第41話
キーンコーンカーンコーン…
校内に四限の授業終了の金が鳴り響き、昼休みとなった。
来週小テストを実施するから復習をよくしておくようにと念押した数学担当の教師が出ていくと、教室の空気が一気に弛緩する。
「腹減ったぁ〜」
「飯だ飯〜」
「部活の昼練だり〜」
「おい食堂行こうぜ!!」
「一緒にお弁当食べようよ」
「いいね」
食堂へ向かう者、友人と机をくっつけて弁当を広げる者、だるいだるいと言いながら部活の昼練に向かう者、等々。
生徒たちが皆思い思いに行動する中、俺は席に座ったまま、ぼんやりと考え事をしていた。
ここ最近ずっと俺の頭を悩ませているのは、日比谷倫太郎のことや、魔術大戦のこと、そして今後のこの世界の展開についてのことだった。
「結局姫路も俺が助ける羽目になってしまったな…もう何がなんだか…」
解体屋と火焔使いに殺されそうになっている姫路を俺が救出してから二週間以上が経過している。
本来なら主人公である日比谷倫太郎が助けなければならなかったはずのヒロイン、姫路渚を、またしても俺が救わなければならない展開になってしまった。
これは花村萌に続いて二度目だ。
主人公でありながらヒロインを救えないという致命的なミスを犯した日比谷倫太郎を二度も俺が尻拭いをしてやった格好になる。
一応俺はこの世界の悪役だったはずだよな?と思わず自分に問い掛けたくなってくる日々である。
「あいつなんなんだまじで…」
俺はあの日の夜の日比谷倫太郎の立ち回りを思い浮かべて悪態をつく。
解体屋と火炎使いの罠にハマり、夜の校庭で殺されそうになった姫路渚。
本来ならそんな彼女を救うのはこの世界の主人公である日比谷倫太郎の役目だった。
だから、当初俺は姫路渚の救出は主人公くんに任せて傍観するつもりでいた。
そのほうがシナリオに沿った自然な流れだからだ。
だが、この世界の日比谷倫太郎には前科がある。
そう、花村萌が魂喰いに攫われた時に全く動き出すことなく花村萌を見捨てたことだった。
その頃から主人公としての日比谷倫太郎の振る舞いに違和感を覚え始めた俺は、もしかしたら今の日比谷倫太郎ならメインヒロインである姫路渚のことも見捨てかねないのではないかと思った。
だからあの日ことの経過を観察するために俺は夜の椚ヶ丘高校の校庭を訪れた。
果たして、姫路渚が窮地に陥った時、日比谷倫太郎はしっかりとその場に現れた。
前回の花村萌の時とは違い、ちゃんと主人公らしく姫路渚を助けにきたわけだ。
俺はようやくシナリオ通りに行動してくれた日比谷倫太郎に一瞬安堵しかけたわけだが、それは束の間のものとなる。
なんと信じられないことに、日比谷は解体屋の弱点を看破したにも関わらず、魔術の威力不足で解体屋を殺すことができずに、そのまま敵前逃亡を図ったのである。
魔術大戦の物語の中の日比谷倫太郎は一度たりとてそんなことはしなかった。
仮に自分より遥かに格上の魔術師を前にしたとしても、決して諦めず、自分の命すら顧みずにあたっていく。
それが俺の知っている魔術大戦の主人公、日比谷倫太郎だった。
だがあの日に見た日比谷倫太郎は、全く真逆の行動をとった。
解体屋の弱点を看破し、余裕綽々の態度だったものの、解体屋を殺しきれないとわかるや一転、捉えられ、殺されそうになっていた姫路渚を見捨てて逃げ出したのだ。
捉えられたヒロインを目の前にして、自分の命欲しさに逃げ出す日比谷倫太郎は、あまりに主人公としての行動規範から逸脱していた。
結局その後、俺が解体屋を倒すことになり、火炎使いは逃げた。
解体屋が死に、姫路渚が命拾いをしたという結果自体は原作と変わらないものの、その過程はまるで違うものになってしまった。
「もうあいつが何を考えているのか、何をしたいのか全くわからん…」
俺にはもはや日比谷倫太郎という男が理解不能となってしまった。
まず現在の日比谷倫太郎が俺の知っている魔術大戦の主人公の日比谷倫太郎でないことはもう確実と言っていいだろう。
あいつはなんらかの要因により変わってしまった。
性格も、立ち振る舞いも、魔術師としての実力も。
だから、もはや日比谷倫太郎に主人公としての働きを期待するのはやめた方がいいのかもしれない。
「もう原作シナリオなんてあってないようなものだな…」
そして日比谷倫太郎が主人公としてシナリオ通りに行動しないのだとした、もはや原作のシナリオはないも同然となってしまう。
俺はこれまで基本的に原作のシナリオはそれほど壊さない形で、俺と円香が生き残る方法を模索するという方針で行動してきた。
魔術大戦については日比谷倫太郎と姫路渚の共同戦線になんとかしてもらい、俺はひたすら日比谷倫太郎と敵対しないこと、そして円香の死を防ぐことに注力しようとそう思っていた。
だが日比谷倫太郎が主人公としての役割を果たさないのであれば、話は別だ。
あいつはあの感じだと、きっと世界を救うために魔術大戦に真面目に参加することすらないだろう。
身近なヒロインを簡単に見捨てられるような奴が、世界を救うために強い魔術師たちと戦うという危険を犯すとは思えない。
だが、困ったことに日比谷倫太郎が魔術大戦に参加しないとなると、他の凶悪な魔術師が魔術王になってしまう可能性がある。
はっきり言って魔術大戦に参加している魔術師の中で、思想がまともなのは俺や姫路、日比谷ぐらいのものだろう。
他の魔術師たちは、それぞれ信じられないほど凶悪な思想を胸に抱いて魔術王にならんと魔術対戦に参加しているわけで、そんな連中が魔術王になった暁には、普通に世界が滅ぶ。
それは流石に望ましくない。
なので、魔術大戦で勝ち残るのは、少なくとも俺か、姫路、あるいは日比谷の三人のいずれかでなくてはならないだろう。
いや、日比谷の現在の様子を見ていると、あいつを魔術王に仕立て上げたところでろくなことにならなそうだ。
となれば、魔術王候補はもはや俺か姫路かの二択となってくる。
「なりたくねぇなぁ魔術王…姫路に頑張ってもらうか…」
一瞬自分が極悪な魔術師たちを倒し、魔術王になる未来も考えたが、あまり矢面には立ちたくない。
なので俺は基本的に姫路渚を魔術王にする方針でいくことにした。
それが一番無難な選択だろう。
姫路渚は単純に自分の魔術の実力を証明するために魔術大戦に出ているに過ぎないので、仮に魔術王になったとしても魔術界および世界にとって悪影響が出ることはないだろう。
「ま、そんな感じで行きますか…」
おおよその方針が固まってきたような気がする。
まず日比谷倫太郎をあてにするのは今後やめる。
あいつが主人公としての役割を果たしてくれるとは思えない。
きっと魔術大戦に参加している強い魔術師たちとも戦うつもりはないだろうし、戦っても負けるだろうから、必要であれば、俺自身が出ていって魔術師たちと戦う。
それから魔術大戦を暴走しないようにコントロールしつつ、終盤に行くにつれて徐々にフェードアウトしていき、最終的には姫路に魔術王の座を譲る。
俺はあいつが魔術王になるためのサポートに徹するわけだ。
そうすれば、俺は矢面に立つこともなく、円香と幸せに暮らせる。
「決まりだな…なんだかスッキリした」
当面の方針が決まり、俺はスッキリとした気分だった。
「腹減ったな…」
空腹を覚えた俺は、周囲を見渡す。
いつもならもうそろそろ円香がやってくる頃だが…
「ごめんなさい、兄さん。授業が終わるのが遅れて…」
「よお、円香。待ってたぞ」
ちょうどそのタイミングで教室内へやってくる円香の姿を発見した。
俺の分の弁当を持って焦ったように駆け寄ってきて、弁当を渡しながら遅くなったことを詫びてくる。
「遅れてしまいました…すみません…」
ここまで走ってきたのだろう。
円香の息は荒くなっていた。
俺はそんな円香を労う。
「走ってきたのか。少し座って休め」
「え…兄さん?」
円香が不思議そうな表情を浮かべる。
遅くなったことを俺に咎められるとでも思ったのだろう。
俺も一瞬、月城真琴の本来の性格を演じて円香に文句の一つでも言ったほうがよかっただろうかと思ったのだが、もはやそんなこともする必要がないことに気がついた。
もう俺が月城真琴演じようが演じまいが、シナリオは徹底的に壊れてしまっている。
今更多少俺が円香や周囲に対する態度を変えたところで、影響は微々たるものだろう。
「いつも弁当をありがとう。感謝しているぞ」
「…!?兄さん…!?具合でも悪いんですか!?」
俺がいつも弁当を作ってくれるお礼を円香にいうと、円香が途端に焦り始めた。
あわあわとした様子で俺のことを本気で慮っている。
「おいどうした?妹よ」
「た、大変です…兄さんがおかしくなってしまいました…ああ、どうしましょう…回復の魔術で治るでしょうか…でもここは学校ですし、どうしましょう、どうしましょう…」
「落ち着け、妹。俺は正常だ」
「に、兄さん…?」
「た、たまには妹に感謝してやってもいい気持ちになったのだ。ほんの気まぐれだ。だから、落ち着け。取り乱すな」
「はぁ…そうでしたか」
気まぐれ、と聞いて円香がほっと胸を撫で下ろす。
ただ一言お礼を言った程度でこんな反応なのだから、俺が今までどんな扱いを円香にしてきたのか窺い知れるというもの。
「俺だってたまにはそういう気分になるのだ。俺の感謝をありがたく受け取るがいい」
「…よかった。やっぱり兄さんは兄さんでした」
俺の傲慢な態度を見て円香がほっと胸を撫で下ろす。
まぁいきなり円香に対する態度を一変させるのは違和感があるし、円香も今みたいな感じで驚くだろう。
だから、少しずつ、本当に少しずつ円香に優しくなっていくことにしよう。
「さて、弁当を食べるか」
「そうですね」
俺は円香の作ってきた弁当の風呂敷を解こうとする。
すると円香が当たり前のように俺の近くの空いている席を見つけて、俺の机とくっつけようとしてくる。
俺はその行動に首を傾げる。
「円香?何を?」
「兄さんと一緒に食べるために机をくっつけています」
「俺と一緒に?なぜだ?」
「よく考えたら、別れて食べる理由もないですし…私はいつも昼食は教室で一人でとっているので…だったら兄さんと一緒に食べてもいいかなと思ったんです」
「ん?今日はあいつのところにはもう行かなくていいのか?」
「あいつ…?誰ですか?」
「決まっているだろう。日比谷のところだ。お前、いつも弁当を届けていただろう」
「ああ。日比谷先輩のことですか」
円香が全く表情を変えずに、平然と言った。
「前にも言いましたが、もう日比谷先輩のところに弁当を届けることはありません。日比谷先輩には迷惑だと言われましたし、私にも弁当を届ける理由がないですし」
「…そうか」
前までは日比谷という名前が出るだけで顔を赤くしていた円香だったが、今ではほとんど表情も変えなくなってしまった。
最近は日比谷の元へ弁当を届けにいくことも完全に辞めてしまったようだ。
もう日比谷に対する気持ちは変わってしまったのだろうか。
俺には円香の本当の気持ちはわからないが、まぁ円香がそれで幸せだというのなら好きにさせておけばいいだろう。
「しかし、日比谷のところには行かないにしても、他に一緒に食べるものがいるんじゃないのか?どうしてわざわざ俺と?」
「私が兄さんと食べたいと思ったからです」
「…!?」
「だめ、でしょうか…?」
円香が上目遣いに、懇願するように聞いてくる。
もちろんダメじゃない。
むしろ大歓迎だ。
「だいか……じゃなくて、ふむ。まぁ構わないだろう」
「はい」
「今日の俺は機嫌がいいからな。そのぐらいは許してやる」
「ありがとうございます。兄さん」
円香が嬉しそうに机をくっつける。
「実は前から兄さんが心配だったのです。ちゃんと私の弁当、全部残さず食べてるかなって。兄さんはお野菜が嫌いですから、嫌いなおかずをこっそり捨ててるんじゃないかって。今日はそういうところもしっかり見させてもらいます」
「そんなことしているわけないだろうが!俺は子供じゃないんだぞ!というかお前は俺の母親か何かのつもりなのか!」
「妹です」
笑顔で言われた。
「お、おう」
俺は頷くしかできない。
「さあ、兄さん。食べましょう。今日のお弁当は特に腕によりをかけて作りました。栄養バランスもバッチリです。兄さんは最近無理をし過ぎているように思うので、元気が出るようなメニューを考えて作りました」
「…そうか」
表面上では興味なさそうな表情を浮かべながら、俺は内心ワクワクしながら円香の弁当を開こうとする。
「お、いたいた、月城。お前、今日のお昼はどうするつもりなんだ?」
「ん…?」
唐突に後ろからかけられた声に俺は振り向いた。
「花村?」
「花村先輩?」
「ん?円香ちゃん…?」
そこに立っていたのは、何やら妙にでかい風呂敷を持った花村萌だった。
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