第18話


「兄さん、疲れているんですか?」


「…あん?いや、疲れてない。大丈夫だ」


朝。


重い体を引きずるようにして登校路を歩いていると、隣を歩く円香が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。


円な瞳が上目遣いに俺を見つめてくる。


相変わらず天使みたいに可愛い妹だ。


思わず疲れも忘れてニンマリと笑ってしまいそうになるが、俺はなんとか自制してあくまでも傲慢な月城真琴を演じる。


「お前に心配されることなど何もない」


「だといいのですが…」


それでも円香は心配そうに俺のことを見ている。


どうやら傍目にも、俺に疲労が溜まっていることは一目瞭然らしい。


「出過ぎた真似かもしれませんが、兄さん最近顔がやつれているように感じるので、何か悩みでもあるのではと心配してしまいます。昨日も夜に外出されていたようですが……どこで何を?」


「き、昨日か…?え、えっとだな…」


馬鹿正直に連続誘拐事件の犯人である魔術師と戦っていました、なんて言えるはずもなく俺は答えに窮してしまう。


「その…あれだ。夜の散歩だ…」


苦し紛れにそんな答えを捻り出した。


「散歩、ですか…」


円香はあんまり納得していないような顔だ。


「何か危ない事に首を突っ込まれていたりはしませんか…?


「…!?あ、危ないこと…?なんのことかわからん……し、知ったようなことを言うな…!」


「本当ですか?何も、危険なことはありませんか?」


円香の濡れた瞳がじっと俺のことを見つめてくる。


なんだか見透かされているような気分にさせられる円香に視線から逃げるように明後日の方を向いた俺は、動揺を隠しながら言った。


「何も危険なことなどない。当たり前だろう」


「…そうですか。それならよかったです」


円香がほっと胸を撫で下ろした。


「でも何かあればぜひ私に相談してください。妹として、何か兄さんに悩みがあるのなら力になりたいです」


なんていい妹なんだ。


感動しながらも、俺は月城真琴を演じる。


「お前に力になってもらうことなど何もない。俺を舐めるな」


「…はい」


こんな態度しか取れない自分が本当に心苦しい。


でも、円香はなんだか少し楽しそうだった。


口元にはわずかな笑みが浮かんでいる。


俺は円香の持ち物を確認した。


今日もしっかりと風呂敷に包まれた弁当を持っているようだった。


「おい、ひょっとして今日も届けに行くのか?」


「…はい?なんでしょうか」


「それだよ」


俺は円香の持っている弁当を指差した。


「あのクソ野郎に今日も届けに行くのか?弁当を」


「言葉が悪いですよ、兄さん。誰のことですか?」


「決まっているだろ。日比谷だよ。日比谷倫太郎」


脳裏に、ついこの間の出来事が蘇る。


円香が前日から一生懸命仕込んだ手作り弁当を、他の生徒たちの目がある中で悪びれる様子もなく堂々と拒絶しやがった日比谷倫太郎。


正直兄としてあんなクソ野郎に関わるのはもうやめておけと言いたくなるところだが、円香の幸せを尊重してやりたい気持ちもあった。


「ああ、日比谷先輩ですか…」


円香が思い出したかのようにそういった。


「いえ……今日は日比谷先輩のところへ行く予定はありませんよ」


「ん?そうなのか」


「ええ。これは兄さん用の弁当ですから」


「俺?」


「はい」


円香が頷いた。


よく見れば、確かに円香が持っている風呂敷は二つだった。


いつもは自分の分と俺の分、それから日比谷の分の三つを持っているはずなのだが、今日は二つのみだった。


「どうしてだ?いつも日比谷の弁当も作っていただろ?」


「作っていた、というか……日比谷先輩の分を作っていたのはあまりものを有効に使うためでしたし…」


それは嘘だ。


むしろ余物で作っていたのは自分の分だけのはずだ。


円香が想い人である日比谷の分の弁当を一番気合を入れて作っていたのは俺が一番よく知っている。 


「よく考えたらそう言うのは日比谷先輩にとって迷惑だったかもしれません。あまりものを押し付けるなんて、向こうからしたら迷惑ですもんね」


「いや…そんなことは…」


「だからもういいんです。日比谷先輩の分の弁当はもう金輪際作ることはありませんから。私がこれから作るのは、自分の分と兄さんの分だけです」


円香が俺の方を向き、にっこりと笑っていった。


「兄さんは、なんだかんだ言いながらいつも私の弁当を食べてくれますよね。文句を言いながらも、毎日残さず完食です」


「…ふん。他に食べ物がないから食べてるだけだ。自分で作るのも手間だしな。仕方なくだ」


「はい、そう言う事にしておきます。ふふ」


ころころと楽しそうに笑う円香。


なんかよくわからんが、日比谷に弁当を拒絶された傷からはすっかり立ち直ったようだった。


俺は表面上は「ふん」とそっぽを剥きながら、内心では元気そうな円香の様子にほっと胸を撫で下ろしていた。


「兄さんに美味しいって言ってもらえるよう

にこれからも頑張りますね」


「ふん。勝手にしろ」


なんていい妹なんや。


抱きしめて頭を撫でてやりたい。


お前の作ってくれる弁当は最高だよと言ってやりたい。


俺はそんな衝動に駆られながら、なんとか自制して無表情を保つのだった。




「それではな」


「はい、兄さん。また放課後に」


「遅れるなよ。1分でも遅れたら置いていくからな」


「はい、わかっていますよ。ふふ。それでは」


きつい言葉を使ったはずなのに、にこやかに手を振って一年の校舎の方へ歩いていく円香。


ごめんな、とその背中に一言かけてから俺は道場へと向かった。


「あ…お、おはようございます…!月城先輩!」


「おはようございます月城先輩!」


「今日も朝練に来たんですね…!」


道場に顔を出すと、朝練を始めていた後輩たちがにこやかに挨拶をしてきた。


「ふん、お前たちがサボってないか見に来てやっただけだ。おい、俺に構ってないで練習に戻れ」


「「「はい…!」」」


一年が明るい顔で返事をして練習に戻る。


俺は道場を見渡した。


今日も日比谷倫太郎は朝練にやってきていないようだった。


あいつは一体どこで何をやっているんだ。


サボりのさの字も頭にないようなバカ真面目なやつだったはずなのに、ほとんど朝練の場に姿を見せなくなってしまった。


明らかに日比谷倫太郎のここ最近の行動パターンはおかしかった。 


日比谷倫太郎という人物の性格から、逸脱した行動ばかりをとっているように思える。


昨日だってそうだ。


あいつが主人公の役割を果たさないから俺が代わりに尻拭いを…


「月城?」 


「…!?」


名前を呼ばれ、振り返る。


「花村先輩…!」


「花村先輩お久しぶりです…!」


「無事だったんですね花村先輩…!!!」


一年たちがそいつの姿を見て嬉しげに駆け寄ってくる。


魂喰いに攫われたクラスメイト、花村萌がそこに立っていた。

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