第29話


「月城先輩、お疲れ様でした!!」


「したー!!!」


「月城先輩、お先です!!!」


「失礼します、月城先輩!!」


次々と俺に挨拶をして後輩部員たちが道場を出ていく。


校内には下校を促すアナウンスが響いていた。


「随分な慕われようだな」


「あん?」


手を振りながら遠ざかっていく後輩部員たちを見送っていると、後ろから声がかかった。


花村がニヤニヤしながらこちらを見ている。


「なんだよ」


「変わったなと、そう思っただけさ」


「あ?何がだ?」


「お前がだよ」


花村が俺のことを指差して行った。


「最近は真面目に練習にもくるようになって以前とは大違いだ。後輩たちの態度を見ても以前に比べ明らかに慕われている。ちょっと前まで煙たがられていた男とは思えないな」


「ふん…勝手に勘違いしているがいい」


「ふふふ、そうさせてもらうよ」


何がおかしいのか、花村がくすくす笑ってい

る。


「待っていろ、月城。もう直ぐで片付けが終わる」


「どうして俺がお前を待たなくてはならないんだ?」


「ん?別に待ちたくないのなら帰ってもらって構わんよ」


「…」


そのまま帰ろうかと思ったが、迷った挙句俺は花村が片付けを終えるのを待った。


しばらくすると帰り支度を済ませた花村が俺の元へやってきた。


「ふふ。待っていてくれたんだな」


「違う。考え事をしていただけだ」


「月城は優しいな。ほら、道場の施錠は終わったし、行こう」


「人の話を聞け」


「はいはい」


なぜか俺は花村と並んで歩く。


花村は楽しそうに他愛もない話をしている。


どうしてこんなことになっているのだろう。


悪役のはずの俺が、ヒロインの一人である花村と親しげに会話しながら下校しているという事実になんだか不思議な気分にさせられる。


「なんだか新鮮だな、こうしてお前と下校するなんて」


「途中まで道が一緒だからな。ただそれだけのことだ」


「ふふ。そうだな。それでも嬉しいよ。月城と二人きりで話す機会なんてそうないからな」


「…」


夕日に照らされた花村が楽しそうにそんなことを言う。


整った横顔を見ていると、やっぱり花村萌もヒロインの一人なのだと思い知らされる。


思わずにやけそうになる表情を俺はなんとか保つのに必死だった。


「それにしても不思議な気分だよ。一歩間違えれば、私は今ここにいなかったんだから」


「…?」


「お前が助けに来てくれなければ、私は間違いなくあそこで死んでいた。そんな気がするんだ」


「…」


花村が遠い目をしながらいった。


「自分が何をされているのか、どうなっているのかはわからなかったけど……でも、怖かった。自分の中からいい記憶がどんどん消えていくんだ。まるで心の中を誰かに齧られているみたいに……自分という人格が少しずつ消失していくんだ。他の人間も一緒だった。

最初は大丈夫だ、誰かが助けに来てくれるって希望を持ってたんだけど、段々とみんなが諦めていった。私と同じようなことがみんなにも起こっていたんだと思う」


「…花村、それ以上はよせ」


「ふふ。大丈夫だ。別にお前らの世界に深い入りしようなんて気はない。この間も言ったように、私は理解できないことに首を突っ込むような愚か者じゃない。なんとなくだけどお前には私に何が起こったのか、わかっているんだと思う。私が犯人の男に捕まえられた時に見た化け物の正体もお前にはわかっているんだと思う。あれがなんなのか聞く気はない。理解するのも恐ろしいからな。私にそんな勇気はない」


「…約束は守っているんだろうな?」


「安心しろ。お前のことは誰にも話していない。事情聴取はあったがはぐらかしておいたよ。うまく誤魔化せたと思う。お前に迷惑をかけるようなことには多分ならない」


「…お前が見たのは夢だ。披露がみせた幻覚だ。そう思っておいた方が賢明だ」


「ああ、きっとそうなんだろうな」


花村が自分に言い聞かせるように頷いた。


「なんだかお前がものすごく遠い世界の住人に思えるよ。こんなに近くにいるのにな」


「…ふん。元から俺はお前を近くに感じたことなどない」


「そういうなよ。連れないなぁ…ったく。月城は乙女心が全くわからないんだな」


「なんだと?」


「そんな感じだから、姫路渚にも相手にされないんじゃないのか?」


「…っ!?」


「あははっ。冗談だよ冗談。なんだよその顔」


くすくすと花村萌が笑う。


俺はなんと言っていいかわからず口をぱくぱくとさせてしまう。


「ふふ…月城って意外とわかりやすいよな。 今までお前のことをちゃんと見ようとしてこなかったから……なんか意外だよ」


「か、勝手に知った気にならないでもらおうか?お前如きに捉えられるはずがないだろう、俺という人間を」


「ああ、そうだな。確かに、私には月城たちの世界のことはわからないよ」


少し前を歩いていた花村が足を止めた。


それからくるりと振り返っていった。


「でも、月城が私を助けてくれた。命を救ってくれた。そのことはわかってる。それだけは伝えさせてくれ」


「…っ」


「お前のおかげで今の私があるんだ。私はそのことに感謝している。助けに来たのがお前で本当に良かったって思ってるんだ」


「はっ…お前を助けたのは気まぐれにすぎない。か、勝手に勘違いをしないでもらおうか」


「ふふ。別に気まぐれでも構わないよ。とに

かく私の感謝している気持ちが伝わってくれればいい」


「…ふん。感謝がしたいならいくらでもするがいいさ」


「ああ、させてもらうとも」


にしし、と花村が笑ってまた並んで歩き始める。


「本当は、さ…」


「…」


少しの間静かだった花村が徐に口を開いた。

「他のやつが助けに来てくれるんじゃないかって私は思ったんだよ」


「…」


日比谷か。


俺はそう思った。


花村は日比谷倫太郎のことが好きだ。


だから魂喰いに攫われた時、本当は日比谷倫太郎による助けを望んだのだろう。


そうなる予定だったし、俺もそうなるものだと思っていた。


だが、そうはならなかった。


「でもそいつは助けに来てくれなかった」


「日比谷か?」


「…やっぱりわかるのか?」


「普段のお前を見ていればな」


「…そうか。まぁそうだよな。私だって隠してたわけじゃないし」


ちょっと照れくさそうに花村が頬をかいた。 


「日比谷だけが、私の支えだったんだ。あの

暗い地下室で私が私じゃなくなりかけていた時、日比谷だけが心の支えだったんだ。きっと日比谷が助けに来てくれる。そう思ってたんだ」


「…」


「でもあいつはこなかった。考えてみれば、

当たり前だよな。あいつはお人よしだけど、でもどこまで行っても普通の高校生だし……その、月城とかあの犯人の男とは違う」


「…」


「それでも日比谷が来てくれると思ったんだ。来たのは月城だったけど」


「はっ、悪いかったな」


「ふふ。怒らないでくれよ。お前には感謝しているし、今ではお前が助けにくてくれて良かったと思ってるんだからな?」


「はっ、どうだかな」


「本当だって……もう、以前のような気持ちは日比谷には抱いていないんだ」


「…?」


俺は思わず花村の方を見た。


花村が少し寂しげにいった。


「お前に助けられた後、あいつのところに行ったんだ。心配させて済まないって。なんとか生き延びたって。報告しに行ったんだ。そしたらなんて言われたと思う?」


「さあな。どうでもいい」


「お前生きてたのかって、そう言われたよ。どうでもよさそうな、他人事みたいな調子で」


「…」


「ショックだったよ。あいつにそんなこと言われるなんてな」


「…」


「別に心配して欲しかったわけじゃないけど……いや、嘘だな。私はあいつに心配して欲しかった。私のことを探して欲しかった。行方不明になった私の身を案じて欲しかった。でも……あの顔を見た時に私は気づいたんだ」


「…」


「あいつにとって私はどうでもいい存在だったんだって。私が死のうがどうなろうが、日比谷にとっては些細なことだったんだって」


「…」


「そう気づいた瞬間、なんか色々冷めたんだ。ははは。私も最低だよな。自分がこんなに冷めやすい人間だなんて思わなかった」


「…」


俺は花村の話を黙って聞いていた。


惚れ込んだ人物に失望し、失恋する。


その心の痛みがどれほどのものなのか、経験のない俺には想像することはできなかった。


だから余計な口を挟まず、黙って花村の話を聞いていた。


「ごめんな、聞きたくもない話を聞かせてしまって」


「…別に構わん。真剣に聞いているわけでも

ない」


「勘違いして欲しくないんだが、お前に助けられてがっかりしたなんて一言も言ってないからな?」


「くどいな。一体何度目だ」


「す、すまん……けど、お前には勘違いして欲しくないんだ。お前だけには」


「…」


どういう意味だ、と聞こうとして俺は口を閉ざした。


潤んだ花村の瞳と色づいた頬を見て、なんとなく察してしまったからだ。


流石にここまで言われて花村の気持ちに気が付かないほど俺は鈍感ではない。


「なぁ、月城。お前は私とは違う世界の住人なんだと思う。私はお前の私が理解でいない部分に踏み込もうとは思わない」


「…」


「それでも、お前の別の部分……高校生としての月城真琴のことはもっと知りたいと思っている」


「…」


「お前の趣味とか……好きな食べ物とか……異性の好みとか……その、色々とだ」


「…」


「だから……これからもお前に話しかけてもいいか?」


「…」


「絶対にお前に迷惑はかけないと誓う。あの日のことは誰にも話さないし、余計な首は突っ込まない。だから……それ以外の部分で、お前のことを知ろうとしてもいいだろうか」


「…」


潤んだ瞳が俺を見つめている。


花村の頬は真っ赤に色づいていた。


相当覚悟を決めた告白なのだと嫌でも理解させられた。


鼓動がどくどくと高鳴っていく。


動揺で声が上擦らないように気をつけながら、俺はなんとか声を絞り出した。


「か、勝手にするがいい…」


「…ふふ。ありがとう」


俺の答えを聞いた花村が、最初っからわかっていたみたいに嬉しそうに笑った。

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