第42話
「ん?何してんだお前ら」
花村が俺と円香を見て不思議そうに首を傾げる。
「見てのとおり、妹と昼食をとっている」
「兄さんとご飯を食べています」
「あれ?お前らってそんなに仲良かったっけ?」
「た、たまにはこういうのもいいと思っただけだ!」
「はい。私は兄さんを慕っておりますから」
「お、おい!円香!人前であんまりそういうことを平然というな!」
「どうしてです?」
「いや、それは、その、だな…」
「私は兄さんをお慕い申し上げております。事実を口にするのはそんなに良くないことなのでしょうか?」
「わ、わかったわかった!もういい!!それより、花村は一体何のようだ?」
「んー?」
花村が俺と円香を交互に見て首を傾げる。
「お前らってこんな感じだったか?おかしいな…記憶と齟齬が…」
「別に兄妹である私たちが昼食の席を共にするのは客観的におかしいことではないと思います」
それに対して、円香が、やけに鋭い視線を花村に向ける。
花村が慌てて首を振った。
「待て待て。別に責めているわけじゃないんだ。ただ、珍しいこともあるものだなと…」
「これからはなるべく兄さんと昼食を取るつもりです」
え、そうなのか?
「そ、そうかそうか。まあ、兄妹仲がいいのはいいことだな…しかし、そうか…
そうだよな…」
花村が残念そうに俺が広げている円香の弁当を見る。
「実は私も今日、弁当を作り過ぎてしまってな。よければ、月城に分けてやろうと思ったのだが…どうやら余計だったようだな」
「ん?そうなのか?」
確かに花村の手にはやけにでかい風呂敷がある。
「誰かに食べるのを手伝ってもらえればと思って真っ先にお前の顔が思い浮かんだんだが…こうなれば捨てるしかないか…」
「…いやそれは」
残念そうにする花村に俺は何だか申し訳なくなってきて、円香の方を見た。
円香は俺に選択を委ねると言わんばかりにツンとそっぽを向いている。
俺はしばらくの間悩んだ後、言った。
「捨てることはないだろう。くれるというのならもらってやらないこともない」
「本当か!?」
花村の表情がパァと華やぐ。
「食べてくれるのなら嬉しいぞ…だが、月城、お前には円香ちゃんの弁当が…」
「ふん。俺は男だ。円香の弁当を残さず食べた上で、お前の弁当を手伝うことなど造作もない」
「そうか…!恩に切るぞ!」
花村が嬉しげに言って、机をくっつけ出す。
「円香もそれでいいな?」
俺は念の為、円香に確認をする。
「…兄さんがそういうなら」
円香はちょっと不満げながらも、俺が花村の弁当を食べることを了承してくれた。
やはり円香として自分の作った栄養のある弁当を食べて欲しいという気持ちが強いのだろう。
俺はそんな円香の気持ちを無碍にしないよう、なんとか両方とも食べ切る覚悟を決めて花村を昼食の席に加えた。
「おぉ…」
まず最初に円香の弁当を開いてみる。
思わず感心した声を出してしまった。
円香の弁当は、さまざまな手の込んだおかずの入ったボリュームたっぷりの弁当だった。
食べずとも美味しいとわかる匂いが鼻腔をくすぐる。
その匂いを嗅いでいると、自然と口の中が唾液で溢れた。
「早く食べてみてください、兄さん」
「ああ、いただくとしよう」
相当自信があるのか、円香がそんなことを言ってくる。
俺は箸で、一品のおかずをつまみ、口に運ぶ。
二、三回咀嚼した時点で、旨みが口いっぱいに広がった。
「美味いな…」
俺は思わず呟いた。
「良かったです」
円香が微笑む。
「早起きして作った甲斐がありました」
「ふむ。なかなかの出来だ。褒めてやろう」
「ありがとうございます。兄さん」
「…っ」
健気な円香の頭を撫でてやりたい衝動に駆られる。
だが今突然そんなことをやれば、月城真琴としてあまりに違和感がある。
いずれは…いずれは円香の頭をヨシヨシするんだと俺は胸に近い、思わず円香の頭に伸びそうになる手を引っ込めるのだった。
「わ、私の弁当はこんな感じなのだが…」
花村がパカっと弁当を開いた。
「!?」
俺は花村の弁当箱の中に入っている『それら』をみて一瞬時を止めた。
ブラックホールよりも黒い何かが、弁当箱の隅から隅までを埋めていた。
円香の弁当とあまりに差があり過ぎて、それが一瞬弁当なのかということもわからなかった。
「い、一生懸命作ったのだ…少し失敗してしまったかもしれないが…ちょっとでいいので食べてくれないだろうか…」
「は、花村…それ…」
俺は震える指で花村の弁当を指差した。
「そ、それは何だ…?」
「か、唐揚げ弁当だ…」
「…!?」
いやどここがだ!?というツッコミが思わず口から出そうになった。
一体これのどこが唐揚げ弁当だというのだろう。
まず唐揚げが見当たらない。
そして白米も見当たらない。
そこにあるのはひたすら黒い何か。
もはや唐揚げ弁当の原型を留めていないどころか、食べ物なのかどうかすらわからない。
「…っ」
失念していた。
そうだ。
花村萌は、作品屈指のメシマズヒロインなのだった。
「これを…食べるのか…?」
俺は恐る恐る言った。
「よ、よければ…す、少しでいいから…」
「…っ」
「これで…食べてみてくれ…」
花村が期待するような目を俺に向けてくる。
俺はいっそのこと断ってしまおうかと思ったが、一度食べると言った手前、引くに引けず、覚悟を決めて花村から渡されたスプーンを手に取り、その黒い何かの一部を救ってみる。
ねちょーっとその黒い何かはものすごく伸びて尾を引いている。
こんな食べ物を俺は知らない。
何だか焦げ臭いをさらに通り越したような道の香りが俺の鼻腔から体の中へと侵入してくる。
「に、兄さん…」
円香が震え声で俺を呼んだ。
「妹よ」
「は、はい…?」
「あとは頼んだ」
「兄さん!?」
俺は一思いに花村の作ったそれを口の中に含んだ。
もちろん味わっている余裕はない。
咀嚼もせずに無理やり喉に流し込む。
「ま、円香…水を…」
「は、はい…!」
円香が手渡してきた水を急いで飲む。
喉の奥にまだ残ったそれの味を舌が感じ取ってしまう前に、俺は全てを腹に流し込んでしまった。
「に、兄さん…大丈夫でしたか…?」
円香が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
俺はなんとか頷いた。
「奇跡的に、な」
「はぁ」
ほっと円香が胸を撫で下ろす。
「「「おぉ…」」」
周りからは謎のどよめきとまばらな拍手が起きていた。
花村が申し訳なさそうに聞いてくる。
「す、すまん…月城。そんなに酷かったか…」
「…」
「私、実は手料理は初めてでな…レシピを見ながら色々私なりにアレンジも加えて作ってみたのだが…」
「…」
唐揚げ弁当という比較的シンプルなメニューに一体どんなアレンジを加えたらあのようなものが完成するのか問い質したくもなってきたが、俺はなんとか花村に対していった。
「ま、まぁ…悪くはなかったんじゃないか?」
「本当か!?」
俺の嘘に花村の顔が明るくなる。
「良かった…てっきりとんでもないものを作ってしまったのではないかと心配し
ていたのだ…」
「お、おう…」
「悪くないと言ってもらえて安心した。どれ、私も一口…」
「お、おい!?花村!?」
花村がまぁまぁな量をスプーンですくって口に運ぶ。
その目が驚きに見開かれたあと、ガタッと席を立って一瞬で教室を出て行ってしまった。
おそらくトイレに駆け込んだのだろう。
「だ、大丈夫でしょうか…」
流石の円香も心配そうに花村が出て行ったドアを見ている。
しばらくして、肩を落とした花村が教室へ帰っていた。
「は、花村…お前、大丈夫なのか?」
「つ、月城…」
「な、何だ…?」
「私に気を遣ってくれたのは嬉しいが…今度からは正直な感想を頼むぞ」
「…わかった」
花村の切実な頼みに、俺は頷くことしかできなかった。
「はぁ、仕方ありません。花村先輩。お弁当、兄さんと私の分から分けてあげますから、それを食べてください」
「いいのか、円香ちゃん」
「今日だけ、特別ですから」
「あ、ありがとう…本当に恩に切る…」
花村が申し訳なさそうに俯いて、黒い何かの詰まった弁当箱をしまった。
俺はほっと胸を撫で下ろす。
その後は、俺と円香で花村に弁当を分けてやりながら、昼食を食べていった。
円香の弁当のおかずはどれも完成度が高く、花村も感心していた。
「円香ちゃん。これは全部手作りなのか…?」
「はい、そうですけど」
「すごいな。私も見習わなければ…」
「前日からの仕込みが大変でした」
「なるほど…時間をかけていいものを作っているのだな。私にもいつかできるだろうか…」
「人には向き不向きというものがあります」
「ぐっ…ずいぶん歯に衣着せぬ物言いをしてくれるな…まぁあんなものを作ってしまった手前、反論の余地はないのだが…しかし何事も研鑽あるのみだ。私だっていずれは…」
「…」
ツンとしながら弁当を口に運んでいる円香に対して、花村は何やら対抗心を燃やしている様子だ。
俺はそんな二人のやりとりを見ながら、円香の弁当を口に運んでいた。
「あー、お腹すいたなー、くそ。今日弁当忘れちまったぜー」
近くからわざとらしい声が聞こえてきたのはそんな時だった。
その声は何気なさを装いながらも明らかにこちらに向けられたものだったため、俺も円香も花村も思わず手を止めてそちらをみる。
「日比谷…」
「日比谷先輩…」
花村と円香がそこにいる日比谷を見て同時に顔を顰める。
何かあったのだろうか。
日比谷はチラチラとこちらに視線を送り、明らかに気にしている様子を見せながら、わざとらしい呟きを周囲に聞こえるようなやたらでかい声で発している。
「弁当忘れて財布も忘れちまったー。困ったなぁー、食べるものがないぜー。誰かが弁当でも恵んでくれたらなぁ〜」
「なんだあいつ…」
花村が奇異の目で俺たちの周りを彷徨いている日比谷を見ている。
円香はというと既に興味を失ってしまったのか、弁当を口に運ぶ作業に戻っている。
日比谷はこちらをチラチラ見ながら、俺たちの周りをぐるぐるまわり、わざとらしい呟きを繰り返している。
「困ったなぁー、お腹すいたなぁ〜。誰か食べ物くれねーかなぁ…もし、今誰かが何か食い物をくれたら、そいつのこと好きになっちゃうかもなぁ…」
何してんだこいつ。
俺は日比谷の不審な行動に首を傾げる。
一体何の目的でこんなことをしているのだろう。
こちらをチラチラと見ていることから、俺か、円香か、あるいは花村のいずれかに用があるのは確実なのだが。
こちらから声をかけるのを待っているかのように直接俺たちに声をかけたりはしない。
そんな見え透いた日比谷の態度に、花村はうんざりとした表情を浮かべていた。
円香に至っては、まるで何も聞こえていないかのように前を向いて淡々と弁当を
食べている。
「うわぁ、何あれ…」
「何だあいつ…」
「日比谷だよな?」
「何がしたいんだ?」
他のクラスメイトたちも日比谷に不審な目を向けている。
俺たちが無視を決め込んでいると、日比谷はひたすら俺たちの周りをぐるぐると回り始めた。
「おい、日比谷!!一体何のつもりだ!!」
痺れを切らした花村が、声を荒げて日比谷を見る。
すると日比谷が待ってましたと言わんばかりに、こちらに近づいてきた。
「よお花村。俺に何か用か?」
「何か用かじゃない!お前一体何のつもりなんだ!!意味もなく私たちの周りを彷徨いたりして…!食事の邪魔だ!!」
「まぁそう怒るなよ。お前の気持ちはわかってるからよ」
「は、はぁ…?」
日比谷の意味不明な物言いに、花村が呆れた声を出す。
日比谷はニヤニヤしながら俺や円香、花村に視線を一巡させてから言った。
「俺、実はよ。今日昼飯を忘れたんだよ」
「だからなんだ?」
「昼飯を買う金もなくてよ…だからすげー腹減ってんだよな」
「一体何の話をしている?私の質問に答えろ。一体何の用があってここにいるんだ」
「察しが悪いなぁ、花村。お前にチャンスをやるって言ってるんだよ」
「チャンス?何の話だ?」
「俺はすげー困ってるんだよ。だから、何か食べるものくれたら、そのことを恩に感じるだろうなぁ。そりゃあもう、すごくね。ククク…」
「はぁ、何を言い出すのかと思えば」
花村が頭が痛いと言わんばかりの表情でこめかみを抑えた。
「要するに、飯をよこせとそう言っているのか?」
「よこせとは言ってない。お前がくれるのなら貰ってやらないこともないと言っているのだ」
日比谷が自信満々にそんなことを言った。
どうやらこいつは飯が食いたくて俺たちの周りを彷徨いていたらしい。
そんなことのためにこんな奇行をしていたのかと、俺は甚だ呆れてしまった。
そしてそれは花村も同じようのだった。
「話にならない。悪いが、帰ってくれないか、日比谷」
「は、はぁ!?」
花村の当然のセリフに日比谷が驚きの声をあげる。
「おいおい、いいのか花村。俺に恩をうれるチャンスなんだぞ!?」
「構わない。というか、お前に恩を売りたいなんて私がいつ行った?」
「おいおい、素直になれよ。お前の気持ちはお見通しなんだ」
「勝手に私のことをわかった気にならないでもらえるか。そもそも、これは私の弁当じゃないんだよ」
「じゃあ、誰のだよ」
「円香ちゃんが作ってきたものだ」
花村が日比谷を睨みつけながらそういった。
日比谷はニチャァと笑みを浮かべて、円香を見た。
「へぇぇええ。そうなのかぁ、円香ちゃんが。そうだったのかぁ」
日比谷がニヤニヤしながら円香に近づく。
「おい、日比谷。何のつもりだ?妹に気安く近寄るなよ」
異様な雰囲気を感じて俺が日比谷に忠告する。
「黙れ。お前は黙っていろ、月城」
日比谷はそういうと、円香に向かって話かけた。
「円香ちゃん円香ちゃん」
「…」
「俺、今困ってるんだよね」
「…」
「食べるものがなくてさ…良かったら、お弁当、俺にくれない?」
「…」
「あ、別に円香ちゃんが食べているやつじゃなくていいよ。月城のやつでいいか
らさ」
「おい、ふざけるな。何勝手に俺の弁当を奪おうとしてんだ?」
円香が俺のために作ってくれた栄養満点の弁当を横取りしようとした日比谷に、俺は憤慨する。
だが日比谷は俺のことを無視して円香に語りかける。
「月城なんかが食べるより俺が食べたほうが円香ちゃんもいいよね?どうかな?」
「…」
「俺、今すごくお腹すいててさ。円香ちゃんが弁当くれたら、すごく恩に感じる
と思うな」
「…」
「円香ちゃんにとって悪い話じゃないよね?これ、チャンスだよ。わかる」
「…」
ずっと無言だった円香が、箸をおいて口元をハンカチで拭った。
それから日比谷の方を見て、はっきりと言った。
「日比谷先輩の分はありません。申し訳ないですが、自分でなんとかしてください」
「…っ!?」
俺からしたらその当然の円香のセリフが、日比谷にとってはよほど信じられないものだったらしい。
呆然と円香を見て、口をパクパクとさせる。
「兄さん。食べましょう」
「あ、ああ…」
円香はそれっきり日比谷から興味を失ったように食事を再開する。
日比谷はしばらくすると魂が抜けたような表情で教室を去って行ったのだった。
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