お、おう」
別に罠だと疑ったことはない。
姫路渚はそのような姑息な手段に訴える魔術師ではないことは知っている。
だからこそ、ここまで短期間のうちにコロコロ意見を変える理由が俺にはますますわからない。
「埋め合わせはしたいと思っているわ。何か一つ、なんでもあなたのいうことを聞いてあげる」
「な、なんでも…?」
ずいぶん大きく出たな、と俺は思った。
仮にも魔術大戦に参加しているライバルの魔術師相手にそんなことを言って大丈夫なのだろうか。
「ええ、なんでもよ。私にできることなら」
「簡単に言ってくれるな、姫路渚。自分の言葉の意味がわかっているのか?」
俺は疑う視線を姫路に向ける。
だが姫路は至って真剣な目で俺のことを見つめてくる。
「わかっているつもりよ」
「さて、どうだか…あまりなんでも望みを聞くとか軽々しくできもしないことを口にするものではない」
「私は嘘はつかないわ。もしもう一度私と同盟を組んでくれるのなら、私は私にできることの範囲であなたの望みをなんでも叶える所存よ」
「はっ、嘘をつけ。だったら仮に、俺に死ねと言われればお前は死ぬのか?」
「それがあなたの望みだというのなら」
「…ああん?」
俺は思わず姫路渚を二度見した。
姫路渚は平然と俺を見返している。
こいつ、正気なのか。
「冗談はやめろ。それではなんのために同盟を組むのかわからないだろうが。死んだらその瞬間魔術大戦から脱落するんだぞ?」
「そうね」
「おい、ふざけるのもいい加減にしろ。俺は真剣な話がしたいんだ。お前のおふざけに付き合っている時間はない」
「私は真剣よ。本当にあなたが私に死んで欲しいと望むのなら、私は自分で自分を殺すわ。そういう約束だもの」
「…何を考えているんだお前は」
わからない。
俺は姫路渚という人物がますますわからなくなる。
冷静に考えて、ライバルの魔術師に対して自分の命を預けるような約束をするものだろうか。
魔術王を目指す魔術師になんでも一つ望みを叶えてあげるなんて言えば、まず最初に考えられるのが自害を命じられることだろう。
姫路の言っていることは俺にとってあまりに馬鹿げていた。
「わからないな。お前の言っていることは俺に命を預けるも同然のことなんだぞ。なんでも一つ望みを叶える約束を他の魔術師に対して行うなんて、正気の沙汰じゃない」
「そうかもしれないわね」
「いや、そうかもしれないわねって、お前なぁ…」
「もちろん私も死にたいわけじゃないわ。できればあなたには私の死を望んでほしくない。あなたの望みがもっと簡単にできそうなことであれば嬉しいと思っているわ」
「簡単にできそうなこと?例えば?」
「彼女が欲しいとか」
「…っ!?」
ブフッ、と思わず吹き出してしまう。
飲み物を飲んでいたとしたら、確実に姫路渚の顔まで飛んでいたことだろう。
「かか、彼女!?お前は何を言っているんだ!?」
「別に、男子高校生として普通の望みなのではないのかしら?それとも月城くん、あなた今彼女がいるとでもいうの?」
「か、彼女!?別にいないが!?」
「なら、欲しいと思っても不思議ではないでしょう」
表情を全く崩すことなく、姫路は淡々とそういった。
「ふ、不思議ではないかもしれんが…」
ふと昨日のことが脳裏に蘇ってくる。
間近に感じる姫路の体温。
柔らかい唇。
鼻腔をくすぐるいい匂い。
顔に熱が籠る。
俺は姫路を直視することができなくなって、顔を背けながら聞いた。
「か、仮にだぞ、仮になんだが…」
「ええ」
「もし本当に俺が彼女が欲しいと言えば…どうなるんだ?」
「…」
バクバクと心臓がうるさい。
言ってしまってどうしてこんなことを口にしたのか、すぐに後悔した。
チラリと姫路渚の様子を伺う。
姫路渚はじっと俺のことを見つめた後、徐に口を開いた。
「彼女ができるわ」
「…そ、そうか」
「そうよ」
「…わ、わかった」
「欲しいの?」
「い、いや…別に」
「…そう」
「…」
「…」
気まずい沈黙が降りる。
ひゅぅうと朝の肌寒い風が俺たちの間を通り過ぎていく。
「とにかく、同盟を組むつもりなら願い事を考えておいて」
「…わかった」
「返事はいつでもいいわ。それじゃあ」
「待て」
立ち去ろうとする姫路を俺は制止する。
「もう時間がないわよ、月城くん。ホームルームが始まってしまう。まだ話したいことがあるのなら、放課後にどこかその辺の喫茶店ででも話さない?」
「いや、その必要はない。今この場で返事をする」
「そう」
立ち去りかけていた姫路が俺の方を向いた。
「それじゃあ、聞かせてもらおうかしら」
「姫路。俺ともう一度同盟を組め」
「…」
姫路が予期していたように薄く笑った。
俺は姫路のその目を真っ直ぐに見つめ返しながら言った。
「俺にはお前が必要だ。だからもう一度俺と組め」
「え、待ってかっこいい」
「え…?」
「なんでもないわ。続けてちょうだい」
「…?」
今なにか聞こえた気がしたが、気のせいだろうか。
気のせいだということにしておこう。
「お前がなぜ俺と同盟を組もうとするかはわからない。だが俺は明確にお前に利用価値があると思っている。それがお前と同盟を組む理由だ。代わりに…お前も俺を利用するがいい。同盟関係というのはそういうものだからな」
「…その返事が聞けて嬉しわ、月城くん」
「ふん、そうか。そうならば、同盟成立だな」
俺が差し出した右手を姫路が握ってくる。
にぎにぎ、にぎにぎ。
謎に力を込めたり、緩めたりされる。
こいつやっぱりふざけてないか?
「おい、姫路。なんだこれは」
俺は握ったり緩められたりしている自分の右手をジトっと見下ろしながら言っ
た。
「なんでもないわ」
姫路がクスリとも笑わずに言った。
「あなたと同盟が結べてよかったわ、月城くん。お願い事、考えておいてね。近いうちにどこかで作戦会議でも開きましょうか。二人きりになれる場所を私が探しておくわ。それじゃあ…戻りましょうか」
「あ、ああ」
最後にぎゅっともう一度俺の右手を握った姫路が、何事もなかったかのように手を離し、屋上を出て階段を降り始める。
「わからん…何考えてんだ…」
俺はますます姫路渚のことがわからなくなり、首を傾げてしまうのだった。
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