第51話
翌日の椚ヶ丘高校は、姫路渚が髪を切ったという話題で持ちきりだった。
噂によれば、学校一の美少女と言われたあの姫路渚が、スカートに届くぐらい長かった黒髪をバッサリときり、肩に届かないような長さまで短くしたらしいのだ。
本当かどうかは分からないが、とにかくクラスメイトたちは女子も男子も、隙間時間があれば、そのことに関して色々と噂し、憶測を話し合っていた。
失恋したとか、好きな相手ができてイメチェンをしたとか、彼氏の影響で髪型を変えたとか。
とにかく生徒たちは好き勝手に噂をし、その噂が尾鰭がついてどんどん拡散されていく。
髪を短くしたというただそれだけでここまで噂になるのは間違いなく姫路渚ぐらいなものだろうと、俺は感心していた。
「月城くん。ちょっと話があるのだけれど」
だから、そんな噂の的になっていた姫路が、昼休みに突然俺の元を訪れた時には正直かなり驚いた。
髪は本当に短くなっていた。
髪を短くした姫路渚はずいぶん印象が違った。
なんだか表情も、前より明るくなったというか、どこか吹っ切れた印象がある。
「二人で話せないかしら。屋上ででも」
「わかった」
俺は頷き、姫路について教室を出る。
チラリと後ろを振り返ると、クラスメイトたちが俺たちを見てヒソヒソと噂をしていた。
こりゃまた、いろんな憶測が飛ぶだろうなと俺はそんなことを思い内心ため息を吐きながら姫路の背中を追った。
「この間あなたと結んだ同盟関係なのだけれど…ごめんなさい。解消させてくれないかしら」
「は…?」
果たして、屋上へとやってきた姫路が開口一番に言い放ったセリフに、俺は思わず呆然としてしまった。
同盟関係の解消。
たった二日前に結んだばかりの協力関係をいきなり無かったことにしようと持ちかけられ、俺は驚いてしまう。
「なぜそうなる?」
「こちらの事情が変わったの。やっぱりあなたとの同盟関係は結ぶべきではないという考えになったわ」
「ずいぶん身勝手だな。そもそもこの同盟はそちらから持ちかけたものだろう?」
「本当にその通りよ。そこに関して、反論の余地はないわ。何かお詫びに私にしてほしいことがあれば、言ってちょうだい」
「…なんだそれは」
俺は呆れてしまった。
自分で持ちかけた同盟関係をたった二日で反故にする。
信念を貫き通すタイプの姫路渚らしからぬ行動だ。
こっちはすでに姫路との同盟関係を考慮の上で色々と作戦を練っていたのに。
ここ数日、姫路渚との同盟関係が成立してから考えていたことが全て白紙に戻っ
てしまった。
姫路渚との同盟関係は、はっきり言って俺にとって相当都合がいいものだった。
姫路渚を近くで監視できるし、魔術王にするためのサポートもしやすくなる。
姫路渚がどうして俺との同盟関係を持ちかけたのか、その真意については分からなかったが、俺はこちらにとって悪くないと思ったから姫路と同盟を結んだのだ。
にもかかわらず、三日も立たないうちに無かったことにされるとは思わなかった。
姫路渚は一体どういうつもりなのだろう。
「どういうことが聞かせてもらおうか。なぜ急に同盟を辞めるつもりになった?」
「…事情が変わったの」
「事情が変わったってなんだ。しっかりと説明をしてもらおうか」
「…無理よ。言えないわ」
「言え」
「言えない」
「どうしてだ」
「…あなただけには、言えないの」
姫路が俯きながらそういった。
はぁ、と俺はため息を吐いた。
「はっきり言おう、姫路。俺はお前との同盟関係に満足していた。お前のいう通り、俺にはお前と同盟関係を結ぶメリットがあった俺は…とある理由でお前を必要としていた」
「私が…必要…」
姫路の表情に一瞬揺らぎのようなものが浮かんだ気がした。
だがすぐに思いを断ち切るように首を振る。
なんなんだこいつは。
「俺は同盟関係を続けたいと思っている。何かお前の方でこの同盟関係に障害があると感じているのなら、言ってくれ。できる限り同盟関係が続けられるように対処するつもりだ」
「…違うの。そうじゃないの」
「何が違うんだ」
「そういうことじゃないのよ。もう同盟関係は続けられない」
「それだけじゃわからないぞ。せめて理由を教えてくれ。でなければ俺も納得ができない。ここまで俺を振り回しておいて理由も告げずに同盟の解消は許さないぞ」
「ごめんなさい…月城くん、本当にごめんなさい」
「…?」
姫路が本当に申し訳なさそうに、俯きながら謝意の言葉を口にする。
俺は姫路の態度に不自然さを感じて首を傾げた。
姫路渚という人間からここまで弱々しさを感じたのはこれが初めてだった。
姫路渚の俺の中のイメージは、孤高で気が強く、決して他人に弱みなど見せない、というものだった。
だが、今目の前にいる姫路渚の印象はそのイメージからかけ離れている。
髪を切ったことといい、今日の姫路渚はどこか変だと俺は感じていた。
「理由はどうしても言えないの…お詫びならなんでもするわ…あなたには本当に申し訳ないと思っている」
「…」
俯きながらそんなことを言う姫路を俺はこれ以上責められなかった。
「…わかった。お前との同盟関係を解消する」
「…ええ」
「だが…これだけは忘れないでくれ。俺は今後もお前との同盟を視野に入れて行動する。お前がその気になれば、またいつでも俺に協力関係を持ちかけたかまわない。今回同盟関係を解消しなければならないその理由がなくなった時…お前がその気なら俺はまた同盟を組んでもいいと思っている」
「…そんなこと言わないで」
「…何がだ」
「諦められなくなるから。そんなこと…言わないでよ」
「意味がわからん。諦められなくなるって、なんの話だ」
「…っ」
姫路渚が顔を上げた。
潤んだ瞳が俺を見つめる。
何かを言おうとするかのように、一瞬その口が開きかけた。
だが次の瞬間、姫路渚は何かを諦めたように視線を下げて、言った。
「もう、あなたと同盟関係を組むことはないわ」
「…そうか」
「さようなら。月城くん」
そう言った姫路がスタスタと歩いて屋上から姿を消した。
「はぁ…どうしてこうなった」
誰もいなくなった屋上で俺はため息を吐く。
どうしようもない虚無感が、猛烈に襲ってくるのだった。
放課後、剣道部の道場に顔を出すと、また一人で道具の準備をしていた花村と遭遇することになった。
「あ…月城…」
花村は道場にやってきた俺の姿を認めると、頬を赤くして照れ臭そうにしながら、近づいてきた。
「来たんだな…今日は来ないかと思ったぞ」
「なぜだ?」
「おととい…あんなことがあったから」
「…」
花村は二日前のショッピングモールでのことを思い出したのか、顔を耳まで赤くして俺の前でもじもじと手足を動かしている。
「土曜日は…すまなかったな。映画だけじゃなくて…長い時間付き合わせてしまって」
「いや、かまわない。それなりに楽しい時間だった」
「そ、そうか…それにしても、まさかあんなことがあるなんてな」
「…」
「もうあんなことは起こらないと思っていたが…またそっち側に巻き込まれてしまったな」
「…」
「…私も運が悪い。二度もこんな目に遭うなんて。もうそちら側のこととは関わることはないと思っていたんだがな」
「…」
「また…お前に助けられてしまったな…これで二度目だ」
「いや、前回とは違う。むしろ俺のせいでお前を巻き込んでしまった」
「…そうなのか?だとしても、お前は私を見捨てなかった。私はお前にまた助けられてしまったと、そう思っているよ」
「…身勝手な解釈だ」
「そうだろうか。でも、お前は結局私が狙われていたとしても、助けてくれるのだろう?」
「どうだろうな。あんまり俺の気まぐれに期待するな」
「ふふ。優しさをひけらかさないところも、お前のいいところだ」
花村がおかしそうに笑う。
「俺から言えるのは一つだけ。間違っても自分からは関わろうとするな。俺たちの世界は…お前が軽々しく踏み入っていい場所ではない」
「わかってるさ。そんなことはしない。お前に迷惑をかけるのが目に見えているからな」
「それならばいいだろう」
「ああ……そ、それよりもだな」
花村が赤い顔でチラチラと俺のことを見ながら言う。
「あ、あのことに関しては…すまなかった」
「あのこと?」
「わ、わかるだろう…?」
「…」
花村が照れくさそうにしながら言葉を続ける。
「いきなりあんなことして…迷惑だったよな…私も後になって…どうしてあんなことをしてしまったのかと…」
「…」
「でも…わ、私の気持ちは…わかってくれたと思う…不器用だから、伝え方が変になってしまったが…私のお前に対する気持ちは…本気だ…」
「…」
「月城…お前は私のことをどう思ってる…?」
「…」
「私のことを…少しでも、私と同じように考えてくれるか…?」
「…花村。俺は…」
「んっ」
俺が何かを言う前に、花村が目を閉じた。
唇をわずかに窄め、何かを待つかのように動きを止める。
「…」
俺は目を閉じている花村を見た。
その桜色の唇を見ていると、二日前の柔らかな感触が頭の中に蘇ってくる。
「…っ」
ど、どうする…?
花村の気持ちに答えるのか…?
多分、ここでキスをすれば、イエス。
何もしなければノー、と言うことになるだろう。
もし俺がキスをすれば、花村と俺は付き合うことになるのだろうか。
「…っ」
どくどくと心臓の鼓動が高鳴る。
花村は目を閉じて俺を待っている。
どうする?
どうするのが正解だ?
感情は、欲望は、キスをしろと言っている。
だが論理が、理性がやめておけと言っている。
花村との交際関係は、破滅の未来回避と円香の命を守るためには余計だ。
だが花村の思いを簡単に無碍にするわけにも…
「あ、先輩!お疲れ様でーす」
「遅れましたー。こんにちはー、花村先輩、月城先輩」
「「…っ!?」」
俺たちは二人同時にビクッとなって慌てて距離を取る。
たった今道場にやってきた後輩女子部員たちがきょとんとして俺たちを見る。
「あれ、もしかして私たち、何か邪魔しちゃいました?」
「来ない方が良かったですか?」
「ななな、なんの邪魔もしていないが!?」
「そ、そうだ…!俺たちは道具の準備をしていただけだ!!」
二人して慌てように取り繕う。
後輩女子部員たちは顔を見合わせてクスリと笑った後に、手を降りながら更衣室の方へ歩いて行った。
「すみませんでしたー、お邪魔しちゃって〜」
「私たち、空気読めてませんでした〜」
「明日はもう少し遅れてきますね〜」
「「〜〜〜っ」」
俺たちは二人揃って赤面する。
結局その日の練習には全然身が入らなかった。
〜あとがき〜
近況ノートにて3話先行で公開中です。
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