第9話


「今日も日比谷のやつに弁当を作ってやったのか?」


登校路を歩きながら、俺は円香にそう尋ねた。


「は、はい…その、別に深い意味があるわけではなくて、食材が余っていたのでついでに…」


円香が悪いことをしたかのようにバツが悪そうに話す。


「そうか…」


昨日はどういうわけか日比谷のやつが弁当を受け取らなくて円香は相当悲しんでいたからな。


あいつ、俺の可愛い妹が作った手作り弁当を受け取らないとはどういう了見だ?


昨日の円香の泣き顔を思い出し、直接問いただしてやりたい気分になったが、あまりにも月城真琴の行動から逸脱しているためにそういうわけにもいかない。


今日は受け取ってくれるといいなと、円香に心の中でそんなことを呟きながら俺は椚ヶ丘高校を目指して歩いた。


「ちょっと、やめてよっ…話してちょうだいっ」


「どうしたんだよ姫路。なんでそんなに嫌そうにするんだ?」


男女が言い争うような声が聞こえてきたのは、前方に椚ヶ丘高校の校門が見えてきた時のことだった。


校門付近で、見知った二人が言い合いになっているという珍しい光景に出会した。


俺はたくさんの生徒たちに注目されながら言い合いをしているその二人を見て、思わず二度見してしまったほどだった。


衆目をものともせずに、何やら言い争っているのは日比谷と姫路の二人のようだった。


あの二人が言い争いをするようなことなんて、原作シナリオの中で果たして一度でもあっただろうかと首を傾げながら、俺は近づいて様子を見てみる。


「なんでダメなんだ?肩を組むぐらいいいだろ?」


「どうしてそんなことをするのよ?こんなのおかしい。あなたらしくもないわ」


「俺らしいってなんだよ。俺は日比谷倫太郎なんだぞ?いつも月城から助けてやってるだろ?ちょっと見返りを要求したっていいじゃないか」


「そんなこと頼んでないわ。頼んでもいないことを勝手にやっておいて見返りを求めるなんておかしい話よ」


何してるんだあいつら、とそう思った。


二人は本当にどうでもいいようなことで争いを繰り広げていた。


最初から見ていたわけではないので詳しくはわからないが要するに肩を組むの組まないので揉めているらしい。


日比谷がなぜか執拗に姫路と肩を組みたがり、姫路がそれを拒否しているといった構図だった。


いや、お前ら結局最後にはくっつくんだから肩ぐらい組んでさっさと行けよと俺は側から見てそう思ったのだが、なぜか二人はいつまでも言い争いをしている。


どうしてこんなことになった?


俺はふたりの言い争いを見ているうちに奇妙な違和感を覚えずにはいられなかった。


まず日比谷はなぜ嫌がっている姫路にそこまで必要に肩を組むことを求めるのだろう。


そもそも日比谷倫太郎は嫌がる女の子に自分からスキンシップを求めるようなやつじゃない。


しかも日比谷の口調は、まるでいつも月城真琴から守ってやってるんだから見返りをよこせ、というような非常に恩着せがましいものだった。


俺の知っている日比谷倫太郎は、こんなことを言うやつじゃない。


ただ困っているやつがいるからと言う理由でどんなところにでも首を突っ込んで、気付かないうちにヒロインたちを惚れさせているような、けしからん男なのだ。


俺の中の日比谷倫太郎像と、今目の前にいる日比谷倫太郎の姿が全く重ならないのは一体どう言うことなのだろうか。


おかしいのは日比谷だけじゃない。


姫路だってそうだ。


肩をやたらと組みたがる日比谷がおかしいのはそうだが、それを何度も拒否している姫路もらしくなかった。


確かに姫路渚というキャラクターは、最初っから日比谷に対する好感度が高いキャラじゃない。


他のヒロインたちがほとんど最初っから日比谷に対して恋愛感情に等しい好感を抱いていたのに対し、姫路渚は魔術大戦の戦いの中で徐々に自分の日比谷に対する気持ちに気づいていくというシナリオになっている。


だからシナリオ最序盤に当たる現在は、まだ日比谷に対して恋愛感情までは抱いていないはずだ。


それでも姫路はひび月城のうざい絡みから助け出してくれる日比谷に対して、それなりの好感は抱いているはずだ。


ゆえに日比谷の要求をこうまで嫌悪の感情をあらわにして突っぱねることなど、俺からしたら考えられないことだった。


「私もう行くから」


姫路がとうとう我慢の限界に訪れたようで、日比谷を無視してスタスタと校舎の方へ歩いて行ってしまった。


「なんだよあいつ……俺は日比谷倫太郎なんだぞ?あの態度はないだろ」


そんな姫路を、日比谷は白けた表情で見送っていた。


「あ、あの……日比谷先輩…」


そんな日比谷に話しかける人物がいた。


日比谷に現時点で強い想いを寄せているヒロ

イン、月城円香である。


円香は、昨日拒絶されたにも関わらず、健気にも再び作ってきた弁当を日比谷に差し出した。


「あの…先輩。今日は気合を入れて作ったので……先輩にぜひ食べてほしいです」


「あ?何これ」


日比谷が差し出された弁当に視線を落として言った。


思ったよりもはるかにぶっきらぼうな反応の日比谷に、円香が怯えるようにしながら言った。


「お、お弁当です……き、昨日は食べてもらえなかったので…き、期待を入れて作りました…よかったらぜひ…」


「いらないかな」


「…え」


「…っ!?」


俺は絶句して日比谷を見た。


自分の耳を疑った。


今こいつなんて言った?


「先輩…?」


円香も自分が何を言われたのか信じられなかったらしい。


呆然とした表情で、日比谷のことを呼ぶ。


日比谷が面倒くさそうな表情を円香に向けながら言った。


「昨日いらないって言ったはずだよな?なのに今日も押し付けてくるって、俺に対する嫌がらせ?」


「…っ!?ち、ちが…私はそんなつもりじゃ…」「俺にはそうとしか思えないんだけど?」


信じられないようなことを口にする日比谷。


円香の目に涙が溜まっていくのがわかった。


「てめぇ…」


流石に見過ごせなかった俺が妹の気持ちを考えられない日比谷に一言言ってやろうとしたその瞬間、円香がばっと走り出した。


「失礼しましたっ…」


目に涙を溜めながら、校舎へ向けて走っていくその背中を俺は見送ることしかできなかった。


「今のはひどくない…?」


「日比谷くんなんであんなことを…」


「あそこまでいうことないんじゃ…」


普段は温厚で、人を傷つけることなんて絶対にしない日比谷の信じられない行動に、周囲は不思議なざわめきに満ちていた。

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