第15話


怖いよぉ…


暗いよぉ…


ここから出して…


お父さんお母さん…


おい…金はいくらでも出す…助けてくれ…


どうして俺がこんな目に…どうして俺がこんな目に…


警察は何をやってるんだ…


「…」


暗い地下室に、私は大勢の人たちと共に閉じ込められていた。


小さな子供たち。


学生服を着た若者。


スーツを着たサラリーマン風の男。


老人。


ホームレスのような人たち。


地下室には様々な人たちがいて、鎖に繋がれて身動きを封じられている。


一体私たちは、どうしてここに監禁されているのだろうか。


私たちはここに連れ去った男は、定期的にこの地下室に訪れる。


そして「餌だ、お前ら。存分に食え」と言ってしばらくするといなくなる。


身代金目的の誘拐ではないように思えた。


もしそうならもっとお金持ちの家の人間を狙うはずだ。


地下室にはホームレスのような格好の人たちも何人かいるので、これがお金目当ての誘拐だとはとても思えなかった。


犯人の男は、私たちに生きていけるだけの最低限の食事を与え、そのほかには何もしてこない。


犯人の目的は今持って謎のままだった。


ただ、日に日に監禁された人々は精神を病んでいっていた。


それは監禁されているという恐怖によって精神をすり減らしていることもあると思うのだが、それとは別に理由がある気がする。


なぜか犯人の男がこの場所にやってくるたびに、私は気分が落ち込んで来るような気がした。


「餌だ、お前ら。存分に喰え」


犯人がそういうたびに、何かが私の心の中に入ってくる気がした。


その目に見えない何かが私の中に入ってくるたびに、私の中から明るい記憶がどんどん消えていくのだ。


楽しかった記憶。


大切な人々。


大好きな趣味のこと。


そういうものが私の中からどんどん消えていき、空っぽになっていく気がする。


監禁された最初の時は、きっと誰かが助けに来てくれるはずだという希望を持っていたのに、今ではそんなことを考える気力も失せていた。


早く死にたい。


この苦しみを終わらせてほしい。


いつしか私はそう思うようになっていた。


でも、そんな中でもただ一つだけ、私の中には忘れていない記憶があった。


日比谷倫太郎。


同じ剣道部に所属するあいつが、私のことをきっと助けに来てくれるのではないかというそんな期待があった。


日比谷倫太郎という男は、本当に馬鹿正直で、鈍感で、不器用で、天然で、でも誰よりも他人思いのいい奴なのだ。


自分のことを顧みず、ひたすら他人のことばかり考えている変なやつで、放っとくと赤の他人のために命まで捧げかねない、そういう奴なのだ。


私はそんな日比谷を最初は危なっかしい奴だなと思っていた。


自分のことに無頓着で、他人のために毎日駆けずり回っているような日比谷は、ひたすら損な役回りを演じている馬鹿としか思っていなかった。


けれど気づいたら、私は日比谷のことが好きになっていた。


他人のために行動し、何度も危ない目にあっているあいつを見るたびに、あいつには私が必要なんじゃないかと思うようになっていた。


それから私は何かと日比谷のことを気にかけ

るようになった。


日比谷が危うい目に足を突っ込むたびに、いろいろ忠告したり、手助けをしたり、励ましたりした。


その度に日比谷は屈託のない笑顔で私に感謝してきた。


私は日比谷の無邪気な笑顔を見るたびに、胸を高鳴らせた。


日比谷は今どうしているだろうか。


あいつのことだからきっと、学校を休んで私のことを探してくれたりしているんじゃないだろうか。


あいつはそういうやつなのだ。


普通の人間ならクラスメイトが行方不明になっても警察などその道のプロに任せておくものだが、あいつは違う。


あいつは自分の周りの人間が困っていたら居ても立っても居られない人間なのだ。


私が行方不明になったと知ったら、きっと自分の危険なんて顧みずに、私のことを探してくれるはずだ。


それが嬉しくもあり、同時に怖くもあった。


それは日比谷が私と同じようにあの犯人の男に捕まってしまい、ここに捉えられてしまうのではないかという恐怖だった。


私は日比谷が助けに来てくれるのではないかという希望と同時に、自分はどうなってもいいから日比谷だけは無事であってほしいという矛盾した感情を抱いていた。


犯人の男は異常だ。


私は自分が監禁された時の記憶を思い出す。


校門で後輩部員たちと別れ、自宅までの道を歩いていた最中だった。


その男は気付けば私の背後にいた。


自慢じゃないが、私はこの年齢の女にしては運動神経がいい方だと思っている。


視力や聴力にだって自信があるし、部活をやっているので筋肉もついている。


身長だって170センチと男とほとんど遜色ないぐらいで、常に竹刀も携帯している。


だからたった一人の誘拐犯に襲われたぐらいで簡単に連れ去られるようなことはないと思っていた。


だが犯人の男は、いとも簡単に私を無力化してきた。


私は男が接近する気配にすら気がつけなかった。


私に出来たのは男が頭目掛けて振り下ろしてきた金槌を咄嗟に避けることだけだった。


男の金槌は私の頭をそれて、私の手に当たった。


私はそれで竹刀を取り落としてしまった。


私は怖くなって走った。


犯人の男は追ってこなかった。


ただ一言こう言ったのだ。


「捕まえろ」


次の瞬間私が目にしたものが、現実なのか、それとも恐怖ゆえに垣間見た夢のようなものだったのか私はいまだに判断がつかない。


それは体長5メートルを超えるような化け物だった。


四足歩行で黒い毛並み。


生え揃った牙に鋭い爪。


そして頭みたいなところには、幾つもの目がついていた。


とてもこの世のものとは思えないその生物は、たちまち逃げる私に追いつき、地面に押さえつけていた。


化け物の力はあまりに強く、私は抵抗することもできないまま男に捕まってしまった。


そして、この地下室に連れてこられた。


地下室には私以外にもたくさんの人間がいた。


私たちは、きっと助かる、今に警察がここを見つけてくれると互いに励まし合った。


でも、明るい記憶が心の中からどんどん消えていって、誰も互いを励ますことは無くなった。


きっと私の心の中で起こっているような変化が、他の人たちの中でも起こっているのだろう。


みんな明るい記憶を失ってしまい、希望が持てなくなってしまったのだ。



日比谷。


日比谷倫太郎。


私の中にあるのはもうそれだけだった。


日比谷に関する記憶を失ってしまった時が、私という自我……花村萌という個人としての自我を失う時だとなんとなく予感していた。



せめて、日比谷に気持ちを伝えたかった。


私はそんなことを思いながら、静かに目を閉じようとする。


バタン!!!


「…!?」


突然地下室の扉の開く音がした。


暗い室内に、光が差した。


犯人の男だろうか。


私は顔を上げて、地下室の入り口の方を見た。


「大丈夫か?おーい、花村?そこにいるのか?」


「…っ!?」


私の名前を呼ぶ声がする。


とうとう助けに来てくれたのだ。


日比谷が、私のことを。


「花村?いるなら返事してくれ」


「…ぁ…ぁあ…」


掠れて声が出ない。


私は地下室に入ってきて辺りを見渡しているその人物に向かって手を伸ばす。


「お、花村…!よかった。まだ生きてたんだな…!」


「ぇ…」


私の名前を呼んでいた人物がこちらに近づいてきて、暗闇の中から姿を現した。


私はその人物の顔を見て混乱してしまう。


そこにいたのは日比谷倫太郎ではなかった。


そこに立って私に手を差し伸べていたのは、同じクラスの月城真琴だった。


「どうして…お前が…」


掠れた声で私は問いかけた。


日比谷ではなく、なぜ月城がこんなところにいるのだろう。


「どうしてだろうな。ま、言うなれば仕事をしない誰かさんの尻拭いだ」


「…」


誰かさん、とは日比谷のことなのだろうか。


なんとなくそんな気がした。


どうして日比谷は助けに来てくれなかったんだ。


私の中に失望が広がった。


なんで日比谷ではなく月城が?


まさか日比谷は私のことを見捨てたのだろうか。


日比谷なら私のことを見捨てない。


私のことを探してくれているとそう思っていたのに……


「待ってろ。今助けるからな」


私が失望で呆然とする中、月城が私を拘束している鎖を掴んだ。


「闇の魔術第一階梯、強化」


月城が何やらわけのわからないことを呟いた。


ブチッ!!


「…!?」


月城が力を入れた途端に、鉄の鎖がまるでおもちゃのように壊れてしまった。


「よっと」


鎖を引きちぎった月城は、私のことを軽々と持ち上げ、背負ってから地下室を出ようとする。


「月城…?他の人は…?」


「安心しろ。ここの場所は警察に通報済みだ。間も無く全員が救出される」


「…男は?犯人の男は?」


「魂喰いのことか?そいつならもういない。倒しておいた」


「…本当か?化け物は…?」


「魍魎を見たのか?まぁ安心しろ。多分化け物の方も倒した」


「…そうか」


なぜか月城の言葉には安心感があった。


月城が倒したというのなら、そうなのだろうと私は思った。


もう大丈夫だ。


私は安堵して月城に身を任せた。


月城にしがみつき、暗い地下室を出る。


月城真琴という人間はどちらかというと嫌いなタイプの人間だったはずなのに、これだけ密着していて嫌悪感は微塵もなかった。


むしろその大きな背中に安心感すら覚えた。


私は、もう大丈夫だとそう思い、月城に背負われながら、意識を手放したのだった。

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