第50話


まずいです。


非常にまずいです。


一体どうしてこんなところに月城様がいるのでしょう。


隣にいる女性は一体誰なのでしょう。


まさか月城様の彼女さんなのでしょうか。


だとしたらお嬢様の初恋は…


「お、お嬢様…?」


「…っ」


私は恐る恐るお嬢様の方を振り返ります。


お嬢様は、深刻そうな顔で胸を押さえていました。


「ど、どうかされたのですか、お嬢様!?」


「柊…私、なぜか急に胸が苦しくなって…」


「だ、大丈夫ですか!?」


「どうしてかわからないわ。でも、すごく胸の奥がズキズキするの…魔力の調子が悪いのかしら…」


「お、お嬢様…その痛みは…」


私はその先を口にできません。


それを口にすれば、お嬢様が真実に気づいてしまうから。


「お嬢様…それほどまでに月城様のことを…?」


「え…何、どういうことかしら。月城くんとこの胸の痛みが、何か関係があるの?」


「…っ」


お嬢様は自分の心の痛みの原因が何かにまだ気づいていないようです。


私はどうするべきか悩んだ後に、お嬢様にこう提案しました。


「お嬢様。二人の後をつけましょう」


「え…」


「月城様とあの女性が一体どういう関係なのか、わかるかもしれません」


「そんなの、知ってどうするっていうの?月城くんの隣にいるのは花村萌。月城くんと同じ剣道部に所属する生徒よ。休日に一緒に時間を過ごしていたとしても別におかしくはないでしょう?」


「そ、そうかもしれませんが…でも、月城様の交友関係を把握しておくことも、何かの役に立つかもしれません…とにかく、月城様に関して少しでも情報を得るために…尾行しましょう」


「で、でも…月城くんに悪いわよ」


「いいんです!!見つかったら私のせいにしていいですから!!ほら、行きますよ!!」


「あっ、ちょっと待ちなさい。柊!」


私はお嬢様の手を引いて無理やり二人の尾行を開始します。


月城様とあの女性…花村様は付き合っているのかどうか。


それを突き止めなければ、お嬢様の恋を応援することもできません。


二人は今のところどう見ても付き合っているカップルに見えますが…違う可能性もあります。


尾行すればあの二人が男女交際の関係にあるのかどうか、はっきりするはずです。


私は仲睦まじく話しながら歩いていく二人を、お嬢様と共に気付かれないように尾行します。


「ほら、早くお嬢様っ。二人を見失ってしまいますっ」


「わ、わかっているわ…でも、胸の痛みが…」


「お気持ちはわかりますが、頑張って耐えてくださいっ」


お嬢様は胸を押さえて苦しそうにしています。


無理もないです。


初恋の相手が、他の女性とデートしているところを見せられているのですから。


苦しいに決まっています。


ああ、お嬢様は不幸です。


せっかくの初恋の相手に、すでに付き合っている女性がいるなんて。


いえ、まだあの二人がカップルだと決まったわけではないのですが。


私は二人がカップルではない一縷の望みに欠けて、お嬢様と共に二人を尾行します。


月城様と花村様のお二人は、エスカレーターを使って階を上がっていきます。


私とお嬢様も距離を話しながらエスカレーターに乗り、二人を追います。


「…っ!?なん、でしょうかこれ…」


「柊?大丈夫なの?」


それは5階から6階へ上がるエスカレーターに乗った時でした。


突然この先に進みたくないという抵抗力が私の心の中で生まれました。


理由はわかりません。


ですが、何かの力が自分の中で働いて、6階にはいくべきではないと訴えています。


まるで目に見えない壁があるかのようです。


「お嬢様…私、この先には…いきたくありません…」


「柊?」


「ものすごい精神的抵抗を感じます…絶対にやばいです、この先は…これ以上は…」


「待ちなさい。もしかしたら誰かが人払いの結界を敷いているのかも」


お嬢様が私の手を握ります。


何か温かいものが私の体の中に流れ込んできて、精神の抵抗が消え去りました。


「治りました…お嬢様、今のは?」


「あなたに私の魔力を流して、干渉してくる術式の束縛から解放したわ。やっぱり人払いの魔術が使われたようね」


「ど、どういうことでしょうか…?」


「誰かが私たちをこの先に進ませたくなかったみたい。見なさい。6階だけ嫌に静かだわ」


「え…」


その光景を見て私は絶句しました。


お嬢様のいう通り、ショッピングモールの六階だけ、全くの無人の空間となっていました。


下の階からはお客さんたちの賑やかな声が聞こえてくるのに、6階は全くの無人であり、静寂に満ちていました。


立ち入り禁止の看板があったわけでもないのに、これは明らかに異常な現象でした。


誰かが魔術を使ってこのような状況を作り出したということなのでしょうか。


「ここまで白昼堂々人払いの魔術を使うなんて、何を考えているのかしら」


「お嬢様を狙った魔術師の仕業なのでしょうか?」


「さあ、どうかしら。狙いは私とは限らないわよ。もしかしたら…」


「つ、月城様が…狙い?」


「その可能性が高いわ」


「た、大変です、お嬢様!!だとしたら早く月城様に警告しないと!!」


お嬢様の初恋の相手であり大切な同盟の相手でもある月城様が他の魔術師に殺されてしまったら大変なことです。


私は月城様に警告しようと、エスカレーターを駆け上がろうとします。


ですがそんな私をお嬢様が制します。


「待ちなさい。月城くんはバカじゃないわ。これが人払いの魔術によるものだとすでに気づいているはず。それをわかって六階へ入って行ったのだから、何か考えがあるのかも」


「ま、魔術師を迎え撃つということですか?」


「その可能性もある。とにかく…月城くんは強いわ。そう簡単に死んだりしない。なるべく気付かれないように様子を見にいきましょう」


「わ、わかりました、お嬢様」


私はお嬢様と共に静かに無人の六階を歩きます。


すると、少し先に三つの影の存在を認めました。


私とお嬢様は、物陰に隠れて、その三人の様子を観察します。


二人は月城様と花村様。


そしてもう一人が、黒スーツに身を包んだ男性でした。


「魔術師…やっぱり月城くんを待ち伏せしていたのね…」


お嬢様が月城様と向かい合う黒スーツの男性を見てそんなことを言います。


ということはあの黒スーツの男も魔術大戦に参加する魔術師ということなのでし

ょうか。


休日に交際相手とデート(とはまだ限らないですが)している月城様を狙って白昼堂々魔術を使って無人地帯を作り出し、待ち伏せをしていたということなのでしょうか。


「ど、どうするんですか、お嬢様。加勢するんですか?」


今なら黒スーツの男を挟み撃ちにできそうです。


私はお嬢様に月城様と一緒に黒スーツの魔術師と戦うのかどうか、尋ねました。


「少し見守りましょう。多分…私が何もしなくても、月城くんが勝つわ」


「そ、そうなのですか?」


「ええ…月城くんは強いもの。あの程度の魔術師には負けないでしょう」


お嬢様の声には確信が滲んでいました。


私はお嬢様のその言葉を信じて、声を出さずに月城様の戦いを見守ります。


黒スーツの魔術師がなんらかの魔術を使いました。


次の瞬間、ずらりと並んだ洋服店のマネキンが、まるで本当の人間のように動き出しました。


「人形使い…」


それを見たお嬢様が顔を顰めます。


「人形使い…というのがあの魔術師の名前なのですか?」


「ええ。人間の死体を使って死体人形を作り、戦いに利用する趣味の悪い魔術師よ」


「人間の死体を…」


そんな恐ろしい魔術師がいるなんて知りませんでした。


月城様は大丈夫なのでしょうか。


人形使いと呼ばれているらしい魔術師の操る人形たちが、月城様に殺到します。


「は、速い…!」


「術式で強化が施されているわね」


とても人間とは思えないような速さの死体人形たちに月城様も、同じ速度で対応します。


月城様の打撃が、人形たちに命中し、その体を吹き飛ばしますが、人形たちはまるで痛みなんてないかのように再び動き出します。


「死体に痛みはないわ。完全に破壊するか、あるいは死体を動かしている術式を取り除かないと動きを止めるのは不可能よ」


「そ、それって…」


かなりヤバいんじゃないでしょうか。


私がそう言った瞬間、月城様の周りの死体人形が一斉にぴたりと動きを止めました。


そのまままるで糸が切れたようにバタバタと倒れていきます。


「え…え…?何が…?」


何が起きたのか分からず、私は呆然とします。


お嬢様が感心したような口ぶりで言いました。


「魔力の嵐で術式を洗い流したようね。確かに、あのやり方が一番手っ取り早い」


どうやら月城様は、魔術師にしか分からないなんらかのやり方で、死体人形たちを無効化したようでした。


人形を失った人形使いが、狼狽、逃げ出します。


「あっ!」


そのまま敗走するのかと思いましたが、人形使いは花村様を人質に取りました。


「お、お嬢様…!花村様が人質に…!」


「大丈夫よ」


お嬢様は至って冷静でした。


「もう勝負はついているわ」


本当にその言葉通りでした。


月城様がなんらかの魔術を発動しました。


鋭い銃声を私は微かに耳にした気がします。


気づけば、花村様を人質にとった人形使いは、血を吐いて倒れていました。


月城様が何かをしたようには思えなかったのですが、人形使いはあっという間に地面に倒れ、戦闘不能に陥っていました。


「な、何が…?」


「魔力の弾丸で魔核を破壊したの。花村さん越しに撃ったようね」


「は、花村様越しに…?」


「ええ。一般人には魔核も魔力路もないから無害なのよ」


「は、はぁ」


魔術師でない私には理解できませんでしたが、多分ものすごい高度な技を使ったのだと思われます。


とにかくお嬢様の言った通り、月城様は独力で、危なげなく人形使いという魔術師を倒してしまわれました。


私はほっと胸を撫で下ろします。


「本当に、強いわね。月城くん」


お嬢様が遠くにいる月城様を見ながらそんな呟きを漏らした直後のことでした。


「あ…」


花村様が月城様に近づき、徐に顔を近づけてキスをしました。


月城様の首に手を回し、思いっきり抱きつきながら口に接吻したのです。


私はいきなりのことに二の句が告げないでいました。


隣にいるお嬢様がどんな顔をしているのか、確認する勇気が出ませんでした。


「…そういうことだったのね」


どれぐらい時間が経った頃でしょうか。


お嬢様が静かにそう言いました。


「お、お嬢様…」


私は恐る恐る隣を見ます。


「もう帰る」


お嬢様が私に顔を見られまいとするように顔を背けました。


ですが私は確かに見ました。


お嬢様の目尻から一筋の涙が溢れるのを。


「お、お嬢様…ち、違うのです…何かの間違いです…これは…」


「柊」


「は、はい…」


「帰りましょう。早くここを離れないといけないわ」


「…はい」


私はお嬢様と共に月城様と花村様を残してその場を離れたのでした。






家に帰ったお嬢様はそのまま自室に籠ってしまわれ、夕食の時間になっても姿を見せませんでした。


私は夕食を乗せたトレーを持ってお嬢様の部屋のドアをノックします。


「お嬢様?夕食をお持ちしました」


中から返事は聞こえません。


「お嬢様。大丈夫でしょうか」


今度も返事はありません。


しばらくの間迷った私は、意を決して中へ踏み入ることにしました。


「入りますよ。お嬢様」


ドアを開けて中へ踏み込みます。


お嬢様は部屋の中央にあるベッドに腰掛けていました。


表情は沈んでおり、目は泣き腫らしたみたいに赤くなっていました。


「お嬢様…食事をお持ちしました」


「…そこに置いといてちょうだい」


お嬢様が掠れた声で机を指差しました。


私は食事を机に置くと、お嬢様の隣に寄り添うようにして座りました。


「…」


「…」


私からは何も言いません。


こういう時は、少し待てばお嬢様の方から気持ちを吐露してくれることを私は知っているからです。


「柊…」


「はい、お嬢様」


「私…失恋しちゃったみたい」


「…」


その一言で、全てわかりました。


お嬢様が自分の気持ちに気づいたことも。


そしてその自分の気持ちがもう成就することはないと悟ったことも。


「月城くん…花村さんと付き合っていたのね…気が付かなかったわ…」


「…」


「花村さん、とても明るくていい子よね。人付き合いも良くて…私とは大違いだ

わ」


「…」


「こんなことになるなんて…思わなかったわ…私が…魔術のこと以外で、こんな気持ちになるなんて…」


「お嬢様…ごめんなさい。私のせいで…」


「いいえ…柊。あなたのせいではないわ。今日でなくとも…私はいずれ二人の関係を知っただろうから…」


「…」


「私はずっと分からなかった。月城くんに抱いているこの気持ちの正体が。恐怖とか、憧れとか、嫉妬とか、ずっとそういうものだと思ってた。でも違った…私、私は…」


「…」


「月城くんのことが好きだったんだわ」


「…」


「誰かを好きになったのが初めてだったから、気づけなかった。私、月城くんのことが好きだったの」


「…」


「ねぇ、柊。私、月城くんのことが好きだったんだわ」


「ええ、お嬢様」


「そうなの。私は月城くんのことが好き。好きだった」


「…」


「せめて…そう、月城くんに伝えたかった…」


「お嬢様…」


「…グス……どうしてこうなのよぉ…」


「お嬢様っ、お嬢様っ」


お嬢様が私に抱きついてきました。


そして小さい頃のように私の胸の中で泣いています。


私はお嬢様をぎゅっと抱きしめて背中をさすってあげます。


初恋が失恋に終わってしまった可哀想なお嬢様は、私の胸の中で泣き続けました。



〜あとがき〜


近況ノートにて3話先行で公開中です。

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