第37話


「くぁああ…眠いな…」


「やっぱりお疲れですか、兄さん」


一夜明けて早朝。


あくびを噛み殺しながら俺は椚ヶ丘高校までの道を歩いていた。


隣を歩く円香が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。


「疲れてなどいない。俺はなんともない」


「そうでしょうか。ここのところ、兄さんは頑張りすぎている気がします」


俺は円香の前で強がって見せるが、円香の心配するような表情は変わらない。


昨夜のことはまだ円香に話してはいなかった。


兄思いの円香のことだから、俺が魔術師と戦っていたと聞けば、心底気を揉んでしまうだろう。


だから俺は昨夜、解体屋や火炎使いと戦ったことは一切円香に話していなかった。


けれど円香だって馬鹿じゃない。


俺が意識を失った姫路渚を担いできた時点で何かあったと勘付いているだろう。


「毎晩毎晩、兄さんが何をしているのかはわかりません。でも……たまには休養も必要だと思います」


「お前が心配することなど何もない」


「…そうだといいのですが。私は兄さんが心配です」


なんていい妹なんだ。


俺は円香を抱きしめてやりたい衝動を必死に抑えながら、心を鬼にして月城真琴を演じる。


「あまり俺を侮るな。兄である俺を信用できないのか?」


「…そういうわけではないのですが」


円香はしゅんとしながらもやはり俺を心配そうな目で見てくる。


本当に健気な妹だ。


もう月城真琴を演じるのをやめて、シスコン

になりたい。


…なってもいいんじゃないか。


主人公だってあんなんだし、もはや原作シナ

リオなんてあってないようなものだ。


もうこのぶっきらぼうな態度もやめて、思いっきり円香を甘やかしてもいいのではないだ

ろうか。


そんなことを考えながら歩いていると、前方に椚ヶ丘高校の校門が見えてきた。


「あん?」


「なんでしょうか」


校門の周りにひとだかりができている。


なんだかいつかに見た光景だ。


近づいていくと、人だかりの中心に二人の人物がいるのが見えた。


「あれは…」


たくさんの生徒に囲まれて注目を浴びながら睨み合っているのは、姫路渚と日比谷倫太郎の二人だった。


「何してるんだあいつら…」


「姫路先輩と日比谷先輩ですね……何をしているんでしょう?」


円香が首を傾げる。


俺はこっそりと円香を盗み見た。


円香は単純な疑問符をその顔に浮かべて、首を傾げていた。


以前までの円香なら日比谷を見たら、頬を赤くしてぼーっと見入っていたはずだ。


だが今はそういうこともない。


最近では弁当を日比谷に作ってやることもやめて関わりもなくなっているようだった。


円香の気持ちはもう完全に日比谷から離れたのだろうか。


それともまだ日比谷に対する気持ちは残っているのだろうか。


その表情からははっきりとは読み取れなかった。 


俺は円香から、姫路と日比谷に視線を戻す。


二人の間に漂っている空気は主人公とヒロインのそれとはとても思えないような険悪なものだった。


「なぁ、一体どうしたんだよ姫路。いつまでそんな態度をとり続けるつもりなんだ?いい加減俺も我慢の限界なんだが?」


「それはこっちのセリフよ。もう付き纏ってこないでって言っているのに何度も何度も…!鬱陶しいのよ!!私に近づかないでと言っているのがわからないの…!?」


「なぁ、なんでそんな頑ななんだ?俺はお前の気持ちなんてお見通しなんだぜ…?昨日のことは悪かったよ。こうしてお前は無事だったんだし、水に流してくれてもいいじゃないか。いい加減に素直になれよ」


「触らないで…!」


日比谷が握ろうとした手を、姫路が引っ込める。 


姫路渚は、まるで以前の俺を見るかのような明らかな嫌悪を滲ませた視線を日比谷に送っていた。


「照れるなって…みんなが見ているから恥ず

かしいのか…?」


「馬鹿なのかあいつは…」


思わずそう呟いてしまった。


姫路渚は明らかに嫌がっているにも関わらず、日比谷は何を勘違いしたのか、ニヤニヤしながらさらに距離を詰める。


そして徐に姫路渚に抱きつこうとする。


パシッ!!!

「なっ…!?」


乾いた音がなった。


日比谷が動きを止めて呆然と姫路を見る。


容赦なく日比谷の頬を張った姫路が、フンとそっぽを向く。


「てめぇ……誰に何をしたのかわかってんの

か……お遊びも大概にしろよ…!」


日比谷が憤慨する。


今にも殴りかかりそうな勢いだ。


「…」


それをみた姫路渚の目がすぅっと座った。


「おいおいおいおい!?」


「姫路先輩!?」


俺と円香が同時に声をあげる。


姫路渚の体から魔力の気配を感じ取ったからだ。


あいつこんなところで魔術を使うつもりなのか!?


そんなことをすれば、日比谷だけでなく周りの生徒にも被害が及び、大惨事になる。


俺は慌てて生徒たちをかき分けて、姫路と日比谷の諍いを止めに入った。


「待てお前ら…!一体何をしている…!?」


「あ…月城…」


目がすわり、殺気を放っていた姫路が、割って入ってきた俺を見て我に帰る。


一気に表情が緩み、なぜかプイッと明後日の方向を向いてしまう。


その頬は僅かに赤く色づいていた。


「おい、月城…!出てくるなよ…!邪魔なんだよ!!!」


一方で頬を張られた日比谷は俺に対して怒りをぶつける。


胸ぐらを掴み、血走った目で睨みつけてくる。


「その女がこの俺に手を出しやがったのを見ただろ…!どけよ…!!」


「断る。お前に指図される筋合いはないな」


「てめぇからやっちまうぞ…?かませ犬のくせに俺に逆らったらどうなるか思い知らせてやろうか?」


「かませ犬?どちらかというとそれはお前の方じゃないのか?」


「…!?」


日比谷が口をぱくぱくとさせる。


俺は冷静な目で日比谷を見据えていた。


「ねぇ、やめなよ日比谷くん…」


「今のはどう見ても日比谷くんが悪いよ…」


「女の子に無理やり触ろうとするなんて最低だよ…」


「ビンタされても仕方がないよ…」


「日比谷くんおかしいんじゃない?」


「なぁ、日比谷。お前冷静になれよ」


「何があったのか知らないが、こんなところで喧嘩するのやめてくれないか?」


周りの生徒からも非難の声が飛ぶ。


そのほとんどが、姫路渚に無理やり触れようとした日比谷に向けられたものだった。


日比谷が信じられないと言った表情で周りを見ている。


「な、なんだよお前ら……こんなのあり得ないだろ……そんな目で俺を見るのをやめろ……俺は…俺は主役だぞ…?主人公なんだぞ…?脇役は主人公を引き立てるために存在しているはずだろ…?なんで俺に逆らうんだよ……すごいすごいって拍手して俺に同調しとけばいいんだよ……なんでそうしないんだよ…」


「おい、日比谷。お前大丈夫か?」


何かに取り憑かれたようにブツブツ呟いている日比谷。


何を言っているのかは声が小さくて聞き取れなかったが、俺は日比谷の虚な目から何か気味の悪いものを感じずにはいられなかった。


「お前ら覚えてろよ…」


やがて衆目の前で喧嘩をするのは得策じゃないと判断したのか、日比谷が俺の胸ぐらを掴んでいた手を離した。


そして俺や姫路、周りの生徒たちを睨みつけ、一人校舎の方へ苛立った足取りで歩いて行ってしまった。


一触即発の空気が一気に弛緩し、あちこちからため息が漏れる。 


「おい、お前正気か?姫路」


「…な、何がよ」


「魔術、使おうとしただろ」


「…」


「おい、答えろ」


「…仕方ないじゃない。殺したいぐらいムカついたのよ」


姫路が駄々っ子のようにそんなことを言った。


冷静な姫路らしくない。


一体どんな絡み方をしたらあそこまで姫路を怒らせることが出来るのだろうか。


「何をされたのかは知らんが、流石に学校で魔術はダメだろ」


「…そうね。反省しているわ」 


意外にも素直にそんなことを言ってくる姫路。


だが、なぜか目が全然合わない。


まるで俺の顔を直視するのを避けるかのように姫路な明後日の方向を向いている。


やっぱり俺は嫌われているんだろうか。


悪役だから仕方がないとはいえやはりちょっと傷つく。


「もう学校に来ても大丈夫なのか?」


「……本当は休むつもりだったわ。でも……誰かさんのせいで寝れなかったのよ」


「…?」


「…なんでもないわ。忘れてちょうだい」


「はぁ…?」


よくわからないことを言って姫路はスタスタと歩いて行ってしまった。


俺は首を傾げてその後ろ姿を見守る。


「…兄さん」


「ん?なんだ?」


「昨日の夜、何があったのか聞いてもいいですか?」


「え…」


気がつけば円香が冷めた目で俺を見ていた。

今まで円香にこんな目で見られたのは初めてだった。


俺何かやってしまっただろうか。


「…よくない雰囲気です。姫路先輩…やはり侮れません」


「…なんの話だ?」


「こっちの話です」


そう言った円香も、またスタスタと校舎へ歩いて行ってしまう。


「…なんなんだ」


完全に取り残された俺は、慌てて二人の背中を追うのだった。

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