第19話


花村萌は以前に比べ、かなりやつれているように思えた。


何日も魂喰いによって監禁されていたのだから当然と言えば当然だ。


しかし顔色は決して悪くなく、本来の元気を

取り戻しつつあるように見えた。


助け出されたのは昨日の今日だというのに、たくましいやつだ。


「花村先輩!もう学校に来ていいんですか…?」


「元気そうで何よりです…私、花村先輩のことすごく心配でした…!」


「花村先輩ともう会えないかもしれないと思っていたので……生きていてくれて本当によかったです」


後輩たちが帰ってきた花村に口々にそんなことを言う。


花村は後輩部員たちに笑顔を見せながら、お礼を言っていた。


「ありがとう。心配をかけてすまなかったな。この通り私はもう大丈夫だ。練習に戻るといい。詳しいことはお前たちにもそのうち話せるようになると思う」


「「「はい…!」」」


後輩たちが元気よく返事をして離れていく。


後輩たちが練習に戻ったのを確認してから、花村が俺の方へ歩み寄ってきた。


「もう大丈夫なのか?」


「ああ、おかげさまでな」


花村が照れくさそうにはにかんだ。


「昨日はびっくりしたよ。まさか警察でもあいつでもなく……お前が助けに来るなんてな」


「…」


あいつ、と言うのは日比谷のことだろう。


本来なら花村を助け出すのは日比谷の役目だったのだ。


夜の街で魂喰いと邂逅し、殺されかけ、魔術の力に目覚め、抵抗する。


そして偶然近くにいた姫路渚に助けられ、共闘して魂喰いを倒す。


その後二人は魂喰いから魍魎の餌とするために捉えられた人々の居場所を聞き出し、助けに向かうのだ。


花村萌は日比谷倫太郎と姫路渚に助け出され、日比谷倫太郎が、自分を見つけるために夜の街を駆けずり回っていたことを知り、さらに強い好意を日比谷に対して抱くようになる。


本来の物語の流れとしては、そうなるはずだったのだ。


しかし、実際には日比谷は動かなかった。


まるで花村の命などどうなってもいいとばかりに、何も行動を起こさなかった。


だから俺が尻拭いをしなくてはならなくなった。


すでに一つ、この世界のシナリオに重大な綻びが出てしまった。


この影響が今後、この世界に対してどのように波及していくのか、考えただけで頭が痛い。


「びっくりしたけど…でも嬉しかったよ。本当に意外だった。お前がクラスメイトのために行動するようなやつだったなんてな」


「…ふん。たまたま近くを通りかかっただけだ。勘違いするな」


「ふふ。そう言う事にしておこう」


何がおかしいのか、花村はくすくすと笑っている。


「ともかく…お礼を言わせてくれ。本当にありがとう。お前がきてくれなかったら、私は多分死んでいたかもしれない。肉体的には生きていたかもしれないが…精神的には死んでいただろう。花村萌という人格はおそらく失われていた。そんな気がするんだ」


「…」


「本当にありがとう、月城。私を助けてくれて、感謝している。どうやら私はお前を見誤っていたらしい。正直もっと嫌なやつだと思っていたよ」


「勘違いするな。お前のためにああしたわけじゃないからな?」


「ふふふ、お前はあくまでもそう言うのだな。まぁそう言う事にしておいてやろう。全く……私も他人を見る目がないな。自分が嫌になってくるよ」


「…ま、せいぜい俺に感謝する事だな」


「ああ、してるとも。多分月城が想像しているよりもずっと」


花村が意味ありげなことを言う。


俺はふんとそっぽを向く。


花村が不意に俺に近づいてきて、声を顰めて言ってきた。


「昨日のこと……他人に触れ回ったりはしないから安心しろ。そのほうがお前にとって助かるんだろ?」


「…ああ、そうだ」


花村が自分の口に人差し指を当てていった。


「まかせろ。私はこう見えて口が硬い。昨日お前と結んだ約束は守る。これ以上お前に対して詮索したりしないし、何か余計なことを言ったりも絶対にしない。今日、帰ったら警察から事情聴取があるんだが、お前のことは話さないよ」


「…当然だ」


「お前は……その、多分私とは遠い世界にいるんだろうな。なんとなくそんな気がするんだ。うまく説明できないけど……多分お前や、私を誘拐したあの男は私とは違う。まったく別の世界の住人なんだ」


「…」


「正直自分でもまだこの事についてどう受け止めていいのかわかってないけど……引き際は弁えているつもりだ。何も知らない馬鹿なのに、ずけずけとそっち側に踏み入ったりはしないから安心してくれ」


「…懸命な判断だ」


「ああ、ありがとう」 


花村がにっこりと笑っていった。


「それに、知りたいとも思わないしな。あんな目に遭うのは懲り懲りだ。私にとって今重要なのは、生き延びたこと、私のことを心配してくれる人たち、それから……お前に命を救ってもらったと言う事実、これだけだ」


「…」 


「またな、月城」


笑顔で手を振った花村が去っていく。


俺は校舎の方へ歩いていく花村の背中をぼんやりと見送った。




「ふぅ…」


自分の席に腰を下ろした俺はほっと胸を撫で下ろす。


花村が物分かりのいい性格で本当に助かった。 


正直、昨日花村を魂ぐいから助けたはいいものの、花村に一体どう説明をしたらいいのか悩んでいたのだ。


一応昨日意識を取り戻した花村に、俺のことは誰にも言うなと口止めしていたのだが、花村が警察をはじめ、俺のことを他人に触れ回る可能性は十分にあった。


だが、花村はそうしなかった。 


そして自分が理解できない世界に足を踏み入れてしまったことを察知し、これ以上踏み込むべきではないという賢い判断をした。


これは俺にとって非常に都合が良かった。


おかげで懸案事項が一つ消えた。


口調から察するに花村はおそらく魂喰いの魍魎を目にしている。


実体化した魍魎は花村の目にはこの世のものとは思えない恐ろしい化け物に見えただろう。


自分には理解できない世界が存在していることを花村は知った。 


魔術の世界を垣間見てしまった。


そして自分からはその世界に首を突っ込まないと言う正しい判断をした。


花村が暴走する可能性を考慮していた俺は、不安要素が一つ減って本当に安心していた。


「残る問題は…日比谷。あいつだな」


俺は全くシナリオ通りに動かない手のかかる主人公のことを思い、ため息を吐くのだった。

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